サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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孤独な道を歩む時に
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    大切であり、愛おしくさえ思う兄弟がどうにも暴走しておかしな方向へ向かいそうに感じるのです。

     

    彼らは誰よりも御旨に真剣な人だ。

    恐らく、真剣であるがゆえに、深刻に受け止めて自身の考えに固執し、周りの声が聞こえなくなるのだ。

     

    それはある意味では貞操観念のなせるわざなのです。

    そして責任心情から思い立った事柄を実践しようとしています。

     

    この傾向は、自分がアベルの立場に立ったと感じられたところから顕著になると思わiれます。

    御旨に対する責任と共に、カインに対する責任の両方がかかって来た時に彼は孤独になる。

     

    どうすれば良いのだろう。

     

    カインに対する見栄もあるかもしれない。 自分が責任者であるというプライドなのか。
    いや違う、それは自ら課した、感じた、使命感なのだ、責任心情なのだ。

    だとすれば、なんと巧妙な罠なのか。

    神への貞操と責任心情がその人を個人霊界へ引きずり込む。
    そこに待っているのは独善でしかない。
    これは統一食口の群れ全体でも同じことが言えるのかもしれない。

    自分だけ、自分たちだけが理解している使命への貞操。
    それを手放すことは自身の存在の価値観を崩壊させかねない。
    そうなれば、そこから抜け出すのは容易では無い。


    結局は傲慢の罠なのだろう。
    自分のための傲慢だとは思えない、公的使命を守るための悲壮な決心だと考えているのだ。

    それが、彼らを組織から孤立させ、統一の群れを社会的にはじき出させた。




    だけどそれは神の願いなのか?


    エバは堕落の直前に孤独には孤独になるよう仕向けられたと聞いたことがある。
    誰にも相談できない孤独な立場。
    神に相談していれば堕落はなかったと。

    孤独にならなければ良いわけでは無い。
    人は孤独の道を通過する必要がある。
    その孤独の中で何を選び取るのか?
    そこに自らの意志があらわれる。
    何もかもを誰かに決めてもらうことはできない。
    誰かに頼っているうちは、自立の道はひらかれない。

    私達はそんな孤独の淵からでも、神を見つめつつ人を愛する視点を忘れてはならない。
    その愛は、独りよがりではなく相手の堕落性を抱きながらその奥の本性を見つめるものでなければならないのかもしれません。

    | おーば | - | 08:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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