サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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七つの封印-8 庶子の『知』について書籍『ワンネスは2つある』感想
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    庶子の『知』について。

     

    これが意外と世に出回っています。
    本当か嘘か判別がつきにくい話なので、与太話のように流布してます。
    図に入れたヌーソロジーやシュタイナー哲学もそういった知です。
    他にも、スピリチュアル系の話や、数学系、科学系の中に色々あるようです。
    東洋思想に傾倒するものが多いようです。

     

    本当のことと正反対のことが同列に並んでいます。
    途中まで良い話しも突然変な誘惑話しになったりします。
    そんな都市伝説みたいな話の中身を整頓して筋の通った話として理解することが求められるようです。
    この過程が大事。
    探求する時の動機が狂うと神様への愛を失います。
    愛どころか、神様という存在を全く見失います。
    ここに神の庶子としての責任が問われます。

     

    何が正しいのか判断すべき課題は次々と提示されます。
    判断スピードが重要なのではなく、良い判断をすることが大切なのです。
    判断基準はみ言葉の背後の愛と理想です。
    み言葉を愛するのに、表面的な愛ではならないのです。
    み言葉が指し示す理想を愛し、それに則った判断が必要です。

     

     

     

     

    先日、川瀬統心さんの『ワンネスは2つある』という本を読みました。
    先出のヌーソロジー関連本です。
    「面白かったら感想を」とリクエストをもらっていたので書いてみようと思います。
    面白かったかどうかというと、私にはあまり面白くはなかったです。
    どちらかと言うと不快でした。
    書き始めて相当時間と精神力を要しつつも収拾がついていない気がします。
    無駄に長文です。
    この本は『宮の頂上から飛び降りてみなさい』と書いてある。
    読んでみようと思う人は注意してください。

     


    非情に盛沢山な情報が書き込まれています。
    しかしながら、盛りだくさんな情報の中に巧みなすり替えと独断が紛れ込んでいます。
    話がいったりきたりするところも思考を分断して読み込むことへ意識を向けさせて判断をかく乱させる本です。
    また、読者が持つであろう疑問を予測して丁寧に解説しています。
    しかしそれは、疑問に感じられるような問題には既に配慮の上での結論であることを提示しているだけで
    その根本解決は提示されていません。

     


    例えば神について、「一神教精神が世界にピラミッド構造を築いてい」るとこの本は語るのですが、
    読み込んでいくとそれは「歪んだ一神教精神」とあり、「偶像崇拝化する一神教」が問題であると書いている。
    しかしその表現は説明する一瞬書かれるだけであって、全編を通して「一神教精神が問題だ」と簡略的な表現によりイメージ操作しています。

     

    また、「創造神」の属性として「絶対性」のみクローズアップしてキリスト者にとって最も重要な「神の愛」には一切触れていません。
    独断的なのです。

     


    一神教精神というのはこのブログで書くところの『僕』的な発想を指しています。
    善悪や行動の判断を自分で考えるのではなく、他者が決めたルールの中で決定します。
    行動の判断というのはどこへ向かうべきかと言う目的地の決定まで含まれています。
    自分で判断しないという事は、“誰か”から指示を受けるという事です。
    目的・目標を『神』とすれば、指示を出す人は代弁者であり、少数の権力者と位置付けられます。
    このピラミッド構造を一神教精神が作り上げているとして、
    彼は『ごく一部のスター成功者を支えているのが、圧倒的多数の失敗者達である』と表現します。

     


    このルールを発信するのが教会なのか、学者なのか、ビジネスの成功者なのか、、、と言うようなところからこの本は始まっています。
    この辺りは彼の宗教遍歴や失敗談から実感的に展開して読者の共感を呼びつつ
    丁寧に人類の文明草創期からイエスキリストまでの史料を解説しています。

     

    その後に川瀬さんが推奨する『ヌーソロジー』がこの問題を解決できるんじゃないかと触れてきます。
    ヌーソロジーは『冥王星のオコット』からのメッセージ(異言)を半田広宣さんが解読したものであり、
    人類の意識進化をもたらすものとして紹介されます。
    同時に宇宙をも変容させるかのようなセンセーショナルな表現と、それを裏付けるかのような太陽の活動のデータなどが紹介されます。
    人間、よく分からない難しい数字を出されると、なんだか信じてしまうものです。
    もちろん、そちらの方面に詳しい人達にはそれなりの裏付け資料として受け入れられるのでしょうが、この辺は私には無理。

     


    ヌーソロジーは『意識進化』と表現しますが、これはこのブログで取り上げている八段階の心情の『成長』段階と似ているように感じさせます。
    一神教の本質である、神の下の平等は『僕』には実現できません。
    七つの封印-3で、
    「多くの人たちが知的な成長のみで世の中を構成しているのです。
     心情世界が付いて行っていませんし、心情的成長の必要性を説く思想もありません。
    ここの理解がないので、『平等』の名の下、心情の幼さが放置されています。」と書かせていただいた通りです。
    人の心は幼いままでは理想的な世界を築くことはできません。

     

    しかし私は『進化』という言葉を好みません。
    ダーウィンの進化論によれば、進化は突然変異と適者生存による淘汰がセットになるものであり、
    進化できないものは滅びの道に向かうのです。
    結局は、別なピラミッドを作って底辺を切り捨てる発想になりそうなそんな気配を感じてしまうのです。
    『成長』であれば、かかる時間に差こそあれ、みんな成長できる印象がありますよね。

     

     

     

    オコットのメッセージはこの意識の進化というのを『歪曲した空間認識』を正常な状態に戻すこととしています。

     

    これは絶対的な存在(神や真理などの権威、自分以外の他者)が認定する世界観の中に自分の位置を設定している意識から、
    自分を中心に感覚する世界観への変更になるのです。
    客観性からの離脱とでも言いましょうか。

    主体者意識というのは大切なことと私も考えます。
    この意識がなければ人は責任心情を持つことができません。
    しかし、ともすればとんでもない自己中心です。
    それでいいわけがないと思ってしまいますが、実は神と我の関係性を立てるとこれに近づきます。

    この本では書かれていませんが、この時に客観性を維持するポイントが『愛』になると私は考えています。
    しかし、この本はそこに触れません!

     

    この本では、一神教精神=不幸な現実(悪と呼ばないところに川瀬さんのしたたかさを感じます。)なので、
    そこからの脱却がテーマです。
    他人の価値観に振り回され続ける人間の弱さにいかに立ち向かうかというところなのです。
    そのための視点の変更です。

     

    この部分の解説に川瀬さんは『円心』という言葉を持ち込みます。
    「円と言うものは単独では存在し得ない」ここに一つの「円」がある場合、必ずその裏側に「中心と円周の関係が反転したもう一つの円」が隠れているというのです。
    と説明します。
    これは反対概念を調和させる考え方として「対化」「等化」という概念とセットと思われます。
    解説が複雑なのでここでは割愛しますが、対立する存在は高次元から(俯瞰的に)観察すれば回転運動によって同じものになってしまうというような考え方です。
    『円』と言いながら『球』が想定されているものと思われます。
    『球』の対立概念は『内』と『外』とされていましたので、中心と円周が等化される発想はここにあるでしょう。

     

    絶対者を相対化してピラミッド構造を壊すことがこの本のテーマの一つなようです。

     


    川瀬さんはニーチェのルサンチマンに言及します。
    弱者が強者に対して持つ怨念・ねたみのことです。
    「救いを求める」という宗教の根本的な動機そのものにルサンチマンが隠されているという話です。
    この本の冒頭は、川瀬さんの失敗談から始まっているため、
    ピラミッド構造の解体などというテーマは何かマルクス的怨みの思想を思わせるのですが、
    このルサンチマンを取り上げることで「そんなことは百も承知」という姿勢を見せているように感じました。
    このニーチェの見識について「外側に基準を持つ限り、人間はこの悲惨さからは逃れ得ない」と答えを見出します。
    それはそれで、自分で責任を負う姿勢でもあるので間違いではないのです

     


    さらに構造主義を持ち込みます。

     

    構造主義とは、2012年11月のこのブログ記事では以下の記述をしています。
    非常に簡単に表現すると、「人間の現実把握や思考は、その個人が所属する構造に規定される」と言うこと。
    「所属する構造」には民族、言語、国家、社会的階層などがある。
    この事実を理解することにより、自己の判断を客観化するのが「構造主義的な考え方」である。
    「〜の人たちにとっては大変なことでしょう」などの考え方がこれに該当する。

    http://blog.o-baka.com/?eid=187

     

    自己の判断を客観化する。
    思考回路を可視化するみたいなことですね。
    計算式が分かっていれば対象物から導き出される結果も見えます。
    この考え方は何か突き放したような考え方だけれども、私はちょっと違う視点を持っています。
    各個人が持っている計算式は、所属する社会によって決定するような書かれ方をしているけれど
    実は生まれてこの方経験してきた記憶によって構築されていると私は考えています。
    人生経験は個人的な独自のもので他の誰とも全くの一致をみることはありません。
    これは個性です。
    個性真理体たる私の思考判断は独自的なのです。
    個人個人が理解する世界、価値観はそれぞれが中心になっており、誰もが同じ世界観を共有しているのではない。
    むしろそれぞれが異なった世界を見ているのだと私は考えています。

     

    そして川瀬さんは構造主義の本質として、
    【自分のいる領域の「外部」に出ることで、閉ざされた領域からの視点が出て、その領域を包摂している上部の構造に視点が移動する。
    「相対化」によって、今までいた領域の何たるかが分かるようになる。
    「自分自身を知る」ということ】
    と書いています。

     

    外側に基準を持つ限り解決しないと言いながら、視点だけは外側に持っていく。
    外の視点は自身の視点となりうるのだろうか?
    この人は『自己』をどう捉えているのだろうか?
    恐ろしいことにこの本では、『構造』について冷たい視線を送っているように感じます。
    構造を無機的に扱う事により「自我の消滅」をうたっている。
    この自我の消滅の向こうにヒトが神になるという世界観が繋がっていく。

     

    「宮の頂上から飛び降りなさい。」
    これは自分自身の人生の主人であることを放棄しなさいという意味です。
    「我を拝せよ全てのものを与えよう。」
    これも同じです。

     


    愛を切り離して知的な進化を追う世界観には幸福は縁遠いと私は感じます。
    人はルサンチマンを克服しなければならないし、克服することができます。
    自分自身が感じ取っている世界は自分で構築しているものだという視点は必要です。
    自分独自の視点・感性であるという自覚です。
    それによって、他者への怨恨を消す可能性が見えてきます。
    構築する「構造」を理解するために必要なのは自己分析であると考えます。
    自分は何故このように感じるのだろうか?
    自分は何故このように考えるのだろうか?
    その原因を見つけることは自分を客観視することに繋がりますが、単に俯瞰するのとは違います。
    俯瞰するだけでは結果しか見えませんのでパターン分析しかできず、その動機は見えません。

     

    自分の構造を理解できると、他人の構造も理解しやすくなって相手の気持ちも予想しやすくなります。
    そして自分を愛することです。
    これも簡単なことではありませんが、
    自分を愛することを通じて自分を構築するために与えられたものに感謝する道が見えてきます。

     


    もっとこの視点についての分析を、ゼロ次元、一次元、二次元とこの本にも書かれているのですが
    これは私が描いた立体図の「ニュートン力学」「相対性理論」「量子力学」の項目に通じるところがありました。
    でも、それ以前にこの本が訴えかけるテーマ(問題提起とその捉え方)に対する嫌悪感が先に立って書ききれるものではなかったです。
    構造分析についてはだいぶ詳しく凄いのですけどね。
    裏返しなのです。
    感想文として書くことは難しいようですので、機会があればどこかで引用分としては紹介するかもしれません。

     

    そしてこの書籍はヌーソロジー研究そのものの本ではないので、この感想自体が直接ヌーソロジーへの評価であるとは限りませんのでご承知おきください。

    ヌーソロジーそのものについてはまだ判断が付くほどの理解はしていません。

    | おーば | - | 11:59 | comments(15) | trackbacks(0) | - | - |
    こんばんは!「ヌーソロジー」私も少し勉強しました。昨年の夏、YouTubeで見つけて...。「2014年潜在意識リーディング協会研修会」と「2015年大阪レクチャー」が特に印象に残っています。半田広宣さんのレクチャーは気にいってます。意識の反転?難しいけど面白いです!統一ブログでいえば「統一食口は真のフリーメーソンだ!!」のおやじ様のブログの内容と共通するものがあるような気がしています。物理学とか難しいですよね!宇宙を創造した神様は、人間の意識を超えた、計り知れない感じがします。オコットは縄文人?古代日本に詳しいようなので、カタカムナとか古事記、神道、仏教など東洋思想との親和性のほうが大きいのかも知れませんね。いろいろ学ぶ事は楽しいです!
    | 海がめ | 2019/05/02 11:26 PM |
    いらっしゃいましたね、ヌーソロジスト(勝手に命名!)
    実はこの本以外に『ヌーソロジー基本概要+』と『シュタイナー思想とヌーソロジー』の二冊を持っているのですが読みきれていません。
    動画と言う手もあったんですね。

    おやじさんはホロスコープと多方面の古文書、アカシックレコードなど。
    宇宙からのメッセージ、予定論的なところがおやじさんの世界観と似てますよね。

    オコットは古代日本の話を持ち出すのですか?
    半田さんが詳しいとか?
    読んだ本の部分では気づきませんでした。
    意識の反転=霊化でいいんでしょうか。
    これが入り口だと思います。
    その先をきちんと睨んでいかないとって思ってます。
    | 桜葉佳代 | 2019/05/03 11:42 AM |
    こちらでははじめまして
    てるぼう
    でございます。

    親元の名古屋に行くお供として
    ワンネスはふたつある
    を持参し、半田さんの新刊
    奥行きの子供達
    を渋谷で購入しました。
    いま奥行きの子供達を読んでいる所です。

    アマゾンのレビューも見ましたけれど
    このワンネス…はヌーソロジーの入門書として十分な内容です
    後半の次元対称性と次元観察子の照らし合わせなどは圧巻という感じです。

    さて、ヌーソロジー界隈においては「愛」という単語はあまり使われません。
    何故か。

    まず、人間の諸々の認識作用、知情意と食口が呼んでいるものはそれぞれ別個のものではなく、精神の作用としてひとくくりにして考える事を前提としましょう。
    精神、意識と呼ばれるものですね。
    愛というものは精神、意識が感得するものという事になります。
    では、愛とはどのような状態で認識感得し得るものなのか?
    という事に踏み込みましょう。
    愛とは観測者単一では認識できず、観測者(=私、愛を感じようとする人、主体)と何らかの被観測者(=他者、観測されるもの、主体に対する客体・対象)との間の「関係性」の中に見出だされてくるものだ、となります。
    愛が理想とするものは他者との相互理解、渾然一体、共鳴といったところでしょうか。
    しかし本質的な相互理解は自我が他者の自我とひとつになる領域であると思われます
    渾然一体もしかり
    内なる魂からの共鳴となれば、自己と他者の中に共鳴し得るもの、統一原理的に言えば相対基準が必要です。
    相対基準とはいわば自分の中にある要素との同一性の確認
    でもあります。
    総合すれば、自己と他者の一体化
    となります。
    自己と他者の一体化
    とは
    自己と他者がひとつとなっている状態であり、究極的には私とあなたの区別が無い状態といえるのではないでしょうか。
    主体と客体(対象)の一致した、主客一致の視点
    この超客観ともいえる視点こそヌーソロジーが主張する点であり、徹底した自己他者論なのですよ。

    ここからは私見ですが
    愛が他者を前提とするという事は、必然的に自他の分裂を前提とする事となります。
    主客一致とは反対の方向性、となります。
    なので主客一致の視点を目指すヌーソロジーで愛という単語が出て来ないのは理論的にそうなると思います。
    愛というものを語ろうとすると、主客一致と反対の方向性に思考が行く危険性があるということですかね。
    人間型ゲシュタルト自体が自他分離を前提とした世界観な訳で、致し方ないという面はあります

    また後程
    | てるぼう | 2019/05/05 3:55 PM |
    ヌーソロジー的観点が自己をどうとらえているか?
    304ページ終盤から自分教、に至る所に集約されています
    だからこそ、とうしんさんは自分教、自分自神と謳っているわけですね。

    私の辿ってきた思考を紹介してみます
    ヌーソロジーのいう負荷と反映
    私という存在が負荷だとしたら反映とは何なのか?
    今になって思えばこれが「奥行きの子供達」で触れられている「私の半身はどこか?」
    という問いそのものだった!のです。
    私にとっての究極の他者は何か?

    リアルでお会いした時に話した事があると思いますが
    その視点こそが四次元からの視点であり
    全ての人類や歴史を包括的に鷲掴みする知覚視野に立つ奥行きの視点

    自己に内在する神
    というより私=神の視点になります
    この時の「私」にとっての他者とは鷲掴みしたもの、すなわち「私以外」であり
    本来の意識、自己の位置である四次元空間上の自己を見出だす=本当の自分・自己=自分自神であり
    私以外の全てを他者として精神的存在として扱う所にある眼差しは、決して無機的なものではないのです。
    その時、私という存在が私以外の存在と一体不可分であり、共存関係にある事を感じる時、私という存在の絶対的な下支えが他者であり、私は他者の下支えとなっている。
    故に私はこの世界に孤独ではなく、存在していることそのことに意味があり、また世界も私が観察してあげることで存在意義を見出だす、という
    在るがまま
    の境地を見出だす事になってきます。
    私はアルパでありオメガであり、有ってあるもの、となる訳です。

    統一原理的には個性完成
    神道の世界では神人合一

    愛の完成、という観点では
    奥行きの視点を持つ事で真の相互理解、本源の愛を獲得する礎を築く
    という感じですかね。

    古神道では神人合一や大霊(おおみたま)と分霊(わけみたま)という概念が出てきます。
    私達ひとりひとりが、本来はわけみたまを分け合った神様同士なのだ
    という観点です。これは空間認識論たるヌーソロジーに非常に似た観点を持っていると思います。

    だから神は沈黙するのです
    私の外に神を見出だそうとする限り…

    私の中におり本来は私と一体不可分なのに
    奥行きという霊的視点を失っているが為に神という創造主と私という被造物が分離してしまい
    霊的に分断された人間達は目に見えるものを尺度として各々を判断し
    そこから持てる者と持たざる者の分離、ピラミッド構造が発生してしまい
    さらにルサンチマンがこの構造をガッチリと強固なものにしてしまう悲劇がある

    というのがとうしんさんの主張だと思います。

    まとめてしまうと
    次元空間認識を通して自己他者の関係を正しく形作る
    その事を通して人間と世界に対する見方見え方を現状から変更していく
    という事ですかね

    その意味では、文先生の語った神の解放とは私の中にある神性の解放であり、私が神となる(個性完成)事だとなります。
    祝福家庭というのも、結局のところ自己他者関係のカルマ解消(愛の蕩減)であり、霊的認識の変更、即ち奥行きの視点の獲得を通して真の愛の回復、自分自神の連合共同体を築いてその知覚強度を強くしていく事で天国的環境を創造していく
    という事に繋がると思います。
    | てるぼう | 2019/05/05 5:44 PM |
    こんばんは、コメントの返答ありがとうございます!この連休、ネット環境のない実家へ帰省していて、帰宅後、今ブログを開いたのですが、ちょっとびっくりしました。何か気に障ってしまったのでしょうか?私は興味の向くままに、なんでも学んでみたいと思うだけで、「ヌーソロジスト」と言われる事に違和感を感じます。本も読んでないし動画を見て刺激を受けただけ...。敵ではないんです!いろいろな方法で神様の一面を知る事が出来るのなら、それで良いと思うのです。議論をするほどの知識もないし、余計なコメントを書いてしまったのかな?と少し後悔しています。ごめんなさい!
    | 海がめ | 2019/05/05 7:20 PM |
    てるぼうさん コメントありがとうございます。

    『奥行きの子供たち』取り上げられている作品は、『ロードオブザリング』と『2001年』しか見ていなかったので、
    このGWで『君の名は』と『エヴァ』のDVDを借りてみました。
    『エヴァ』は借り方を間違えて新しい劇場版3枚を借りてしまったので完結してないんですね。
    しかもあらすじを見てるみたいな感じでTVシリーズを借りなおさないと無理だなと思いました(笑)。
    『奥行〜』に手を伸ばすのはその後になりそうです。

    『愛』という言葉が世の中であまりにも多用されて、
    その意味するところが高尚な世界から軽率だったり卑猥な事柄まで、
    あまりにも広がってしまっているので、
    定義することが難しくなり、
    学術的な表現には向かなくなっていることもあるのだと思います。


    >人間の諸々の認識作用、知情意と食口が呼んでいるものはそれぞれ別個のものではなく、
    >精神の作用としてひとくくりにして考える事を前提としましょう。
    >精神、意識と呼ばれるものですね。
    >愛というものは精神、意識が感得するものという事になります。
    >愛とはどのような状態で認識感得し得るものなのか?

    実はこの前提自体に問題が潜んでいます。
    人間とは心と帰仇から成っているというのは多くの人が認識するものかと思います。
    この心について、統一原理では「知情意」と呼び、三つの存在であるように考える人もある。
    私は三つの存在であるとは考えず心の形状的側面を『知』、性相的側面を『情』二つの合力としての作用的なものが『意』と考えています。
    去年交流させていただいたポンタ・D・アズナブルさんは 〇心の構造として
     〇弭諭蔽痢法Ф間(±xyzt) 感情(情):力(F=ma,F=GMm/r^2) 0(意欲):エネルギー(E=mC^2)
    と表現していた。
    (知を座標空間として捉えたのは凄いなって思いました。私としては△意でが情だと感じました。)

    愛について論ずるためには先ず心とは何ものであるのかと言う合意がなければ先には進めないのですね。



    >愛が他者を前提とするという事は、必然的に自他の分裂を前提とする事となります。
    >主客一致とは反対の方向性、となります。
    >なので主客一致の視点を目指すヌーソロジーで愛という単語が出て来ないのは理論的にそうなると思います。
    >愛というものを語ろうとすると、主客一致と反対の方向性に思考が行く危険性があるということですかね。
    >人間型ゲシュタルト自体が自他分離を前提とした世界観な訳で、致し方ないという面はあります。

    これは同意ですね。
    そしてヌーソロジーでは愛の問題は管轄外に近いのかもしれないとも思えます。

    この愛が他者を前提とするが故の必然的な自他の分裂ということが、
    統一原理では神が被造世界を創造した動機になっているわけです。
    つまり物質化「NOS」の原動力ですね。(『ヌーソロジー基本概要+』をゴソゴソと引っ張り出す)
    ヌーソロジーでは霊化「NOOS」を語っているので愛は語れない。



    ψ5-ψ6の変換人のところが、このブログでの『庶子の知』(形状的・横的)の完成と思えますが、
    ψ5-ψ6で一旦立ち止まって『庶子の情』(性相的・縦的)の完成に向かう必要を感じます。

    自分教・自分自神という眼差しに於いて、他者に向けられる認識は無機的なものではないにしても、
    他者の自由性を担保する認識となりうるのでしょうか?
    自身で感じた事柄しか認識できないわけですから、自身に思い込みが生じればそのごとくにしか感じられないでしょう?
    つまり近代哲学の論調のように、「自身の認識の外には出られない」ということになります。
    (ここでいう自身の認識の外というのは他者の認識-客観ということになります。ヌーソロジーは客観を否定しています。)
    他者が他者としての自由が担保される世界、自由な他者と関係性を結べるのはψ1-ψ2の世界だけな気がします。
    ただし、真の認識が成されるのはψ5-ψ6の世界と感じられます。

    すると、ψ1-ψ2を手放さずにψ5-ψ6の視点を手に入れることが天宙の総合実体としての『私』の完成。
    ψ1-ψ2を手放すことは肉体の死に相当するかもしれません。
    なので、反転した意識を体得する必要は大いにあると私も思っているんですが、
    自我を消滅させちゃまずいんじゃないのかなというのが私の意見だとまとめればいいのかもしれません。
    ただ、川瀬さんが『自我』と呼ぶものの正体が、私はアイデンティティのことかと思ってしまったのですが、
    そうではなく『堕落性本性』を指しているとすればそれはアリになりますね。
    | 桜葉佳代 | 2019/05/05 9:12 PM |
    海がめさん!
    ゴメンナサイ!!
    そんなつもりは全くありません!!!!
    敵視なんてしてません!
    しつれいしました!!!!!!!

    ヌーソロジーに対して、関心を持っている人が他にも居たことに親しみを込めたつもりだったんですが、そうは伝わらなかったのですね。
    言葉選びが軽率でした。

    てるぼううさんとの長〜いコメントのやりとりも、これだけ対話できる相手は数少なく、私的には喜んでやってるつもりなのですが。。。。
    理解を深めたり、気付きを得たり、得るものは多いのです。
    かつてポンタ・D・アズナブルさんやミラクルサプライズさん、ミューズさんとのやりとりも印象深く得るものは大きいものでした。
    ただ、こういうやりとりをすると論の詰め合いになるので喧嘩してるみたいな印象になりますよね。

    お気持ちを気付付けてしまって申し訳ありませんでした。

    | 桜葉佳代 | 2019/05/05 9:31 PM |
    そうでしたか...。こちらこそ真意を汲み取れず誤解してすみません。議論スタイルに慣れてなくてわからなかったです!私はヌーソロジーに出会って直感的に「すごい」と思いました。理論的には難しい事は理解出来てないけど、感覚として伝わってくるものがあったのだと思います。ちなみに本は難しそうなので手が出ないです。動画というのはある意味、語る講師の人間性が出るというか、文章以上に心に入ってきます。私が受けた半田さんの印象は暖かい感じでした。突然のチャネリング現象と、精神病院に入院した事や、得体の知れない情報に人生をかけて向き合った結果の解読。すごいなぁと思いました。動画で話された内容は、他のところで学んだ内容と一致する部分がたくさんあって、信じられると思いました。でも、「信じる」というのは宗教になってしまいます。心で感じる何かが真理に導いてくれるのかも知れないと思います。偶然出会ったように見えても出会うように導かれていた?とか、その人にとって必要な知識だったから引き寄せられたとか...。私もこういう事を話せるのはうれしいです。でもあまり知識がないので聴くほうがいいです!「黎明」(葦原瑞穂著)というスピリチュアル本知っていますか?ここからも多く学びました。また、「言霊百神」というサイトから「第三文明への通路」等からも...。ついつい影響を受けた物の宣伝をしてしまいます!
    | 海がめ | 2019/05/05 11:48 PM |
    >桜葉佳代さん

    お!
    返信ありがとうございます。

    >ヌーソロジーでは愛の問題は管轄外に近いのかもしれないとも思えます。

    これに関してはですね、「奥行きの子供達」の中で愛とは何ぞやという事を半田さんが語っている部分がありまして
    先のコメントを書いた後に「奥行きの子供達」を読んだらその部分があり
    正直自分でも
    うお!うわー!そーだよね!!
    おー、概ねこの思考線は間違っていなかったっぽい?
    と、内心叫びながら読んでおりました。
    先の私のコメントの内容を別の表現でしかも的確に語っておられます。
    主体の交換
    という表現でした。

    >自分教・自分自神という眼差しに於いて、他者に向けられる認識は無機的なものではないにしても、
    他者の自由性を担保する認識となりうるのでしょうか?

    人間の意識の本来のありかが四次元とすれば、三次元空間(四次元時空)の如何なる点も座標として描けるので三次元空間(四次元時空)においては自由なのだ
    となります
    私にしても他者(あなた)にしても本当の自由とは対称性を越えた先にある
    とも言えます
    私とあなた、自己と他者が等化(等価=同じ価値、等しい存在)している場合
    お互いの真の自由があるという事になるでしょうかね

    だからウチの嫁はそんな事を考えもしない中で共に生活しているもんですから、まあこちらは窮屈な面もあります。
    でも違いを解って認めた上で共生共存したらいい、と僕は考えていますが
    嫁の方は同じ考えでないとイヤだ
    って言う訳ですよ
    離婚も考えないと、みたいな事をボソッと言われたり…

    基本私は私の世界にひとり
    それが私秘性、自由の担保
    わたしと人間他者とは物質世界をとおして空間を重ね合わせる形で共存している
    個体の自由は保証されながらも全体の流れの中、言い換えれば人間総体としても存在している
    重層的な構造の上で生きているといってますね

    統一原理で言っている全体目的と個体目的の関係
    分離の関係ではなく、全体も個体も共存(等価)の関係で捉えようとすると
    表裏の内外対称性、三次元対称性を見出ださなければならず
    三次元対称性の獲得は即ち、人間型ゲシュタルト崩壊を伴うという事ですね

    なので実存の転換、認識の転換というのをシュタイナーとも併せて考えると
    佳代さんの言う真の認識、霊的認識の回復、奥行きの視点回復とは人間型ゲシュタルト崩壊と変換人型ゲシュタルトへの移行
    といえるでしょうね
    ψ3への移行が真の認識への始まり
    という事でしょう
    顕在化ってヤツですね

    自我の消失ってワードも怖い響きを感じるかも知れませんが
    実はその辺も「奥行きの子供達」で触れまくっておりますよ

    私見ですが
    自我の消失こそが究極的な利他である
    というのが
    文先生のみ言葉、スウェーデンボルグ、シュタイナー、ヌーソロジーを統合して考察してみた結果となります。
    自我の解体から真我の確立
    と言った方が希望的、ですかね(笑)
    長文失礼しました
    | てるぼう | 2019/05/06 12:24 AM |
    海がめさま

    ヌーソロジーに関しては私も足を踏み入れたばかりで十分な理解には至っていないので、触れたことがある人たちから受けた印象を聞くことができるのがとても参考になります。
    詳細を学ぶことも必要な場合がありますが、実によって木の良し悪しがわかるように、
    周囲にどんな印象をもたらしているのかが、その事柄の価値になっていきます。
    発信者の真意というのはまた別な話になり、良い影響があれば善良な人で、悪い影響があれば悪人だという訳でもありませんからそこまでの判断はしません。
    「黎明」も、途中までしか読めていませんが、これも霊的なステップを進むための内容に触れているみたいですね。
    今はそういう時代であり、海がめさんご自身もそういう時期なのだと思います。
    良いものと巡り合い良いものを吸収されるといいですね!
    プラス思考で向き合うのがいいみたいです。

    私はちょっと疑り深いかもしれないです。
    そして表現がキツイことがしばしばあるようなので自戒しないといけないですね。
    | 桜葉佳代 | 2019/05/07 11:31 AM |
    てるぼうさま

    >自我の解体から真我の確立
    これがいいですね。

    そして自分教においては「自分自神」として多神教的神々と席を共にすると考えれば、「神の子」として完成しようとする統一原理との親和性もよさそうです。

    『ワンネス...』でもそこまで表現してくれればいいんですけど、一神教の神のことを散々書いた後に出てくるので理解しにくくなってるかもしれません。
    表現が更に磨かれることを期待しましょう。
    | 桜葉佳代 | 2019/05/07 11:43 AM |
    桜葉さんへ
    私のほうが勝手な思い込みで桜葉さんの心を傷つけてしまったかも知れません。ごめんなさい!今回のてるぼう様とのコメントのやり取り、とても勉強になりました。ありがとうございます!

    桜葉さんはそのままのスタイルでこれからもいろいろな記事アップしてください!みんな個性が違うので受け止め方も様々です。でもそれは受け止める側(私)の問題です!

    「黎明」実はYouTubeの朗読で聴いていました。削除されてしまった事が残念ですが、ダウンロードしていたので今も時々寝る前に聴いています。ぼんやりとした意識の中で時々スッと心に響いてくる瞬間があります。本は字が小さく難しくて頭に入ってきません。

    私はエゴが強いのでいつも戦っています。傷つきません!桜葉さんはのびのびと個性を発揮してください!そのほうが思いが伝わり、気持ちが良いです!気を遣わせてすみませんでした!ありがとうございます!
    | 海がめ | 2019/05/07 3:56 PM |
    桜葉佳代さま

    >>自我の解体から真我の確立
    >これがいいですね。

    有難うございます。
    真我というのはシュタイナー的な表現ですかね。
    福田塾で勉強した甲斐がありました。


    海がめさま

    はじめまして。
    時空を漂う黄色いてるてる坊主
    てるぼう、でございます。

    一応私も信仰二世の食口でございますよ。
    所謂分派の講義とかにも顔を出してたとある祝福家庭が
    ヌーソロジーとシュタイナーを勉強してみたらこんな心証風景が浮かんで来ているよ…
    というのが前のコメントになります。


    空間認識と自己他者論を通して
    今までオカルトとかおどろおどろしいイメージでしか語られなかった「霊」の世界を
    論理性と記述性をもって説き明かしているともいえます。

    言霊百神の書籍は七沢賢治さんがからんでいますね。
    七沢研究所、白川学館です。
    伯家神道を継承しそのエッセンスを現代に活かそうと試みています。
    この方々も私が神!五次元!二項対立を越えよう!
    というビジョンを語ってます。
    非常にヌーソロジーに近い世界観と私は睨んでおります。

    いずれにしても、モヤモヤとした霊的認識への限界を突破しようとする時には
    ヌーソロジーは良い材料になると思います。
    「奥行きの子供達」という、映画からヌーソロジーを語るという書籍が発売されて間もないのですが
    私も買って読んでみてますが中々面白いですよ
    興味がおありならチョーおすすめです!
    | てるぼう | 2019/05/07 7:00 PM |
    てるぼう様へ
    ヌーソロジーのやり取り、とても勉強になりました。ありがとうございます!お二人の知的なコメントの間に割り込んでしまう形になってしまい申し訳けありませんでした。桜葉さんにも心の負担をかけてしまい申し訳けなく思っています。

    私の人生はエゴとの戦いでした。「原罪」「堕落性」という概念に縛られて、必要以上に贖罪意識に縛られていた気がします。そのような信仰観から解放される時を迎えているのかも知れませんね!UC圏の心の解放を神様は願われているのではないかと思います。





    | 海がめ | 2019/05/07 10:37 PM |
    私は、海がめさんのような方も、てるぼうさんとような方も
    ここに訪問して声をかけて下さることがとても嬉しいです。
    みんな生きた人であるので、この世界に貴重な一人一人なので、
    交流を持てることが私にとっての豊かさに繋がっていくことを感じられるんです。
    私自身のエゴもやっぱりあるので、偉そうなことを言いつつきちんと対応できないことも多くて叱られることもしばしばあるんです。
    でも、それを指摘していただけるのもありがたいことですよね。

    読者さん同士で対話していただくのも見てて嬉しいです。
    自由にどうぞ。
    このコメント欄、投稿に制限をかけていませんし文字数制限が見えない(笑)
    あ、でも関連の薄い極端な宣伝行為の場合には警告の上削除することもありますのでそこのところは節度をもって宜しくお願いします。
    | 桜葉佳代 | 2019/05/08 10:31 AM |









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