サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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七つの封印-20 ヨハネの黙示録(前編)
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    第七の封印について、これは私の中では比較的早くから簡単明瞭な結論が付いていて大した説明も無いのです。
    これを書けばこのシリーズも完了です。
    去年の1月から書いていますから、かれこれ一年以上かけてると思うと我ながらよくやったかなぁと。


    第七の封印の前に、ヨハネの黙示録について触れておこうかと思います。
    新コロナウィルスの禍中でここに触れるのもいかがなものかと思われますが、時が重なってしまいました。

     

    七つの封印というのはご存知のこととは思いますが、新約聖書の中のヨハネの黙示録に出てくる言葉です。
    おととしの暮れにこの言葉を持ち出したときには、実はほとんど思いつきのようなものでした。
    なんとも重たいタイトルを付けてしまったものだと今思います。
    私は黙示録についてそれほどよく読み込んでいたわけではありません。
    太陽を纏い月を踏む女については書いたことがありますが、実に断片的な読み方しかしていませんでした。
    (あ、通読くらいはしていますよ。)
    実に比喩の多い謎めいた文章です。

     

    ふとした思いつきが後から大きく意味を持ち、きちんとした整合性を持ってくるということは割とよくあります。
    そこで黙示録を通して読み直ししてみましたので、その辺のお話を書いてみましょう。
    しかし、ここで書く動機が問われています。
    何を目的として書くのか?これによって文章が全く違うものになってしまいます。
    そもそも、この黙示録が書き残された理由は何なのか?
    こんなに恐ろし気で訳の分からない文章がどうして聖書に残されているのか?
    信徒たちからしてみれば、最後の時には恐ろしいことがあるから十分に備えなさいという警告かもしれませんが、
    一体どんな備えをしたらいいのかもわからないような文章です。
    これもまた『時』に備えて解明されることを見越した暗号伝文なんでしょうか?

     

    これを解き明かせばちょっとカッコイイですよね?
    でも、そんな動機で書くとまともな文章にはならないのです。
    かっこよく見せようとする思いが文章の端々に出てしまいますし、何より正確な読みと気をするためのひらめきが与えられません。
    何を動機とすべきかというと、このシリーズを書いている動機と同期することになります。
    この一連の記事は、食口の皆さんが、成長していただく一助となればという願いをもって書いています。
    また、様々な考えを持っている方々と意見交換のたたき台になれればいいとも思っています。

     

    ですから、黙示録についても滅亡の書ではなく、希望的に読んでいくべきだと考えます。

     

    これは、黙示録から心情の八段階を解いたのではなく、心情の八段階を前提として黙示録を読むことで黙示録を解く試みです。(※注:完全網羅してはいませんのでご了承ください。)

     

     

     

    黙示録を読んで思うのは、全体に訳が分からないにもかかわらず、何か恐怖心をあおる内容になっているということです。
    何かをしなければ大変なことになるという恐怖心、逆に、何かをしたらとんでもない目に合うという恐怖心。
    これを強調して人を動かす宗教は『恐怖信仰』と呼ばれます。

     

    恐怖信仰というのは『僕』の信仰です。
    『養子』の信仰は、恐怖を(やせ我慢でも)越えて、許されていることを信じる信仰です。

     

    キリスト教自体は愛と赦しの宗教と言っていますが、聖書の中にはこういう警告というか脅しのような文章は少なくありません。
    信仰の入り口として戒めを守る必要があるのと、いきなり養子信仰に到達することができないからなのだと思われます。
    黙示録の冒頭には、ヨハネは自らを僕であると書いています。
    これは信仰の段階として僕信仰だと表明しているわけではありませんが、『主なる神の僕』という意味合いです。
    しかし、裏を返せば『父なる神の子供』ではないわけです。
    (養子は父なる神という表現はできても、神の子という表現はなかなかできないものです。
    何故か神道は人間を神様の子供であるという意識がしっかりあるようですが。)

     

    黙示録が難解で、恐怖におののくような内容になっているのは、記述者であるヨハネの視点が『僕』の立場にあるからだと考えられます。
    これは彼の時代的に致し方ない事です。

     


    死や滅びについての記述は、古い価値観の終焉として読み直してみましょう。
    これはなのも目新しい事ではなく、新生するためには一旦死ななければならないというクリスチャンにはおなじみの考え方です。
    洗礼を受ける時に一旦水に身を沈めることを『古い私の死』と位置付けています。

     

    ヨハネはキリスト者ではありますが、八段階的に捉えるならば僕の段階であり、そこから上がっていくにはまだ六つの段階があると考えられます。
    その段階ごとに封印が解かれていくならば、その都度新しい価値観を受け入れていかなければならないことが想像できます。
    それを一段階を越えたばかりの第二段から見るとすれば、そら恐ろしい事だったことは想像できます。

     

     

     

    黙示録には同じ言葉が文章をまたいで繰り返されているところもあります。
    キーワードと言っていいのでしょう。
    これらを解く試みは皆さんやっていらっしゃるのだろうなと思います。
    私はこれまで取り立てて関心を持ってこなかったので、ここでの解き方はありきたりな解き方かもしれませんね。

    桜葉はそういう読み方をしてるのかくらいに読んで下されば幸い。

     

    そして、七つの封印以外に、七数がいくつか出てきます。
    他にも数字は出てきますが、今回は七数に注目して読みます。
    七つの燭台、星、教会、み使い、封印、ラッパ、獣の頭、災い。
    この中で、1番目〜7番目までの解説がついているのが『教会』『封印』『ラッパ』『災い』です。
    七つの教会にそれぞれ宛てた手紙が紹介され、
    封印が一つ一つ解かれるごとに起こった事柄が書かれ、
    次いで七つのラッパが吹き鳴らされるごとに災いが起こり、
    「神の怒り」の七つの鉢から災いが繰り広げられていく。
    第七の災いの後、バビロンの大淫婦が滅ぼされ、千年王国が来るわけですが、扱うのは七つの災いまでにします。

     

    文脈としては『七つの教会』→『七つの封印』→『七つのラッパ』→『七つの災い』なのですが、
    『第一の教会、第一の封印、第一のラッパ、第一の災い』
    →『第二の教会、第二の封印、第二のラッパ、第二の災い』
    →『第三の教会、、、、』と読んでみます。

     

    このように読むとき、繋がりがあることに気が付きます。
    全てに繋がりを見出すわけではありませんが単純なところでは、
    第一のラッパは血のまじった雹と火が『地上』をそこない、第一の災いは「神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾け」と、
    『地』という言葉が第一の数字に関連付けられています。
    同様に、第二は『海』、第三は『川』『水源』、第四は『太陽・月・星』または『太陽』。
    第五のラッパと災いについては他と記述方式が違っているので明確ではありません。
    しかし、教会で「勝利を得るものは白い衣を着せられ」、第五の封印が開かれた時神のあかしを立てた故殺された人々に白い衣が与えられています。(白い衣は第六、七にも関連する言葉がありますが、第四までにはありません。)
    第六は『大ユウフラテス』なのですが、これはラッパと災いの記述に出てくるだけで他とつながりを見出せません。
    第七は『天』または『空中』です。

     


    ここに更に心情の八段階の言葉を重ねて考えていきますが、長くなるので一旦止めます。

     

     

    | おーば | 七つの封印 | 22:20 | comments(2) | - | - | - |
    こんにちは。新型コロナウィルスが世界中に広がっているとニュースで知るところですが、アメリカのメディアが流しているニュースが、もしかしたらフェイク、ヤラセかも知れません。信じられないけれど...。何の為に?一体どうなってるの?という動画を見てしまいました!

    https://youtu.be/HDADonD2bAU

    私達の知らないところで意図的に何かを始めようとでもしているのでしょうか?怖いですね!
    | 海がめ | 2020/04/07 12:49 PM |
    医療現場の同じシーンの映像が、違う場所でのものとして流されていた話題はTwitterでも同じ絵が流れていました。
    作為的なものなのか、それとも映像を取り違えて編集してしまったのか?
    はたまた、同じだと指摘している側が作為的に流しているのか。
    確認のしようがありません。
    実のところ、コロナウイルスの感染症患者は知り合いには一人もいません。
    知り合いの直接の知り合いにもいません。
    報道のみで知ることなので、実はこのウイルス騒動自体がフェイクなんだと言われても私には分からないんです。

    まぁ、そこまで疑ってしまっては無事な暮らしは営めませんので、日々用心しながら暮らしています。
    残念ながら、直接経験した事柄以外は私たちは確認しようがないんですよね。
    人の言うことは、そういうことを言う人がいる。
    そう言う考えをする人がいる。
    そんなふうに受け止めます。
    誰が言うことを信じるのか?
    マスコミを信じるか、特定の誰かを信じるのか、近所の付き合いを信じるのか?
    難しいです。
    形は違うけれども皆んな信仰しているのと同じかもしれません。
    | 桜葉佳代 | 2020/04/08 11:52 PM |









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