おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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七つの封印-4 四研成約原理について
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    八段階の知覚的相関図図中に、四研の『成約原理』は『福音』と同じ位置に書いてありますが、あてずっぽうではありません。
    こんなことを書くとクレームが入りそうですが、いつまでも触れないわけにはいかないので書きましょう!

     

    キリスト教会は“僕の僕”を、“僕”“養子”にまで引き上げると前記事で書きましたが、
    “僕の僕”を“僕”に引き上げるためには『戒め』が必要です。
    教会には名残としての戒律がきちんと残されています。
    カトリックとプロテスタントで若干違いますが、『洗礼』『聖餐式』『礼拝』『献金』などの遵守がそれにあたるでしょう。

    勿論、複合的な意味合いもありますから、これらの事柄を否定するものではありません。

     

    福音書の中では、割礼や安息日について縛られる必要はない旨が書かれています。
    しかし中世キリスト教会では、信徒たちは福音から遠ざけられて、教会の権威と儀礼によらなければ天国への門は閉ざされているかのようでした。
    これではイスラエル民族が戒律に従うことを強要していたのと変わりありません。
    つまりキリストの教会も一時期『僕信仰』をしていた時代があったという事です。
    ここから「福音に帰れ」と言って『養子圏』への扉を開いたのがマルティン・ルターです。
    このことは四研の岡本さんにもなんとなく自覚があるようで「自分はルターだ」と言ってもいたようです。

     

    僕の僕にあるものが、いきなり養子や庶子にはなれません。
    だから僕信仰は通過しなければならない道なのですね。
    この成長段階を踏襲する必要性が『同時性』を生んでいる要素のひとつかもしれません。

     

    同じように統一教会も、僕の僕を集めて作られた教会なので、『僕信仰』や『養子信仰』を経なければ『庶子信仰?』や『実子信仰?』にはたどり着けないという事です。

    (はてなマークがついているのは、庶子や実子は宗教卒業する必要がありそうなので『信仰』という言葉が当てはまらないかなと言う意味です。)
    だからエクレジア(初代教会)を経て後、やたらと戒律的な「〜しなければならない」だらけの宗教団体が成立したわけです。
    UCは御言から全く乖離してしまったわけではなく、訓読会などを重視してきましたから、『僕信仰』一色にはなっていなかったとは思います。
    ですから『僕』的に生きている人と、『養子』的に生きている人とが共存している感じも受けます。
    しかし、「〜しなければならない」という戒律の方に、重点を置かれてきた印象がぬぐえません。

     

    UCのエクレジアは1990年代までの献身者を中心にしたホーム生活を送っていたころまでなのかなぁ。

     

     

     

    四研の概ねの主張をざっくり書いてみると
    お父様の御言に立ち返り、ホームチャーチを成して第四アダムを迎えましょうという事になります。
    もちろんこれらには、多くの御言の裏付けと理論展開が付いていますがここでは詳細は書きません。

     

    ★御言は暗号で書かれているので文字のまんま読んではいけない。
    代表的なのが乗り物が出てきたらそれはホームチャーチを表しているんだとか。
    『み旨』と『摂理』を混同してはいけないとか。
    これは原理講論に書かれている『新しい真理』の条件に比喩や象徴によらずあからさまに誰にでも分かるように表現されなければならないというのに引っかかって反撃されています。
    しかし、御言はあくまでも『御言』であって、必ずしも『新しい真理』ではないんですね。
    そして全く新しい概念の話をするときに、何の例えも使わずに語れるわけはないんです。
    実際に、ホームチャーチの概念や、庶子の概念をどうやって説明するのか、考えて見れば分かることです。
    だから“暗号”とまでは言わずとも、背後の理想や心情を理解したいという動機をもって御言に臨む必要はあります。
    四研の御言に対する姿勢は尊敬に値ます。

     

    ★そしてその『ホームチャーチ』ですが、従来は、アンケートなどによる“個別伝道”ではなく、
    戸別訪問による“地域伝道”のことを言うんだと考えられていたようですが、
    四研では祝福家庭が三家庭共同生活するのがホームチャーチなんだと言っています。
    この祝福家庭というのも、一定の心情基準を達成している必要があり、四研でもこの八段階を用いて説明していますが私がここで書いているのとは違った基準になっていますので混同しないようにしてくださいね。
    「とにかく皆さん、神の僕の位置になれるように頑張ってください」と言うので、一段階のハードルはここでの説明よりも高そうです。
    だけど各段階の詳しい説明はまだ聞いたことがないんです。
    ただ、段階を上がればその時は自覚できるんだと言っています。

     

    ★第四アダムと言うのは文鮮明師の庶子の更に庶子の立場のお孫さんとしています。
    (四研は六マリアは事実だったと認める立場をとっていますが、それは庶子の必要性のためだという事です。)
    第四アダムはホームチャーチを作って待っていれば向こうから尋ねてきてくださるという話になっています。
    洗礼ヨハネは自分でイエス様を探しに行ったのではなく、イエス様の方が洗礼ヨハネを訪ねてくださったんだという話ですね。

     

    ★そしてこのホームチャーチ運動をするのが第四イスラエルなんだと言います。
    第四イスラエルとは、イスラエル民族、クリスチャン、成約聖徒(食口)…に続くメシアのための基台ということですね。

     

     

     

    この中で、ホームチャーチの定義が伝道手法ではなく、祝福家庭の共同生活とされていることに注目します。
    主従関係ではないフラットな関係がここで築かれます。
    御言を中心に据えたフラットな関係ですから、出来上がればかなり洗練された養子圏の環境が整います。
    (ここでいう『養子』はこのブログ上での意味合いです。ややこしくてスミマセン。)
    自主独立した環境での対話を持った関係です。
    この環境があって『庶子』は現れることができます。
    この『庶子』は心情の段階としての『庶子』ですが、恐らく四研はこの庶子を見出すことはできないんじゃないかと感じています。

    メシアと言うのはこれまでそうであったように、願った姿でいらっしゃるお方ではなさそうですから。

     

    『庶子』については回を改めて書いてゆきます。

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