サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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現代的な価値観の問題-新しいという価値をもてはやす
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    これは統一原理の中でもこの傾向が見られます。
    「新しいものにならなければならない」
    そんな意識をみんな持っているように思います。
    聖書は古いから新しい原理へ移行しないといけないとか、
    原理講論はもう古いから、新しいみ言葉を読まなきゃいけないとか。

     

    たしかに、古いものに固執することがいいこととは思いませんが、
    価値判断の基準として、新しいか古いかを基準にするべきではありません。

     

    新しいから良いというものは、いずれ古くなって良くないものに変わります。

     

    「女房と畳は新しい方がいい」などとも言いますが、
    新しくていいのは畳だけで、古女房の居心地の良さを愛する男性も少なくないでしょう?
    (どちらかというと古女房と一つになれることの方が夫婦としての円熟であり、より完成に近づく道です。
    古い女房にはもうあきたと言って新しい女房に乗り換えていては人間としての完成には至るこてゃできません。)
    古くても新しくても、良いものは良いし、粗悪なものは粗悪です。
    (ちなみに、聖書も原理講論も、古かったとしてもそれが無ければ新しいみ言葉を理解することができない大切なものです。

     

    新しいものをもてはやす傾向は、資本主義経済と強く結びついています。
    資本主義経済では、商品を売ることで利潤を稼ぐことが重要です。
    「消費は美徳」という言葉を生み出したのは資本主義経済です。
    最近ではそこまで言うことはあまりないようですが、「消費が低迷」することは、資本主義経済には困った事態になります。
    消費してほしいので、消費マインドを刺激するために企業は製品の開発にしのぎを削ります。

     


    消費を中心に新しいものがもてはやされるようになっています。
    つまり、消費の旺盛な若い世代がもてはやされる傾向にあります。
    年配者や、アンティークは一時的にで注目されることはありますが、

    それが長い期間の需要に定着することはありません。
    それは企業体には面倒なものであり、継続的に富を生み出すには不都合だからです。

     

    新しく、インスタントに製造できればコストは抑えられますが、
    長期間の熟成や熟練を要する商品や生産手段はコストを押し上げるので、市場競争力が弱いと考えられます。

     


    新しいこと、若いことが純粋さとしてもてはやされ、

    熟成すること、熟練することが軽視され、忘れ去られています。
    そうすると、年長者から若年層へ伝えられる伝統的な文化・伝承は継承される機会が失われ、
    年長者に存在価値を見出すことができなくなっていくのです。

     

    却って、伝統的な価値観が否定されるために、

    若年層にとっては年長者が自らの自由を束縛する疎ましい存在になってしまいました。
    子供の世話にはならない自立した老後を送ることが今の熟年層の格好いい生き方のようです。
    共に生きる知恵は疎ましい、時代遅れのルールになり、否定されています。
    共同生活であれば、共有する生活資本も多くありますが、核家族化、あるいは一人世帯の増加は個人が所帯道具を持つようになります。
    個々が自由に生活物資を調達して自立した生活を願うので全体としての消費量は上がりますので、経済効果はいいかもしれません。

     


    これらのことは

    自由で豊かな社会が実現されていることだから大いに歓迎されるべき事柄だと思えるかもしれません。
    歓迎されるべき良い状態だと感じるそこに問題があるのです。

     


    成長や成熟は不要なものでしょうか?
    『人生』として考えたときにはとても重要な問題です。

     

    若さばかりを追い求める人生は、実に不自然な結果をもたらします。

    人間性は成長する必要があります。
    自己中心的な幼さは、争いをもたらします。
    自由競争もよさそうに見えますが、絶え間ない競争は人を疲労させます。
    若い世代にはいいのですが、

    年長者を邪険に扱うことはいずれ自分に返ってくるということを理解していないのです。
    そのことを理解し、疲労感を覚えるころには自身も『市場価値』を失った年配者になっていくのです。
    資本主義社会がそのように選択しているので、勝者になることを目指す以外に個人に選択の自由はありません。

     

    福祉政策で財源確保が問題になりますが、資本主義経済が消費能力の小さい高齢者を必要としていないので、
    そのシステムからシャットアウトしていることが問題ではないかと思われます。
    蓄財に成功し、老後は毎年海外旅行に出かけるような高齢者は歓迎されています。
    ですから『豊かな老後に必要な貯蓄額』などを宣伝します。
    株式投資などで経済活動への参加を誘導するのですが、そこに参加できるのは人口の何パーセントなのでしょうか?
    また、参加したとしてもリスクのない『投資』は存在しないことを考えると、人生の最後に豊かな生活を送れる人たちはそう多くはないのではないかと感じます。
    生きた世代によってもばらつきはあると思われます。

     

    豊かさを感じるためには、自分よりも貧しい存在がいつまでたっても必要です。

     

    現代社会では、人生はギャンブルなのです。

     

    | おーば | 勝共理論・頭翼思想を考える | 21:56 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    はじめまして〜 お〜ばさん!
    「若いうちは苦労を買って出もしろ。」とよく言われますが
    それって 一生もんの格言だと思っています

    歳を取っても 生物的進化には必要ですし
    呆け対策にも十分に有効です

    危険な橋を好んで歩む人生スタイルですので 
    我が人生に悔いは無しです〜☆彡
    | 風 蘭 | 2017/05/16 12:17 AM |
    風 蘭 さま

    元気なコメントをありがとうございます。
    生涯チャレンジャーですね。

    踏み出すことはとても重要なことだと思います。
    世界を広げることができます。
    踏み出した先で苦労するときに、
    愛することを学んでいただければ、
    広げた世界を自分のものにすることができます。

    踏み出した先で素晴らしい出会いを持つことができますように。
    危険にも色々と種類がありますので、やみくもには突っ走らないでね。
    | 桜葉佳代 | 2017/05/16 10:29 AM |









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