サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
<< 六マリアの話題に触れて。。。 | main | 原罪についてどう考えるのか?続き・完結 >>
原罪についてどう考えるのか?
0

    『原罪の件ですが、桜葉さんはどの様に考えていますか??
    今のUCの分派問題を考えると、どうしてもここに行ってしまうので、桜葉さんの思想、見解を聞かせてください。』

     

    という直球の問いを頂きましたが、何を回答すればよいのでしょうか?
    この問いを説く鍵は『原罪』とともに文中にある『UCの分派問題』でもあります。

     

    分派問題と原罪であれば、これは原罪を脱ぐための『祝福』の問題でもあります。
    何故ならば、『分派のどこで祝福を受ければ原罪を脱ぐことができるのか?』が関心の中心にあるからです。

     

     


    アボジが存命中は、メシアの祝福を受けることで原罪が脱げて144,000の額に印を押されたものとして天国の門をくぐることができると信じられてきました。
    祝福を受けただけのカップルならば、そんな数はとうに超えていると思いますが…まあ、それはメシアの勝利圏によって恩恵が拡大されたとかいろいろ言えるので大した問題ではないのだと思います。
    分派問題はこの祝福の権能を誰が相続しているのかという問題なのだと思います。

     

     

     

    正直なところ、祝福を受けている方、どなたでも祝福の権能は相続しているのだと私は思います。
    オモニでも、子女様のどなたでも、どこぞの教会長でも構いません。
    『私は文鮮明師の祝福を受けて、神の血統に繋がるものだ』という自負があればそれで十分だと思います。
    そんなことで原罪が脱げるものかとお思いになるでしょう。
    そうです。脱げません。
    これは原罪についての捉え方に問題があるからなのです。
    “豚肉を食べたらいけません”と同じことだと私は思っています。
    原罪についての教えは別な角度から見直さなければここから抜け出すことはできません。

     

     

     

     


    多くの祝福家庭が大変な苦労の中で日々の生活を送っていることと思います。
    それはまだ神主権の地上天国が復帰されていないからであり、
    国が復帰されれば祝福家庭は真っ先にその国に入籍して地上天国の幸福な生活を満喫できるのだと希望を持っていらっしゃると思います。
    地上天国が復帰されなかったとしても、死んで霊界に行けば億万の先祖たちからの歓迎を受けて幸福な永遠の命を堪能できると信じていらっしゃるのでしょう。

     

    それが本然であり、そうでないのは人類始祖が堕落して、全人類に原罪という罪科を負わせ、
    サタンからの讒訴を受け続けなければならなくなったからだと、堕落論を読めばそんな風に読み取れます。

     

     

     

     

    原罪とは、人類が幸福な社会を築くことを妨げる足枷(あしかせ)のことを、聖書でそのように命名したのですね。
    そしてその足枷の鍵と鎖を握っているのがサタンだということでしょうか。
    人間が実生活を送る地上の問題だけではなく、霊的な問題が大きくかかわっていることを説いています。
    だから人類が地上でいくら努力をしてみたところで原罪は拭うことができず、メシアによる救済が必要なのだと考えるのです。

     

    ところで、祝福を受ければ原罪は脱げると考えるのは、祝福こそがメシアの権能であるという考え方です。
    しかし多くの祝福家庭が幸福からは遠く悲惨な状況にあるのは、先祖からの遺伝罪や民族的な連帯罪、あるいは自犯罪が引っかかっているからそれぞれが蕩減条件を払わなければならないんだと考えます。
    その蕩減を払うための恩恵が清平の先祖解怨にあたるのでしょうか。
    本来ならば、原罪以外のすべての罪を自力で拭ってから祝福に臨むことが天の願いであったと言われます。
    クリスチャン達が供えられた民として、メシアを受け入れていたら原罪以外の罪の清算を終えた状態で祝福に臨むことができたはずだと教会は教えています。

     

    自犯罪は自分が犯した罪なのでわかりやすいですね。
    正しく生きることができればこの罪を負うことはありません。
    連帯罪は難しい事です。
    罪を犯すグループに所属しないことができるでしょうか?
    自分が所属するグループに責任を持って善導できなければこの罪を免れることはできないでしょう。
    遺伝罪はもっと難しいです。
    なにしろ過去の事柄ですからこれは蕩減法を知らなければ解くことができません。
    キリスト教会には清平はありませんしね。
    原理講論にあるように、悪霊の協助を受けたときに感謝して越えるという蕩減を払う歴史があるのでしょうか?
    謙遜柔和の生活によって時間をかけて成すということもあるのかもしれません。

     

     

     


    『罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。』
    結論として罪とは天法違反です。

     

    この一節を読んで、相対基準を合わせるくらいならば罪ではないとかいう人もいますが、
    相対基準を造成した瞬間に授受作用は始まるのです。
    授受作用すれば授受作用力は生まれます。


    “相対基準成立”→“条件成立”→“授受作用成立”→“授受作用力の発動”→“罪の成立”


    授受作用にはいろいろな種類があり、何かを見ただけでもその刺激を受けて思いが発生するのですからそれは授受作用力の発動です。
    サタンと授受作用しないためには、サタンと相対基準を結んじゃだめだよと原理講論には書いてあるのです。
    常に思いの次元から分別されている必要があります。
    それをしなければ罪の幹はおろか枝葉を払うこともできません。
    クリスチャンは2000年かけて修道生活を通じて罪の幹までも断ち切った立場に立たなければメシアを迎える資格を得られなかったんでしょうか。
    正直、それでは楽しくないですよね。幸福になれるんでしょうかね。
    だから実際にはクリスチャンは罪の歴史を繰り返してメシアを迎えることに失敗しています。

     

    再臨主が責任を持つのは原罪だけなようですから。

     

    初臨のイエス様はこの辺りの罪は全部許していますね。
    ただし、「もう罪を犯してはいけない」とは仰っていますが。
    それでも罪を犯し続けた人類歴史は原罪ゆえだと教会は語ります。
    クリスチャンもまた、心の奥底から湧いてくる罪の思いこそを原罪と呼んでいます。
    原罪があるうちは、サタンと相対基準を造成する条件があるのです。
    しかし、原罪を脱ぐためには原罪以外の罪を拭ってメシアを迎えなければならない。
    結局は無理難題でしかない。
    全く救のない話です。

    ダカラサンダイカケテフッキサレルトイウノデショウカ?

     

     

     


    旧約の律法はそれを完全に守ることは難しい。
    「まぁ、だから全部守れなくってもそこそこで大丈夫だよ、そこそこと言ったってそれでも大変な事なんだから」と、考える人と、
    「神様の教えを軽んじてはいけないから頑張らないと」と考える人に分かれますね。
    そして後者の人たちの中に与えられた福音が
    「守ることができない弱い人間であることを自覚して神のもとに帰っていらっしゃい」というのが新約の教えでしょう。
    しかし、統一原理はそんな甘いことを言ってはいけないとばかりに旧約的な信仰に戻っています。

     

    前者の人たちは、
    アブラハムの末であるイスラエル民族は死後皆アブラハムの懐で安楽な生活ができる。
    律法を破って神の怒りに触れなければ大丈夫。

     

    これ、祝福家庭は同じことを考えていませんか?

     

    祝福を受けて原罪のない血統転換された私たちは死後天一国で安楽な生活ができる。
    祝福を全うし、血統を守れば大丈夫。

     

    もはや地上天国は遥か彼方です。

     

     

     

    さて、天の摂理は人類にとんでもない無理難題を持ちかけては、降参するのを待って話をひっくり返します。
    これは人の心に変革をもたらすために成されていることで、悪ふざけでやっているのではありません。
    人の心の傲慢を取り去ったり、過分な欲望を捨て去らせたりするようです。

     

    イスラエル民族は他民族からの圧政から解放してくれる民族国家を立てて下さる王を待っていました。
    しかし、そのような王は未だ訪れません。

     

    クリスチャン達は私の罪を拭って聖いものにしてくださる救世主を待っています。
    聖くしてくださるというのは原罪を拭ってくださるということで、『原罪』を意識しているのは古今東西クリスチャンのみでしょ?

     

    統一教会が掲げたメシア像は?

    私達をきよらかな存在たらしめ、幸福な国家を建設する王様って旧約と新約を混ぜただけですよね?

     


    新しい真理として新しい切り口で読まなければ正しい意味を理解することはできないのだと思います。

     

     

     

    長くなったから一回切って続きます。

    | おーば | - | 17:19 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    記事にしてくれて有難うございます。

    続き楽しみに待ってます。


    質問、コメントは全部読まして頂いてからにします。
    | 無名権兵衛 | 2018/11/23 11:01 PM |









    http://blog.o-baka.com/trackback/417
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    << November 2019 >>
    + 自画像・ホームページ
    + ブログ村ランキング
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + CATEGORIES