サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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創造の初め
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    創造の初めに何があったでしょう?

     

     

    何もなかったのです。

    何もないというのがどういうことかというと、 目が無く、鼻が無く、耳もなく、舌もないのです。

    だから存在することを『知る』ことができません。

    視覚も、嗅覚も、聴覚も、味覚も、触覚もないのですから何も知りえないのです。

    それらの『知覚』の全てが後から創造されたものだと知らなければなりません。

     

     

    自分が自分であると感覚できるのは、自分以外を意識することができるからです。

    呼吸したり、食事時をすることは自分ではないものを取り込むことです。

    動画や音楽を楽しむことができるのは、それが自分の外にあるものだからです。

    空想することを楽しむのは、自分の内部でできることのようですが、

    空想するときに現れる人物や様々な存在は、自分とは別の『他者』と考えていることに気づけますか?

     

     

    何もない時には『自覚』することさえも困難なことなのです。

    『自覚』のためには、相対的な『他者』が必要ですが、『他者』を知るための『知覚』が無いのです。

     

     

    何もない時に、何かを創造し始めるには、空想するところから始まります。

    想像から創造が始まったのでしょう。

    でも、その想像には、色も形も感触もありません。

    それが現れるのはもっと後の話です。

     

    最初に現れうるのは『自』と『他』の概念としか考えることはできないでしょう。

    それを存在せしめたのは存在への執着だったかもしれません。

     

    執着と書くと、なんだかマイナスのイメージですね。

    存在するために必要な自他の関係性を求めたと表現すべきでしょうか? 自分を維持するためにどうしても必要不可欠な他者。

    他者でありながら自身の存在がかかる相互依存的な関係。

    切羽詰まったものがあります。 だからこそ強い強いエネルギーを持つことができる。

     

     

     

     

     

     

    創造主は他者をより明確に感じたかった。

     

    明確にするには『知る』ことが必要になる。

    何も書かれていない真っ白な紙の上に、何か存在を感じ取れますか? よーっく観察すると、そこにはほんのちょっとの凸凹が合ったり、漉きむらがあたりするものです。

    それと同じように、ほんのちょっとの濃淡を感覚してゆくような作業です。

    もっとも、未だ目を持たない存在でありましょうから、視覚的なことを創造する余地はありません。

    濃淡と言っても、皮膚感覚に似た『粗密』程度のことから始まったのではないでしょうか。

    皮膚もありませんけれどね。

    何かしらの陽陰を感覚しながら、それを五感に似た感覚へ展開されたと思うのです。

     

     

     

     

     

    この、五感に展開される以前、対象に陽陰を見出されたくらいの創造主が、

    原理講論に書かれている四位基台的な神の姿ではないかと私は感じています。

     

     

    | おーば | - | 12:54 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    初めまして、こんにちは。
    今月になって、こちらのブログを知りました。
    そしてこの記事がなぜか気になって、何度も読み返しています。
    深い内容ですね。

    私は「母胎(胎中にいる状態)」をイメージしました。
    「無い」から「有る」をつくっていく、「自」も「他」もない。
    とはいえ、私、母胎にいた時の記憶ないんですが…(苦笑)
    母胎の中は、体の一つ一つをつくるところで、霊と魂はまだない所かなとも思いました。

    創造の初めに、「愛」があったと思いたいです。

    それにしても、文章力がありますね、すごくうらやましいです。
    これからも拝読させていただきます。
    良い一日をお過ごし下さい。
    | koguma | 2018/09/25 3:46 PM |
    kogumaさま

    ご訪問ありがとうございます。
    なかなか書き進みませんが、年数だけは長いコト書き続けてますのでボリュームはつきました。
    宜しければあちこちご覧になっていただければ嬉しいです。


    胎中の感覚...『私』の原初。
    自分がどこにいるかなんてわからない。
    自分が自分であるという感覚さえもない。
    『私』が想像しうるもっとも素となる部分なのですね。

    胎のないところから出発した神様の感覚はそこを越えてしまっていると考えると、
    私たちが感じる母胎への愛着、郷愁が、
    被造世界に向かっているのではないかと思ったりします。
    愛からしか始まりようがないと私も思います。


    古い記事にもコメントいただければお返事しますので
    今後ともよろしくお願いします。
    | 桜葉佳代 | 2018/09/26 10:05 AM |









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