おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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久し振りの書き込みです
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    前の記事が10月1日でした。丸2か月以上ほったらかしましたスミマセン。

     

    何をしていたかと言うと、生業が忙しかったこと。

    例年10月11月は忙しいことは分かっていましたが、今年はさらに手不足でにっちもさっちもいかない有様。

    そして、あとはTwitterをやってました。

    こちらは短文の投稿なので何とでもなる世界があるのと、ダイレクトなコミュニケーションがとれるというのがあり、

    二世さん達との交流を持たせていただいてます。

    また、そちらでブロガーのnaibukaikakuさんとも交流を持たせていただき、あちらの『内部改革を希求します。』のコメントに参加させていただいたりもしてます。

     

    で、そんなこんなしていて、頭の中がすっかり変わってしまっています。

    前の続きを書く頭ではなくなってしまいました。

     

    じゃあ、このままブログも畳もうか、なんてことにはならないんですが、気になる方向がちょっと変わってしまったので軌道修正をします。

     

     

    私の願いは地上天国の実現です。

     

    これは原理に触れた当初から、今も変わりません。

    地上天国をつくるために必要なことを書き続けたいと願います。

    勝共、頭翼思想も重要なテーマなのですが、まだまだ『原理』の理解を深め、広める必要があると思えます。

     

    地上天国は神様の理想です。

    地上天国をつくるためには、神様の理想と願いを知らなければできません。

    知るためには、教えていただかないと分からないんですが、そのためにメシアは来られて語られ、示されました。

     

    でも、器が備わっていないがために、様々に曲解してバラバラになっているのが統一家の現状でしょう。

    器が何なのか分かりますか?

    私たち一人一人の心情の器です。

     

    心情の器の大きさを表現しているのが八定式の御言であると思います。

    心情の八段階について、原理講論では触れません。

    私はこの御言が発表された当時、まだ20代でしたが、この内容が何故原理講論に書かれていないのかが不思議でした。

    誰もがいかなければならない道であれば、『原理』と呼ぶにふさわしい内容ではありませんか?

     

    そう、原理講論が書かれた当時にはまだ発表されていなかったのです。

    原理講論の総序には「時が至に従って、いっそう深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」と書かれています。

    つまり、原理講論は原理を網羅していません。

    また、原理講論の第一章が「創造原理」でありながら、第二章から「堕落論」「終末論」と“原理”ではなく“論”が続いています。

    堕落行為は原理的なものではないから“堕落原理”にはならないということです。

    原理講論には原理ではないことも書かれています。

     

    原理は神様が創造理想を実現するために定められた理ですが、私たちはその理をきちんと知っているでしょうか?

    原理講論には全てが書かれていないので、講論を100篇読んでもわかりません。

    多くの御言の中から探し出して整理しなければならないのです。

     

    そんな作業の一端に携わっていきたいと思います。

     

     

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