おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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原理の根本は四位基台…神様を描写する試み
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    すべての存在の根本的な原因者を私は「創造主」「神様」とお呼びします。

     

    時々、元食口という人たちの中にも
    「私たちがこれまで神様と呼んできた存在は実は沢山いる神様の中の一人だ。」というような人がいます。
    私はその人に聞きたいのですが、
    「あなたはいったい何者を神様と呼んできたのか」
    「あなたは神様と呼ばれるお方と会ったことがあるのか」と。

     

    何か偶像化して神様だと思い込めば先のような発言が起こります。
    聖書に描かれる神様でさえ、一歩間違えば人は偶像化してしまうのです。
    『偶像化』というのが分かりにくければ『擬人化』と言いましょうか?
    キャラクターとして思い描いてしまいます。

     

    しかし原理原則の神様と考えると、宇宙の第一原因としての法則やエネルギーとしての、無味乾燥な冷たい存在になってしまいますが、根本エネルギーは心情的なエネルギーであり、心情エネルギーが原理原則に則って形象化していったのが創造の御業ではなかったのでしょうか。
    私たちの感情でさもエネルギーだと感じたことはありませんか?
    愛や憎しみがすさまじいエネルギーだと感じたことはありませんか?
    それは体力とは関係なく物凄いエネルギーを発します。
    (エネルギーを発した後にはお腹がすいて食物のエネルギーを必要とすることもありますが。)
    私たちは言語生活の中でも、琴線に触れるとか、共鳴するとか、心を震えるものとして表現しています。
    情は振動するエネルギーなのです。

     

     

     

     

    原理講論の基本は四位基台です。
    創造原理と堕落論が四位基台を基礎に語られています。
    つまり『四位基台』こそが『原理』の基礎、根本です。

     

    四位基台は、成分合作用蘇生長成完成の三段階陽陰性形の二性性相の根本です。
    そして授受作用力が発動する場であり、時間性を有します。
    これらはすべて『原理』だと考えていいでしょう。

     


    私たちはこれらの作用構造が原因者である神様の内部にあるからこそ、すべての存在が四位基台的な存在になっていると教わってきました。
    しかし、無から有を生じせしめた神様と考えたとき、このような構造を有する存在を『無』と呼んでいいのでしょうか?
    構造というのは形のことです。
    形が存在すればそれは『無』とは呼びません。
    だとすれば、四位基台はどこから来たのか?
    神様が形を有する様になった経緯が四位基台の三段階だったと考えられるのです。

     

     

     

     

    『無』とはどういう状態でしょうか?
    私たちはそれを想像することさえ難しいのです。
    私たちが何かを考える時には、考える対象としての「何か」が既に存在しています。
    これは物理的な存在ではなくとも、イメージとしての形を持っているという事です。
    謂わば「無形実体」を思っているのです。
    「無形実体」とは霊界のことですが、私たちはそれも神様の被造物であると認識しています。
    禅宗の座禅修行で雑念を払って心を空にするといいますが、とても難しいことです。
    実際には、一つのことに集中するとか、五感の一つ一つを素直に受け止めるとかいう状態を指しているようで、
    何ものか、対象を常に持っていなければ私たちは『自覚』を持つことができません。

     

    自己は他者との関係性の上で成り立ちます。
    近年の量子力学の世界でも、存在は観測されることによって確定するとされます。
    『自』と『他』は存在するための基本となります。
    『一』は『零』と同義になります。
    日常生活の中で、『一つ』という概念は確かに存在していますが、
    それは観測者としての自身の存在前提を省略した形で表現されているにすぎません。
    聖書の中に神様のことが「在って在る者」と表現されていますが、
    最初の「在」と後の「在」は同一存在ではなくて別々の「在」と見ることができます。

     

    『正』から二者が現れて『分』に至り、初めて存在足り得るのです。
    三数が「天の数」というのも納得のできる表現なのです。
    最初の『正』は『無』であり、『カオス(混沌)』と考えるのが妥当であると感じますが、
    その中に目的、動機が瞬間的に表れたのでこれが『蘇生』です。
    彼は求め、「分けた」のです。


    正分合作用では、二段階目を『分』とします。
    弁証法では『反』とします。
    この違いが大きいことがお判りでしょうか?

     

    『反』の場合、『正』の中の矛盾性が顕著になって反発し合って別れます。
    一緒に居難い不快感が分かれる動機にあります。
    ですから別れた二者はその後合成一体化することができずに一方が他方を滅ぼし支配します。

     

    『分』の場合、『正』から分かれる動機が互いの存在のためにあります。
    そのため、相対基準が結ばれて円滑な授受作用を持つことが可能であり、
    存在、繁殖、発展あるいは合成が可能になります。

     


    正分合作用と正反合作用を混同してはいけません。
    正反合の合は偽りの合です。
    (討論形式としての弁証法に於いては、理論の発展を目的として矛盾点を探し『反』を立てます。
    これは矛盾点ではありますが、発展を目的として相違点を求めることで、陽陰に分かれると見られます。
    革命的な弁証法とは異なります。)

     

     

     

     

     

     

    ところで神様が最初に分けてご覧になった存在はどの様なものだったのでしょうね?

    そのことも考えてみないといけませんね。

     

     

    | おーば | - | 22:51 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
    桜葉さん。凄いですね。
    そして 面白い方ですね。あちらのコメントでは、分かりませんでしたが。
    信仰って 色んな形があるのですね。
    勉強になります。ありがとうございます。
    近かったら、会ってみたいです。

    | みな | 2018/01/06 11:50 PM |
    みなさん

    アメブロに引き続きコメントをありがとうございます。
    楽しんでいただければ幸いです。
    神様が、いろんな個性を持つように人間を創造されたので、
    神と我の関係もいろんな形があるのかもしれませんね。

    祝福にしてもそうなのかもしれません。

    私は東京です。
    お話しできる機会があるといいですね。

    このブログはemail記入欄にメールアドレスを入れていただくと
    非公開で管理人にのみ通知されますので、
    ご記入いただければ折り返します。

    良かったらご連絡ください。
    | 桜葉佳代 | 2018/01/07 4:35 PM |
    桜葉さんこんばんは。seed-jkです。
    メールアドレスを記入すれば非公開になるとのこと、桜葉さんとお近づきになりたいなと思ってご連絡差し上げます。宜しければメールいただけますか?宜しくお願い致します^^

    わかりにくいかも?と思って改めてここに...”a p r n a l”です。
    | seed-jk | 2018/01/08 12:30 AM |
    おはようございます。

    「情は振動するエネルギー」
    そうだな!と思うんですが、喉でつかえてる感じでイマイチスッキリと言葉が出てきません。
    友達は祈ると手が揺れることがあるんですが、これも振動するエネルギーかなと思ったり。
    エネルギーは、生きてる所にあふれてるんですよね。
    万有原力はたしか、神さまの力のエネルギーだったような…。
    ああ、私の霊性、まだここまでのようですー。

    「神さまが最初に分けてご覧になった存在」
    すごく面白い発想ですね、私は考えた事もなかったです。
    最後なら人間だったと思うんですが、最初。。。
    神さまが言葉で創り始められてからの最初は「光」だと聖書には記録されてますから、この場合だと光を最初に見られた?
    それ以前は天と地を創造されたとあるから、分けたのは天と地?
    天と地を見られた?
    不思議ですね、本当に何をご覧になったんでしょう。

    あちらのブログとは違うので、ギャップ萌えです^^
    | koguma | 2018/10/25 9:25 AM |
    振動に対しての感性を自分自身がどのくらい開発できているのかがポイントになると思うのです。

    プルプルと皮膚感覚的に感じることができたり、視覚的に見えたりする振動もあります。
    機械的につくられるバイブレーション機能は重りを回転させることで作っているんでしたっけ?
    感動とか恐怖とか、自分自身の感情が肉体的な震えとして現れたりします。

    私が好きなのは音の振動です。
    特に、人の声。
    自分で発するとき、、、大きな声で讃美歌を歌えば、全身にその振動は共鳴します。
    誰かの歌声、楽器の演奏なども、耳で聞こえもしますが全身に振動として迫ってくることがあります。
    そこには感動が伴います。

    量子力学の世界で、ひも理論などは振動からスタートしています。

    神様が最初にご覧になったもの、それは確かに光ですよね。
    光がなければ何も“見る”ことはできません。
    見ると書いたのはちょっと違ったかも。
    最初に“感じた”存在が言いたかったところかもしれません。
    見えたのか聞こえたのか触れたのかは分からないのですけれども。
    | 桜葉佳代 | 2018/10/27 1:02 PM |
    振動についてのわかりやすい説明、ありがとうございました。
    喉のつかえがとれました。スッキリしました^^

    音の振動、人の声。
    「大きな声で賛美歌を歌えば全身に振動は共鳴する」「そこには感動」
    そうですね。確かに経験あります。
    この経験、忘れてました。大切なことなのに。
    気づかせて下さって、ありがとうございます。
    | koguma | 2018/10/27 7:50 PM |









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