おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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欲求についての捕捉−2
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    『承認(尊重)の欲求』・『自己実現の欲求』は格差と争いを認証する結果を産みます

     

    このことについて書いてみましょう。

     


    『承認(尊重)の欲求』は、価値ある存在として認められたいという欲求です。
    そのために努力する動機になるのだからいいことのようですが、ここにはマズロー自身が低いレベルと高いレベルがあることを指摘しています。
    そして低いレベルにとどまることは危険だとするのです。
    低いレベルというのは『他人から認められたい』という欲求、高いレベルというのは『自分で自分を認める自己評価』ということです。
    『自己評価』のレベルは次の『自己実現の欲求』に直結しているのでここでは低いレベルの方から考えます。

     

    これもまた、その前の『社会的欲求 / 所属と愛の欲求』の延長とも言えます。
    「居場所を得たらより良い場所がほしい」ということなのです。
    目的の場所に行きたいから飛行機のチケットがほしい。
    同じチケットならエコノミーよりもビジネスクラスやファーストクラスの方がいいのです。

     

    マズローのピラミッドは"MORE"の繰り返しではあります。
    下位欲求が満たされたときに次の欲求に向かうとしているのはその故でしょう。
    "MORE"、“もっと”、だから『欲求』であり留まるところを知らないように見える。

     

    この"MORE"は『生理的欲求』が求めた“量”に始まり、
    『安全の欲求』は“量”の“安定性”を求めます。
    『社会的欲求 / 所属と愛の欲求』はいわば“安全保障”です。
    心情的理解を持つことができる人には「そんなことはない」と思われるでしょう。
    しかし、理論的に行動の動機を探ろうと考える人たちには、そのような感情さえDNAに仕組まれたシステムの一部だと解釈されます。
    これは『個人的欲望の問題』というよりは、『理性と科学への妄信』の問題によるのですが、相乗的に作用しています。(別記事で書く予定)

     

    次いで『欲求』は“質”に向かうのですがこれは他者との“比較”によって決定されていきます。
    自分が持っているものが、自分の必要に十分であればそれ以上を求めることもないのですが、
    他人が持っているものが自分の物よりも美しかったり大きかったり丈夫だったり、様々な観点で“優れている”と感じられた時、それと同等か、それ以上のものを自分もほしいと思います。
    『承認(尊重)の欲求』とは、他人が自分を評価するときに“優れている”としてほしい欲求です。
    比較対象される誰かよりも“優れている”ためには、自分よりも“劣る”誰かが必要になります。
    このような欲求からの必要により、世の中でよくみられる“足の引っ張り合い”のようなことがおこります。

     

    また、他人から良く見られたいという欲求は、人間の人柄や能力での評価を求めるのではなく、持ち物や権力などでそれを示そうとします。
    物や地位・役職などの立場で示すことの方が他人から分かりやすい(評価されやすい)からです。
    更にはここに"MORE"が入ってきて、より大きな差を求めようとする心理が働きます。
    更に更に、その差の拡大に安心感を持てば、そこにとどまりたいという『安全の欲求』が再び作用してその固定化を求めていきます。
    そしてその欲求の追求は人間の“自由の権利”として現代民主主義社会では認められ、
    自由主義経済ではそれが
    “成長の原動力”であると推奨されています。

     


    このように他人との比較によって自身の豊かさを感じようとする欲求は、
    自由主義経済および民主主義によってその自由を保障されて競争社会を生み出します。
    一方、清貧と穏やかさを望もうとしても、他者の欲求の餌食とされ安定することができません。
    必死の防御がない限り、弱者は欲望による搾取の対象とされるからです。
    これは国家間の軍備競争と同じ構図になっているかもしれません。

     


    この『承認の欲求』の『低いレベル』が現代社会の主流になっています。
    ここから『高いレベル』への移行も可能ですが、『低いレベル』での価値観...他者からの評価基準である目に見える物や地位から離れるのは容易ではありません。
    何故なら、他者からの評価を維持しなければ、たちまち丸裸にされてしまうのが自由競争社会です。

     

    『高いレベル』あるいは『自己実現の欲求』へ移行してゆくためには、
    絶対的な権力を持つか、アスリートやアーティストのように強力なスポンサーを得るかをすれば可能でしょう。
    何者かの庇護下に入らなければ難しいと思われます。
    しかし、そのような立場では、やはり立場の維持のために制限を受けて限定された一部分での探求しかできないなど、自由に『自己実現の欲求』を追求することは難しいことだと言えます。

     


    さて、『承認の欲求』の『低いレベル』を主流とするこの状況をどう見るのか?
    これはローマ時代の『パンと演劇』に似ています。
    この言葉、昔は「市民の労働意欲を削いだ衆愚政治」を象徴する言葉として扱われていたのですが、
    ウィキペディアを見てみるとローマの民主主義はそれほど悪くなかったという趣旨の文面になっていますね。
    まぁ、ローマ時代の現実はともあれ、
    「必要最低限の生活と退屈しないイベントを与えておけば民衆は余計なことを考えないので統治しやすいし、
    また、民衆の望みはそこにあるんだ」

    というような発想です。
    『生理的欲求』と『安全の欲求』を達成し、『社会的欲求・所属と愛の欲求』を達成できるかできないかのところにいる「弱者」。
    『承認の欲求』の『低いレベル』にある「中流」。
    『承認の欲求』の『高いレベル』あるいは『自己実現の欲求』を追いかけている(ように見える)「ヒーロー」。
    何割かの「弱者」と多数の「中流」と一握りの「ヒーロー」という構図。
    「中流」に在る限り、パンを持っている安心感とヒーローを夢見るという娯楽があるのです。
    有力者によって踊らされている様には見えませんか?
    「中流」で努力することは「弱者」を生みながら「ヒーロー」を支えています。

     

    「弱者」は絶対になくならないし、踊っている「中流」も踊らされているだけなのでいつ切り落とされるかはわかりません。
    実際に、「中流」から「低所得者」という「弱者」への転落は少なくありませんし、
    「ヒーロー」になれるかもしれないという希望もどんどん希薄になっている気がします。

     

    | おーば | 勝共理論・頭翼思想を考える | 11:17 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    こんちは。

    大切なのは「MORE」の方向性のように思います。
    自由も、欲求の「MORE」も「為に生きてこそ」であるように思います。

    そうすれば、自由も欲求の「MORE」も、すべての人がヒーロー(愛の主人)になることが可能となりますね。

    | goojob | 2017/05/05 8:58 AM |
    「どうしたいの?」
    と私に尋ねる声が時々聞こえます。
    方向性を正しめるための天の声です。
    | 桜葉佳代 | 2017/05/05 12:08 PM |









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