サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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共産主義者の問題提起に答えを出さなければならない
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    よく見に行くブログに『言語学の嘘』というのがあって、記憶と言語の関係を科学しようと試みているのだけれど、
    そこにコメントする人が「『アカデミズム』に通じなければ科学とは言えない」と主張しているのです。
    そんなものだろうかと読んでいくと、やはり疑問が生じます。
    要は公に公認されたものこそが科学的なのだというだけで、自らの感性・判断力を放棄しているに過ぎない。
    “公”と言えば聞こえはいいが、その実“権威”的裏付けにすぎず、“権威主義”なだけなのです。

     

    そもそも、アカデミー(学会)と言うのはギリシャ時代にプラトンが立てた私塾に源を発し、
    ルネッサンスで再注目を浴びた事柄です。
    ここにも居たのかルネサンスの亡霊!と言う感じ。

     

    現代社会の文明は、このルネッサンスの芸術・科学・哲学の発展に端を発して発展しているため、
    誰もこれを悪く言う人はいません。
    統一教会ではルネッサンスをカイン型、宗教改革をアベル型の思想として講義していたと思いますが、
    修練界の講義以外ではほぼ、聞いたことのない話ですね。
    それがどういう意味でどのような顛末を迎えたかについては何か語られていたでしょうか?
    知ってる人がいらしたら教えてください。

     


    さて、ルネッサンスに始まるヒューマニズムは、個人主義と過度な合理主義・科学妄信に人類を導き、
    ヒューマニズム(人間主義)というよりは、あまりにも動物的な価値観に終始するゆえアニマリズムとでも呼びたくなるような現状です。
    恐ろしいことに人間性については誰も疑問を持っていないように見えます。

     

    しかし、個人個人がそれぞれの欲求を追求し、自らの才覚を競うことも、実は必要な事でもあります。
    これは、人間としての個性を磨き、自分自身の可能性と限界を理解し、互いの才能を認めて助け合うための訓練として通過すべき時間です。
    通過して次のステップに進まなければならないのですが、この時間が全てであり、ここでの勝敗が全てであると思い込んでいるところに問題があります。

     

    次のステップが何であるかと言うと『共生』です。
    『共産』主義は共産すること(共に働くこと)が人間性のステップアップだと主張していたのですが、
    働くこと、生産することは生きることの一部分に過ぎません。
    だから過ちとなり数多の悲劇を生んでいます。

     

     

     

    さて、資本主義と共産主義はよく似たところがありますが、それは何でしょう?

     

    唯物的な価値観です。

     

    マルクスは労働の結果として得られた商品が人倫を向上へと導くと短絡的にすり替えています。
    正確には、商品を交換する過程において、消費者からの尊敬を受ける人間同士の交流によって人倫の向上が見られますが、
    この交流を省いて商品から受ける恩恵であるかのように人倫の向上即ち人間としての価値を想定しています。
    人間の価値=生産物から来るものになってしまったため、全てが物に帰することとなったのです。

     

    一方、資本主義社会では、個人は消費者の側面と労働力の側面を持ち、
    労働力としての個人は生産過程におけるコストとみなされます。
    消費者もまた、消費活動をするから経済社会に現れるのであり、消費能力がなければ存在していないのと同じことになります。
    裕福な消費者の立場に立って初めて個人は欲求の追求が可能になります。
    福祉に目を向けるようになった現在でも、支払い能力のない貧困層については福祉対象であり社会的コストでしかありません。

     

    どちらにとっても物でしかないのです。
    そもそも資本主義では、価値の計算は貨幣(=物)によって換算されるものでしかありません。

     


    共産革命がもたらした悲劇だけをあげつらって「共産主義は間違いだ」と叫んでみても、
    共産主義者の問題提起には何も答えていません。
    代案は出されていません。
    つまり私たちは唯物弁証法と疎外論に対する代案を示すことを通して、
    資本主義社会の問題を解決する『頭翼思想』を持たなければなりません。

     

    それだから、立ち位置がちょっと不思議なことになります。
    資本主義社会を批判するうえでは、共産主義と共闘することにもなるかもしれません。
    それでも共産主義の悪魔性である唯物論にはきちんと対応できなければなりません。
    そして資本主義からも卒業できなければなりません。
    ややこしいのです。

     

    普通に勝共を唱えても、資本主義克服までは意識されません。
    そして私たちはともすると、資本主義の中で勝ち残ることを目標としがちです。

     

     

    克服するための基本がホームチャーチと八定式ですが、

    一般に応用しやすいように極力原理用語は排除して哲学や心理学の用語を用いて展開していこうかと思います。

     

    暫くはこのテーマですね。

    | おーば | 勝共理論・頭翼思想を考える | 20:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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