サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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合理主義による文化の軽視
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    現代的な価値観がどんな風なのかと考えると、

     

    科学万能の合理主義であり、
    科学の発展は人類に多大な幸福をもたらすはず。
    人類は体の構造を見ても血筋や民族などで大きな差があるわけではないから皆平等。
    だから自分以外の誰かから指図されることなく、個人は自由を謳歌すべき。
    力学的にも生物学的にも、強いものが勝つことが当然。
    だから努力して力をつけて競争して勝利者になることは誇らしい事です。
    これらのことは妨げられてはならない。

     

    ...と、こんな感じでしょうか?

     

    だけどふと気が付けば、
    科学技術の発展は地球環境を破壊している。
    競争社会では陰で弱者が困窮していて、その人たちは反旗を翻してテロリスト化している。
    先進諸国では少子高齢化が進み発展に陰りが見え始めた。

     

    それでも、科学と合理的な人間の英知はこの危機を乗り越えることができると信じています。
    古いものは劣ったものだと考える癖がついていますから、振り返ることはできなくなっているかもしれません。

     

     

    科学的であることの始まりは自然に学ぶことです。
    自然がこのようになっているから、こんな風に工夫すれば便利に使えるというのが科学技術。

     

    「便利だよ」っていうところには人間らしさが表れますが、そもそもの自然科学には人間の人間たる要素が入り込む余地はありません。
    解剖学で人体のことを知っても、そこに超越的な差はなく、体組織のちょっとしたバランスの違いを見いだすだけなのです。
    もちろん、自然の美しい調和から学ぶべきことは多々ありますが、人間の人間たる要素はそこにないのです。
    便利の基準も、マズローで言うところの『生理的欲求』と『安全の欲求』あるいは『低いレベルでの承認の欲求』までに寄与する便利さと感じられます。
    『人間は道具を使うサル』といわれて反論のしようがありません。

     

    でも、人はサル扱いされれば怒ります。
    「私は道具を使いこなせる」から、怒るのでしょうか?
    そういう人もいるかもしれませんが、それだけではありません。

     

    人は文化社会の一員であることを誇ります。
    文化については地域により様々ですが、それぞれ「お国自慢」が好きです。
    優劣を競って喧嘩してもいけませんが、喧嘩するほど地元を愛している人たちもいます。
    サルがそれをするのか?群れや故郷を恋しがる様子はあるかもしれないですね。
    でも、誇るまではしていると思えません。
    だけど人間は、途上国の小さな部落出身の人であっても、自分たちの文化を愛し、誇ります。

     

    文化というのも、道具や科学によるものなのでしょうか?
    新しい道具によってそれを利用した文化は生まれますが、文化の中心は道具ではなく人です。

     


    人間の人間らしさをどこに求めるのか?
    ヘーゲルは生産活動にそれを見いだしました。
    これは、生産活動そのものではなく、生産活動を通じて生まれる人間関係の中に、人倫がはぐくまれるとするものです。
    共産主義ではここを飛躍させて労働その物を人間らしさにしてしまいました。

     

    人間の人間らしさを考える点では、実は共産主義の方が上を行っているのです。
    これは認めなければならないことです。
    認めたうえで対処を考えなければ太刀打ちができなくなります。

     

    彼等は自由主義社会のこれらの弱点を突いて多方面から抗議運動を展開しています。
    弱者救済を叫ぶ人たち、環境保全を叫ぶ人たちがそれにあたります。
    だから未だなお、共産主義へ向かう人たちは後を絶ちません。
    取り上げる問題は放っておいていい問題ではないのですが、
    対立をあおり、結論がおかしな方に向かってしまうので共産主義に進むことはお勧めしません。

     


    人間が人間らしくある文化とは、生産活動のみによるのではありません。
    生産することはサルなどの動物にはできない行為なので、彼はここに注目したのでしょうか。
    生産活動も勿論重要な要素ですが、文化とは、人生の全般にわたるものです。
    結婚、出産、教育、生産、消費、老い、病、死に至るまで、文化活動の一環です。
    遊びが文化を作ったなどというコマーシャル(パチンコ)もありましたから、遊びも忘れてはいけない要素なのでしょう。

     

    つまり、生活・人生をかけて喜び(=欲求)を追求しているのが人間の文化です。
    欲求と言ってもマズローが分析した低次元の欲求ではなく、更に高次元の欲求に至らなければ、
    真に人間らしい恒久的平和社会は築くことができないでしょう。
    高次元の欲求というのは、強欲とは異なり、自己超越的な欲求を指します。
    ニーチェの超人もこれに当たるのかもしれませんが、この人間像は明確になっておらず、共感を得ているものでもありません。

     

    文化は共同体の中に育まれ、
    決して合理的なものにはなり得ず、
    新しいものも取り入れる懐を持ちつつも、伝統的なものです。

     


    現代的な価値観は個人主義を推奨するので、昨今は、この共同体が壊れています。
    昔からの共同体にも問題がなかったわけではないので致し方ない部分もありますが、
    人間らしく生きるためには必要不可欠なものであれば、復興あるいは創設しなければならないものです。

     

    共同体と自由の関係、共同体と競争の関係などについても考えていかなければなりません。

     

     

    | おーば | 勝共理論・頭翼思想を考える | 15:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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