おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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信仰とは?
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    最近は色々な人と個別に交流を持つ機会が増えているので受ける刺激が多様です。
    そうすると感じる内容も多様になって、まとまったものを書くことが難しくなっています。
    Twitter始めちゃったことも一因で、どこかに書くと書いたことで満足する傾向はあります。
    あまりに収拾がつかないのでTwitterも書き込みが減っています。
    いっそのこと書くのをやめちゃおうかとも思ったりしますが、そうもいかないみたいなので性懲りもなくキーボードを叩き始める...。

     


    一時期心情の八段階についてばかり書いていましたが、
    接する相手が増えるとこの段階についてはより一層考えさせられます。

     

     

     

    信仰とは何でしょうか?

     

    真面目に訓読会に参加し、礼拝に参加し、書写、解怨、大会動員、献金を一生懸命捧げる。
    教会が示す方向性は絶対に間違いがないから必ず従う。
    何か疑問が起こったとしても、それは何か意味があってのことで自分には理解の及ばない摂理なのだ。
    私たちはメシアに従っているのだから間違うはずがないのである。

     

    と、いう信仰観が一つ。

     


    今の私の信仰観は、
    礼拝、献金、まぁできる範囲でしんどくならない程度に(もっとも既成キリスト教会だけど)。
    常に共に在って下さる神様を信頼し、『私』がするべきことを良心に従って行います。
    神様が愛する兄弟姉妹を私も愛します。

     

    と、いう感じ。

     

     

     

    先の信仰観で生きている人から見れば
    そんな生ぬるい信仰で天国に入れるはずがない。
    ましてや祝福受けていなければ原罪も脱げていない。
    そんなのは信仰とは言えない。

    という話でしょう。

     

    実はこれ、『行義信仰』と『侍義信仰』なんです。
    組織に所属していないので指示を出してくれる人はいませんから、自分で祈っていくしかありません。
    それが結果として信仰的自立をせざるを得なくなり、自ら侍る生活になるのです。

     

    組織に所属していると、言われたことをやることになりますから、
    やるときにいくら精誠込めたとしても自ら侍ることにはならないんです。
    行義の信仰は僕の信仰です。
    それでは天一国主人にはなれません。

     

    言われたことをやるなとまでは言いませんが、
    言われないけどやるべきことを主体的にやってみるべきでしょう。
    自分の信仰、自分の人生には自分で責任を負わなければならないのです。

     

    「後の責任は神が持つ」というのは主体的信仰者の歩みにのみ有効な御言です。

     

     

     


    実を言うと、Twitterで二世の子たちの話を見ていると、
    彼等の信仰に対する認識が『行義』なんです。
    彼等は純粋で優しい子たちが多いので、『行義』なんて受け入れられないですよ。
    だから教会に反発してしまう。
    信仰に反発してしまう。
    一世の皆さん、親であれば範を示してあげませんか?

     

    | おーば | - | 23:05 | comments(17) | trackbacks(0) | - | - |
    Twitterのアカンとは何ですか?
    | Twitterのアカンとは何ですか? | 2018/04/29 1:19 PM |
    アカン。。。?
    何のことだろう??

    もしかするとアカウントのことかもしれないですね。
    自分の名前(本名はほとんど使いませんよ)や参加するときの設定をアカウントと言いますが、“アカ”と省略してるのはよく見かけますけど“アカン”は見たことが無いです。

    Twitterは略語だらけですので私も推測しながら読んでます。

    参加をお考えならば、
    あれこれ詮索したり、
    お説教したりしないでくださいね。

    彼等はとってもデリケートです。
    さながらバードウォッチングのように見守ってあげてください。

    子供たちは
    | 桜葉佳代 | 2018/04/29 8:38 PM |
    こんにちは。カテ違いで初歩的なコメントで申し訳ありませんが、(い鯑海根拠に´△鰺僂ぁ↓はい鯤箒)、どのように思われますか。

      悵篥岨DNAは誰が作ったのか』

     地球上の全ての生命に遺伝子DNAが組み込まれていますが、1mとか2mとかの長さがあり、4種の塩基配列は複雑精巧で、自己修復機能まで有します。

     こんなものが自然や偶然に出来るわけが有りません。作ったのは「遠い未来の人間」です。

    ◆ 慂質(原子)は誰が作ったのか』

     地球上の物質(原子)は百余り有りますが、陽子・中性子・電子の3者で構成され、それ以外の構成は存在しないし、規則性とか法則性に支配されています。

     中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)もα線とかβ線などを放射して崩壊し、電子は電荷を内包しています。

     こんな複雑な物が自然や偶然で出来るわけが有りません。原子を作ったのは「遠い未来の人間」です。

     (uクォークとかdクォークとか中性子のβ崩壊で発生する陽子や電子ニュートリノなどの難しい話ではなく、単に『こんなもの(原子)が自然や偶然に出来上がるものか』ということを、お尋ねしております。)

     宇宙の始まりが無機であったとしても、進化の途上で有機(生命とか生活機能)が生まれ、さらに彼らが多様な進化を遂げたうえで、人間や様々なものが作り出された可能性は否定されるものでしょうか。

     (胎児の成長過程で一時的に見られる「尾っぽ」とか「指の水かき」は進化の記憶でしょうか。)

    ぁ 愡笋燭舛録郵的に作られた肉体を使って、人工的に作られた「場」で生活をしていますが、実は、今の世界は実在しない虚構であり、実在する本当の自分は「DNAや原子を合成する科学を持った遠い未来」(真実の世界)にいます。』という発想は、(無限回の問答は抜きにして)、成り立つでしょうか。
    | どう思われますか | 2018/05/07 10:52 AM |
    こんにちは。いつも興味深く拝見しております。ところで、「終末予言」について、ご興味をお持ちでしょうか。

    世は、七度の大変りと知らしてあらう。(黄金の巻 第26帖)

    世はグルグルと七変り、改心の為 世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。(黄金の巻 第71帖)

    ★(追記)
     上記以外にも、シリウスファイルのオコットのメッセージ、ヒトラーの予言、エズラ黙示録、ヨハネの黙示録(外典)、マザーシプトンの予言、ビリーマイヤーの予言、その他の予言などにも類似性や関連性が認められます。

    どう思われますか。
    | 7回目の終了です(その3) | 2018/05/07 10:54 AM |
    こんにちは。

    どう思われますかさんと、7回目の終了です(その3)さんは同一の方でよろしいでしょうか?

    カテ違いですね。そのカテゴリーでは初歩的なご質問なのかもしれませんが、私には知識の乏しいところなので、
    答えは「私の今の考えではこう思います」というレベルです。

    ´△量笋い如◆蛤遒辰燭里蓮岷鵑ぬね茲凌祐屐廚任后”とご自身で応えられています。
    世界が作られたものであるという考え方には同意しています。
    作られたという表現よりも創られたという表現を私は好みます。
    問題は「遠い未来の人間」ですね。
    聖書の中には世界はイエスによって作られたというような表現があります。
    統一原理はご存知でしょうか?
    統一原理ではこの聖書の記述に対して創造目的が完成した人間にあることから、
    創造理想を完成した存在であるイエスの“像”をもとにすべてが作られたという意味でこれを肯定しています。
    同様に「遠い未来の人間」というのが遠い未来に創造理想を完成した人間という意味であるのならばこれも肯定できる内容になります。

    の進化論的な工程を私は否定しません。
    それは工程として認められると考えますが、その進化は偶発的なものではなく、設計図に基づいて進められたものであると考えます。
    胎児の成長過程に現れるものは記憶なのかはたまた必要があって一時的に現れるものなのか、は私には分かりません。
    もしかすると、私たちに何かを伝えるために記録されているのかもしれないという可能性も感じます。

    い肋々飛躍しているように思います。
    作られた「肉体」、作られた「場」はいいのですが、それを「人工的」と断言するのはいかがでしょうか?
    「人工的」という言葉が表現すると、どうしても今身近に生活する「人」を連想してしまうので、
    環境の中で誰かからの支配を受けるような印象を持ちます。
    創造理想を完成した人間の姿を設計図として世界を作られた方を私は「神」と呼びます。
    この神の目から見たときに、いまだ完成できないこの世界人類は「完全な存在ではない」という意味において「虚構」と表現できるかもしれません。
    「DNAや原子を合成する科学」を遠い未来に人類が手にするのかどうかも分かりませんが、
    その科学は「未来の人類の科学」と呼ぶよりは、「過去の神の科学」と呼ぶ方が私にはしっくりときます。

    「本当の自分」=「創造理想を完成した自分」は実体として将来実現したいですね。
    | 桜葉佳代 | 2018/05/08 11:31 AM |
    黄金の巻というのは初めて聞きました。

    終末予言というのですか?世界の終わりを予言するものは少なからず存在していることは知っています。
    7回終わるというのは、これも文鮮明師の「八定式」のみ言葉を思い起こしました。
    人の心は8段階の成長をするということなのですが、最終段階に上がるまでに7つの段階を終了する必要がありますから。

    予言の例を挙げていただいた中できちんと名前を認識しているのはシリウスファイルくらいでしょうか。
    最近ヌーソロジーの話題をよく目にします。

    前のコメントにも書いていますが、表現された言葉の意味をどのように受け止めるかが問題になってきます。
    逆に、同じ内容を表現するために選んだ言葉が人によって異なってしまう場合もあります。
    私は自分の経歴上、統一原理の用語に翻訳するようにしています。
    母国語のようなものですね。

    最近、ユングの本を読みかけているのですが、「集合的無意識」というのがあります。
    この無意識がどのような形成のされ方をしているのかが重大問題ですが、
    多くの予言もこの集合的無意識に由来するのではないかと考えます。

    集合的無意識は、『霊的存在』『語り継がれる言語・習慣』『DNAによって伝えられる人間の基本的欲求』などからの形成が考えられてます。
    問題は『霊的存在』がどうやって関わってくるどのような存在なのかというあたりではないでしょうか?
    人によっては『宇宙人』『未来人』からのチャネリングとして対応しますね。

    いずれにしても、共通する内容を語るというのは源を一にしているということだと思います。
    最近思うのですが、同じようなことを表現するにしても『視点』が変わると表現が逆になったりしますね。

    予言を受け取るには、自分の立ち位置をしっかりして捉えなければ翻弄されてしまいそうです。
    | 桜葉佳代 | 2018/05/08 11:48 AM |
    大馬鹿代さんって独身でしたっけ?
    子供はいないんですよね。
    新約のキリスト教会にはまだ通っているのでしょうか?
    どんな感じですか?
    たくましく生きて投稿されている大葉さん見ていてとっても励みになります。
    | 大馬鹿代さんのたくましく生きている姿に感動してます。 | 2018/05/10 5:28 PM |
    こんにちは

    たくましく生きるというよりは図々しくも生きています。
    とても中途半端な存在ですね。
    法的には独身ですが、夫のような人はいるけど出産経験はないです。
    自称食口ですがプロテスタントの教会で洗礼も受けて今も通っていますよ。
    プロテスタントは聖書の民ですから、
    一般社会よりは安らぎます。
    でも、神様のご事情は理解していませんので、そこに安堵できるわけではないのですね。
    私はアボジの御言を捨てることができないので。
    | 桜葉佳代 | 2018/05/14 1:37 AM |
     ,海鵑砲舛蓮いつも興味深く拝見しております。4月28日付「信仰とは」にコメントをさせていただいた者ですが、御丁寧な回答を頂きまして、有り難う御座いました。

     私は、『自分が数千年後の未来に居て、そこで、VRゲーム(バーチャル・リアリティー・ゲーム)を行って、ゲーム「第7次太陽系次元の地球」に意識が全部入り込んだ場合を想定しました。
     すると、自分の肉体とゲーム機が存在する「数千年後の未来」が本当の自分の世界なのか、それとも、ゲームに入り込んだ自分の意識が存在する「第7次太陽系次元の地球」が本当の自分の世界なのか』、と考えていたら訳が分からなくなったので、コメント欄でお尋ねした次第です。

     > ・・・作られたという表現よりも創られたという表現を・・・

     おっしゃるとおりです。何回も検討したのですが、人間から見れば「創られた」であっても、彼らにすれば「作った」程度ではないかと。

     > ・・・胎児の成長過程に現われるものは・・・私たちに何かを伝えるために・・・

     おっしゃるとおりです。気付きのための「引っ掛け」かとも考えてみたのですが、『神様は決して嘘を付かない』とすれば、そのような過程を辿ったのかも。

     >最近、ユングの本を・・・

     私も本は好きです。ユングやフロイトには「遠い昔」に出会いましたし、「デ・カン・ショ」にも出会ったことが有りました。みんな「忘却の彼方」に消え去りましたが、「追憶」に興味は有りません。

    ◆,箸海蹐如⊇末予言の「その時」に、ご興味をお持ちでしょうか。

     「神示」では『辛酉はよき日、よき年ぞ』(下つ巻・第30帖)とあり、次の辛酉は2041年になります。そして次に、『四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ』(富士の巻・第19帖)とあります。

     上記の2点につきまして、「ヒトラーの予言」にも近接する年代や類似する事象の表現があるようですし、「シリウスファイルのオコットのメッセージ」でも近接する年代や類似の表現が認められるようです。
     (この2例はネットで閲覧できますが、著作権が一々面倒ですし、ウィルス感染問題もありますので、リンクは割愛させていただきます)。

     ここで、神示・ヒトラー・オコットの予言の「その時」の年代は、2041年の数年前から2041年までということになり、20年くらい先の話ですが、随分と気の長い話となります。

     ただし、『天の異変 気付けと申してあろが』(夜明けの巻・第3帖)と有りますように、前兆現象としての天変地異は益々激化して来るように感じられます。

     また、オコットのメッセージの類推解釈から、マヤの2012年の後から「変換の仕組み」が始まっており、中程からは「転換の仕組み」が始まるものと想像しますから、のんびりと20年先を待つわけでも無さそうに思われます。

    ★ どう思われますか。

    | 7回目の終了です(その7) | 2018/05/14 10:15 AM |
    仏教の方では、“この世は仏の見る夢”という考え方がありますが、これがVRの考え方と同じではないかと思います。
    身近に経験できるのがアバターを使ってのコミュニティ体験ではないでしょうか?
    これを考えるときに重要なのがアイデンティティの問題かと思います。

    端末の前にいる私とVRの中の私は同一でしょうか?
    同一ではないですね。
    端末の前にいる私は複数のアバターを操ることができます。
    自分以外の誰かのふりをすることもできます。
    もちろん、真っ正直に自分の個性を投入することもできます。

    仏の夢と考えたときには、明らかに別存在ですね。

    私が夢の中の登場人物の一人であったとして、あるいは複数設定されたアバターの一体であったとして、
    私が私だと感覚するアイデンティティに自由度が許されているのならば(許されていると感じられるならば)何の問題もないと思います。
    何故なら私は幸福に生きる自由が与えられているということですから。

    ゲーム主催者のアイデンティティを心配する必要はないのではありませんか?
    もっとも、神という存在を思うときにはVRの中の神はゲーム主催者ということになりますね。

    私は信仰生活の中で神様と対話することを覚えました。
    その対話は心地よいもので、信頼できる相手だと確認しています。
    その対話の相手が神ではなくゲーム主催者であったとしても何が変わるでしょうか?

    ゲーム主催者と呼んだ時には、なんだか信頼性が下がった気がしますね。
    それは相手を“人間”と呼び、自分と同等に引き下げているからです。
    しかしゲーム主催者だったとしてもそれは私と同等の人間ではありません。
    その時の私は一個のアバターですから。

    主催者は私のアイデンティティが幸福になるためのアイテムを様々に準備してくれています。
    私が知りうるすべてを配慮したのが彼だということになります。
    その中で自由な幸福を持ちえるのならば十分ではありませんか?

    それがアバターである私の“分”です。
    それ以上は望みようがありません。
    それを望むところには幸福はありません。
    つまらない発想だと思われるかもしれませんね。

    でも、彼を“主催者”ではなく“神”と呼べば大した問題ではありません。
    彼と自由に対話ができ、信頼関係が築けることを知ればなおさらですが、まだすべての人がそうしているわけではありませんね。

    「神様は決して嘘をつかない」と考えていらっしゃるならば問題はないでしょう?

    誰かがそんな風に表現すれば、なんだか不安になってしまうかもしれませんが言葉を変えただけで何も変わりません。
    未来人だろうが宇宙人だろうが同じことです。

    私が慕う神様は第一原因である創造主です。
    宇宙人や未来人として複数の立場が存在するならば、彼らを創った存在があるでしょう。
    それが創造主ということにはなりますね。
    そうするとゲーム主催者は天使の位置かもしれないですが…。

    第一原因は唯一であると考える根拠は世界に互換性があり詳細につじつまが合っているからです。
    その中での信頼関係がもっとも重要なことかと思います。

    信頼関係が構築できれば必要なことは教えていただけるものだと思っています。
    それは様々な形で伝えられるので、今こうして与えられた対話の中にも私に伝えたい何かを含んでいるのかな?と思います。
    本との出会いも必要な時に必要なものが与えられますね。


    「神示」は「日月神示」のことですね?
    漢数字と記号で書かれていると聞いています。
    八通りの解釈ができるとか?
    勧める人によく会いますが、気には留めつつもまだ読む機会には恵まれていません。
    解読本は解読したその人の基準で解読されるものではないかと思いますし。
    もっとも日本語の聖書インスピレーションを得られるのですから解読本でも多くを得られるのでしょうか。


    「その時」は近いのでしょうね。
    現状の惨憺たる様がそれを示しているのだと思います。
    備えていくことの必要性は感じていますが、具体的に何を備えたらいいのかを示せないといけないと思っています。
    声を大に叫ぶこと、必要なのでしょうがいたずらに混乱を招くのも問題でしょうからちょっと慎重です。

    20年程度で完了する(本当の始まりでしょうか?)のならば希望的でしょう。
    統一原理と出会って30年たちます。
    問題は艱難ですね。
    如何に超えるか。



    私は読書家と言うにはほど遠いのだと思います。
    ろくな回答ができなくて申し訳ありません。
    | 桜葉佳代 | 2018/05/14 6:28 PM |
     ,海鵑砲舛蓮いつも興味深く拝見しております。4月28日付「信仰とは」にコメントをさせていただいた者ですが、御丁寧な回答を頂きまして、有り難う御座いました。

     長文の御回答を頂きまして、大変、恐縮しております。御回答を噛み締めながら、今後の参考にさせて頂きたいと存じます。有り難う御座いました。今後とも宜しく御願い申し上げます。
    | 7回目の終了です(その7−2) | 2018/05/21 10:01 AM |
    こんにちは。
    記事を読んでいくうちに、私、指示待ちというか、組織信仰だったなと改めて思いました。私がしてたのは信仰とは違いますね…。ズレてました。
    組織の中にいて安心していただけ、従っていれば安心という感じでしょうか…。

    今、むしろ組織から離れて主体性を持たざるをえないです。
    色々と難しいこともありますが、この環境に感謝です。

    若い人は純粋だし、善悪の判断も早く出来、行動も早いような気がします。
    年齢を重ねると、ある程度で妥協とか、先に頭で損得勘定をしがちで、わかっていても動かない、動けないこともあり….。
    若い人へのお手本にはほど遠くなりがちです。

    桜葉さんと周りにいる子供達、お互いにいい影響を与えあってるんでしょうね^^。
    | koguma | 2018/11/07 1:11 PM |
    kogumaさま

    何時も丁寧に読んでくださってありがとうございます。
    組織の中にいるとどうしてもいろいろな指示、指導が飛んでくるので、主体的な信仰を持つことが難しいようですね。

    だからこそアボジは環故郷とか、個団摂理とか、食口達を外へ出し、それぞれの成長を促すために摂理をなさったのだと私は解釈しています。

    困難の中に神様を求めることは貴重です。

    まだ自力で神様を求めることができない人たちも多くいらっしゃるようなので、どうしても形から入る行義信仰の中で子供たちを育てますからいろいろと大変なことも多いようです。

    外に伝導に行くことばかりを考えますが、内部伝道というのも必要なことではないかと感じます。
    | 桜葉佳代 | 2018/11/10 2:57 PM |
    はじめまして。
    たまたまツイッターでお見かけして、
    リンク先の貴方のホームページのプロフィールを見ました

    なんと
    同じ出身で、
    年齢もひとつ違い、
    統一教会に関わりだした時期もほとんど同じです!
    なんだか、素通りできなくて、
    記事を読んでしまいました。

    今は完全に信仰とか教会から離れてしまった生活をしていますが、
    10代の終わり近くで出会った衝撃的な出来事は、30年以上経っても忘れられません。
    家庭連合と名前を変えようが、
    今後も忘れたくても忘れられないでしょう。

    まだ2つのブログ記事しか読んでいませんが、これから読ませていただきます。

    よろしくお願いいたします。
    | チビた | 2018/12/03 1:05 PM |
    チビたさん初めまして
    地元繋がりなんですね!
    Twitterの共通フォローがSA氏一人なのに笑いました。
    教会ばかりじゃなくて参院選あたりでも行き会ってるかもしれませんね。
    何かのご縁です。よろしくお願いいたします。
    | 桜葉佳代 | 2018/12/03 4:56 PM |
    桜葉さん! 
    さきほど「神様と呼ばれる存在と私」のページを読ませていただきました。
    不勉強な私が昨日たまたま「五蘊」という言葉の意味を知ったところだったのですが、
    今日は桜葉さんのページで「五蘊」の文字を目にするとは・・・。
    またビックリ!
    まさか同じ小学校だったりして(^^)

    ちなみにお名前をお読みするときは「サクラバ」さんです。

    | チビた | 2018/12/03 6:48 PM |
    必要な言葉を、本やネットを通じて与えられることがしばしばあり、興味深いです。
    「五蘊」というのも向こうから飛び込んできた言葉だったと思います。

    「神様と呼ばれる存在と私」書きかけのまんまにしちゃっててスミマセン。
    続きを書くか、きちんとまとまった形を作りたいと思いつつもまとめ上げるだけの力量にはまだまだ不足で、情けないばかり。。。

    自戒を込めて「おーばかよ」と名乗っております。

    最近、食口や、元食口と繋がりを持つことに凝っています。
    もしよかったらお茶でもしましょう!
    | 桜葉佳代 | 2018/12/04 5:07 PM |









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