おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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ひとりごと
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    いつもいつも、そればかり問い続けます。
    何を書こうと言うのか?
    何をしようと言うのか?

     

    私が願うのは本郷のふるさと。
    万民の天国。

     

    そのためにできることは何か?
    「ただ、愛しなさい」と声がする。

     

    そもそも私には愛はなく、
    私自身は偽り者です。

     

    愛って何?
    それはあうこと。
    一致すること。
    ただそれだけ。

     

    書くことは模索すること。
    道を模索すること。
    探すこと。
    共に歩める兄弟姉妹を探すこと。
    啓蒙すること。

     

    書くことの正しさの根拠は何処に求めますか?
    四研のように、みことばに書いてあるとまで断言は出来ません。
    だったら、自分勝手な思想家でしょうか?
    そうとも思っていません。

     

    御言葉の中、或は統一原理の中に表された理想と、神様の御姿が、私の思考の根拠なのだと思っています。

     

    神様の愛の心情と、創造の理想と、それがはたされない悲しみ、孤独。

     

    それが慕わしいのです。

     

    神様を栄光の玉座へ奉り、その御心情を理解しようとしないで、自分たちの事情ばかりを主張してきた私達です。

     

    その現実を教えて下さったのがお父様だと私は思います。

     

    だから、自分の事情を忘れて天のお父様の御心情に思いを馳せた時、
    語りたいその御意が自然と理解できるようになるのだと思うのです。

     

    自分が誉められたいと思ってはいけません。
    そう考えると、話を格好良く作ってしまいます。

     

    何も無いところから始められた神様です。
    何も無い。


    そこに何を見いだされたのでしょう?
    何を思い描かれたのでしょう?
    ワクワクしながらその時は流れたでしょう。
    でも、それは出来上がる直前に壊されてしまいました。

     

    ご自身で創られたです。
    すべてがご自身の作品だったのです。

     

    だから全てに責任を負われようとする神様なのです。

     

    誰かのせいになさることはありません。
    だって誰であろうとご自身が生み出した存在なのですから。

     

    私達はそれをお父様から教えて頂きました。

     

     

    だからすべてを愛そう。

     

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