サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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七つの封印-8 のオマケ
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    前記事は書いていて本当に疲れた。
    書くべき記事ではなかったのでしょうか?
    ただ本当に、庶子の『知』の大半がこんな中にうずまっている。
    しかしそのまま鵜呑みにすればとんでもないことになるようなものばかり。

     

    かつて、共産主義国家は天の側が作るべき理想国家をサタンが先駆けて作ったものだというような御言葉を聞いたことがあります。
    天が望むものをサタンが先取りしてまがい物をつくるらしい。
    カインとアベルの時にサタンが先に長子をとったことと同じらしい。

     

    最先端の思想もサタンが先行して構築していくのでしょうね。
    ただ、そこには愛がない。
    形だけを模して作るから実りがない。

     


    ピラミッド構造の批判も、僕信仰の批判も間違いではないけれど部分構造を全体のように批判してくるのも癖みたいなものでしょうか。
    そしてすべてが弁証法でそこから出られない。
    弁証法は『正』『反』『合』
    反対することで新しい局面を迎えるシステムなので、いつまでたっても反対することをやめられない。

     

    天の側は授受法で『正』『分』『合』
    『反』は対立だけど『分』は節度なのね。
    互いを認め合うことで愛し合えるんです。
    そして分かつことが愛の始まりでもあるの。
    分かつというのは対象を見出すこと。
    雑踏の中から愛する人を見出すようなもの。
    お互いにね。

     

    見出された同士はそこに個人としての意味が出て来る。
    物語が紡ぎだされていくのよ。
    そういう意味でピラミッドの底辺のモブに甘んじていてはいけないし、
    私独自の価値は見出されるべきなの。
    私の物語を書くのが人生であり、その物語の主人公であることが私のアイデンティティであり『構造』。
    このアイデンティティは一生どころか永遠ものです。

     

    構造主義は各個体が置かれた社会的立場によって思考判断が決定するという考え方。
    日本人らしい考え方とか、韓国人らしい考え方とか欧米人らしいとか女性らしいとか経営者らしいとかなんとかあるでしょう?
    国というくくりだったり、職業的なくくりだったり、世代的なくくりもある。
    それぞれにそれ様な考え方の傾向と言うのがある。
    幼児体験によって大人になってからの考え方に影響が出るって言うのも聞いたことがあるでしょう?
    その人の人生のパッケージにふさわしく人はそれぞれ思考してるんです。
    そして全く同じ人生が無いように全く同じ思考回路も無いのです。

     

    だから『普通』なんていうのも本当は無いのです。
    全部個性の集まりだから。
    そしてピラミッドの頂点や、上部構造を目指すというのもあまり意味がない。
    そこへ行ったとしても私が私でなくなることはない。
    同じ環境に行っても同じものにはなれない。

     

    ああ、先の本でも何か書いてあったなぁ『同質異体』と『異質同体』か。
    同じであることが先行するか、違っていることが先行するか。
    先行するというのは前提としてそうであると強制されるというようなニュアンスかな?
    同じものとみなされても困るんです。
    異体・同体の意味には触れていなかったな。。。。。あの本を開くと頭が痛くなるからやめた方がよさそうだ。

     

    養子圏のキリスト教信仰であれば、違うことを喜び合う姿勢が薦められています。
    兄弟姉妹が互いに愛し合う事のすすめです。
    そういったことは先人から伝えられていることですが、なかなか実践できない現実も確かにあります。
    そこのところの情を育むことが必要なんですけれど2000年たってもできてないんだから人間には無理だと断定してしまうのはどうかと思います。
    2000年前と現代とで、人の考え方がどれくらい変わったかなんて意識されていないでしょ?
    目には目を、歯には歯を命には命を持って償わせるのが当たり前の時代から、今は人の心もずいぶん成長していると思いますよ。
    個体差はあると思いますが。

     

    分かりやすく表現しようとするとき、人は断定的な表現を使います。
    そうすることで読者を安心させて引っ張るのです。
    蒟蒻問答では誰もついてこないという現実はあります。
    でもそれって『僕』扱いしてるってことなんですよ。
    命令は断定されなければ困るでしょう?

     


    いい加減に『僕』思考はやめましょう。
    せめて『養子』思考、相手の立場を思いやって考える思考方法を身につけましょう。
    言われるままではいけません。
    その上で、自分の立場に責任を持って主体者意識のある『庶子』思考に進むことができます。

     

    これ、自分の立場で分からないことには口出ししないということでもあります。
    真のご家庭がどうしたこうした、先輩家庭があーだこーだというのも、自分で経験した事柄以外のことを憶測することも責任ある姿勢とは言うことができません。

     

     

    。。。。。Amazonにレビュー書いたら本名で行っちゃったワ。。。。。はははははは

     

    | おーば | - | 13:49 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    こんにちは^^。

    >『普通』なんていうのも本当は無い。
    全部個性の集まりだから。
    そしてピラミッドの頂点や、上部構造を目指すというのもあまり意味がない。
    そこへ行ったとしても私が私でなくなることはない。
    同じ環境に行っても同じものにはなれない。

    上記のことに、すごく同感します。
    普通は無い、全部個性の集まり…言われてみたらその通りですね。
    世の中、「普通がいい」と言いますが、普通って何かわからない。
    周りと同じようなら、間違ってないような錯覚と安心感。違っていたらヘンな人と思いがちです。
    もちろん協調性はいるし、ピラミッドの頂点に行くよりも個性を活かして生きれば、人を創造した神さまも良しとされないでしょうか…。

    「個性真理体」という言葉を思い出します。個性を持つ人間一人一人に、真理が入ったら、どうなるのか。学んだだけで、真理が入ったとは思えず、実践して真理が入ったといえるような…。

    あいかわらず、桜葉さんの観察力、鋭いです。
    | koguma | 2019/09/07 9:06 AM |
    個性って不思議ですよね。
    全く同じになれないのと同時に全く違うものにもなれない。
    人間としての肉体的な構造があった上での個性ですし、
    子供のころから受ける教育と文化風習を受け入れた上で人間性が形成されて、その上で個性が現れてくるんですから。
    共通したものがあってこそ互いの個性が魅力的にかんじられるんですよね。
    無理に同じになる必要がないのと同じくらい、無理に違って見せる必要もない。
    同じになろうとしても無理だし、違おうと思っても無理。
    自然体で美しい個性を持っていたいし、
    互いの個性を喜べる心を持っていたいですね。
    | 桜葉佳代 | 2019/09/09 1:55 PM |









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