おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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神山元会長の講演会感想
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     勝手なことを書くのもどうかと躊躇するところです。
    なにしろ、現在の私は全くの部外者ですから。

    多くの元信者さんからすれば、
    何を今更余計なことに首を突っ込もうと言うのかと、あきれられることでしょう。
    だけど私は未だ、神様に繋げてくださった教会に感謝と愛着を持っています。
    だから現状の一端に触れられればと思い、せっかく公開で、都内で語っていただけるなら行って聞いてみようと思った次第。
    印象に残っている内容と、私の感想を書かせていただきます。


    会場は100名程度の小さな会館。幾つかの空席もありましたので、参加者は100名にちょっと欠けていたのかも知れません。
    神山氏(私にとって世界基督教統一神霊協会日本協会長はどうしても久保木修巳会長なんです。)のお話の中心は、真のお母様がお父様の方向からずれてしまっているから、なんとか修正していただかなくてはというもの。

    神様から来たのは真のアダムであるお父様のみで、
    その相対たる真の母は、堕落圏から復帰してこなければならないものだという。
    絶対愛、絶対信仰、絶対服従によって、
    復帰され、同位権、同居権、同参権、相続権を得る。

    これは祝福家庭の女性の立場も同様で、
    絶対愛、絶対信仰、絶対服従と、祝福式を通してメシアの相対に立ち、
    夫を救う立場に立つと語られました。
    補足ですが、接木の例え。
    甘柿に渋柿を接ぐというのは間違いで、正しくは渋柿に甘柿を接ぐだそうです。
    これは神山氏が、お父様とみ言葉拝読をするなかで、直接お聞きした話だそうです。
    (ダンベリーでみ旨と世界を出す準備をされていたときの流れだったようなお話に聞こえましたが、桜葉は録音とか、メモとかしていたわけではないので、少し正確性には欠けるところがあるかと思います。)
    だから自己否定によって、根元ギリギリまで切り落とした台木としての男性に、
    絶対愛、絶対信仰、絶対服従によってメシアの相対の立場に立った女性が接木されて、甘柿を実らせるというのが接木の例えの意味するところのようです。


    しかし、神山氏が50年間の信仰生活を通じて見てきた内容は必ずしもそのようになっていなかったようです。
    お父様の支持に従わず席を外したお母様について、
    お父様はそれを叱るのですが、
    席を立たれたお母様と、それを叱るお父様のどちらが正しいのかと
    神山氏に問いただされたことがあるそうです。
    神山氏にしてみれば、お父さんとお母さんとどちらが正しいかと問われる子供の立場ですから返答に困るところですが、弱冠の問答の後にお父様が正しいと答えられ、その答を聞かれたお父様がほっとした表情を見せられると同時に、お母様が戻ってこられるまでの悲しそうな表情が忘れられないということです。

    そしてまた、お母様が講演をなさる内容を、お父様が準備なさったのですが、その中に「世界の果てまで」という文言があったそうなのです。
    神山会長は、何故かその言葉に引っかかってしまい、世界に果てなどあるのだろうか、「世界の果て」ではなくって「世界中」にと表現した方が適切ではなかろうかとお母様に申し上げて、講演ではそのように変更をしたそうです。しかし、後からお父様がその講演を聞いて変更に気付き、変更をした神山氏をこっぴどく叱られたそうです。大変恐ろしいことだたそうです。
    み言葉には絶対に変更を加えてはいけないというエピソードです。

    これは桜葉の思うところですが、み言葉の文言をいじってはいけない改竄してはいけないということに徹底するのは、み言葉暗号説を裏付ける材料にもなりますね。まぁ、暗号とは言わずとも、一つの言葉が多くの意味を持つことは、普通にあることなので、読み取る側のレベルに応じて理解出来る内容が変化することは往々にあるので、原文そのままに保存公開することは重要なことと思います。

    ですから、神山氏が主張するところは、お母様がみ言葉の編集をすることは許されないと言うのです。

    そして、真のお母様は真のお父様と一体化しきれていなかったというのです。
    だから真のお父様は基元節を待たず霊界へ行かなければならなかったというようなことも言われたように思います。
    どうやら一体化するにも段階的な内容があるようで、ご聖婚式から始まって数次の祝福式を経ていらっしゃるのもその内容なのでしょうが、このあたりの理解は私には難しかったので、何方か書いていただければ有り難いです。

    真のお父様と一体化しなければいけない。
    そうしないと大変なことになる。
    (具体的にどうなると言う話は無かったと思う。)
    セウォル号沈没は期間を延長するための供え物であった。
    しかしその犠牲で延長された時間もどんどん食いつぶされている。
    神山氏は病気をして何も話が出来る状況ではなかったけれど、
    それは未だ語るべき時ではなかったから口を塞がれていたのだろうなどと言ってました。
    (神山氏は、セウォル号に祝福二世が乗っていたことを知っているのだろうか?何も触れることはありませんでした。そして、この講演の夜、ミスターサンデーで、セウォル号の特集をやっていました。いつもは見る番組ではなかったのに、桜葉もこの日は何故か見ました。)

    2時間の予定が2時間半語られ、質疑応答をするところが時間切れで十分な応答をいただけなかったのが残念。
    もう一つ印象に残っているのが、「み言葉によって研ぎ澄まされた良心」という言葉。
    神山氏の話を聞いてはいけないと、教会側から話が回っているそうですし、
    会場前には40日断食の井口氏がたすきをかけて何か演説をぶっていたようです。
    どちらが正しいのか同じ場でつき合わせてみたらよいと神山氏は言います。
    どちらが正しいのかは、そのみ言葉によって研ぎ澄まされた良心によって判断されるということです。

    50年、生涯をかけて信仰してこられ、
    アボジと共に監獄生活も過ごされた神山氏です。
    このような信仰生活を、他に誰が真似できるのか?
    そこまで歩んで天国へ入れないとする組織では、一体誰が天国へ入れるというのでしょう?
    とんでもないことですね。
    お母様を批判することが不信仰であるのか?
    もしも組織の中での立場を守ろうとするなら上っ面でおべっかを使えば良いことです。
    しかし、その立場を投げ打ったのですから、これは心からのものではないかと思います。
    生涯かけたものを外的には投げ打ったのですが、
    生涯かけて培った内的な信仰の賜物を氏は貴重視したのではないかと思います。

    私は神山氏の言葉には概ね共感いたしました。
    UCが、今どのくらいの意味を持つ団体であるかは不明ではあるのですが、
    少なくとも、み言葉は護られるべきであり、
    何も考えることが出来なくなっている末端信者は正しく導かれなければならない。
    上っ面の教義を守り、献金すれば天国へいけるなんてあさはかな考えを持たせていてはいけない。
    それこそセウォル号で何も知らされずにじっとしていた高校生の二の舞である。
    正しく教育して欲しい。
    組織批判すれば排除されるだけという組織は健全ではない。


    神山氏の公演内容は、どのような実践をすべきかなどには触れていない。
    み言葉の真意が何処にあるのかまでは解説していない。
    氏は直接文鮮明師に教義で言われるとおり侍ることができた立場であり、その人柄愛からメシアであると確信していると言う。
    言うからには、その伝統を次に繋ぎ、伝える義務がある。
    公演内容だけでは不十分な印象はぬぐえない。


    しかし、神山氏は話が下手くそですね。
    せっかくレジュメを用意しているのに話の内容はその資料を全く無視してあちらへ跳びこちらへ跳ぶ。
    順序が無茶苦茶でありました。
    心情の発露と好意的に受け止めたいと思います。

    ざっくりですが、桜葉個人の主観的感想です。


    追記:

    神山氏の講演の誤りとして教会本部から文章や映像が流れているようですね。
    聞いてきた人間の感想文よりもよっぽど詳しいです。
    でも、後出しじゃんけんで批判するのはわりと簡単なこと。

    ところで、UCはみ言葉を改竄してないと主張しているが、
    変えていないなら何故違う書籍を編纂する必要があるか?
    分派対策だと言うが、新しい書籍にそれだけの権威を持たせ、
    もとの経典以上に露出度を上げることによって、
    『常識』化しようとすることなのでしょうね。
    ここの主張は無理を感じざるを得ない。

    後継者問題について、
    東京の講演では語られませんでしたが、
    直接会って確かめることは大に結構だと思う。
    UC主張は『人間的判断をしてはならない』
    常套句ですね。
    UCに居ても神様は私たちには直接働いてくださることは永遠に来ないのでしょう。

    私は、直接文氏に接してきた神山氏の信仰的貞操を信じたいなぁ。

    | おーば | - | 19:48 | comments(20) | trackbacks(0) | - | - |
    お父様が結局この地上に何をしに来られたのか?
    そのあたりの問題が、最終的な問題になるように感じますね。

    しかし お金の関係でつながっている組織 サタンの知恵でできている組織は、強いですよ・・・・見た目より

    これからどうなるのでしょうか?
    | 小百合 | 2014/09/28 9:03 PM |
    >小百合様

    コメントありがとうございます。
    アボジの功績として間違いないものは、
    多くの兄弟姉妹を神様に向かうようにさせたこと。
    これだけは揺るぎ無い事実です。
    (反発する群れを作ったという事実もありますが…。)
    UCにあっても、実際は神と向き合おうとしない者も多く見受けられます。

    アボジによって神に向き合うようになった者が
    (こちらの方が少数派だったりして)
    これからどう行動するかに掛かってくるのでしょう。
    それが誰なのかをきちんと見極めないといけないですね。

    その群れが成し遂げることがアボジが地上にいらした目的と言うことになると思います。
    私もUCに限らず、お金のつながりの組織は好きでは無いので、神に向かうものでありたいと願います。
    | 桜葉佳代 | 2014/09/28 11:29 PM |
    私は元信者ではありませんが、

    >多くの元信者さんからすれば、
    何を今更余計なことに首を突っ込もうと言うのかと、あきれられることでしょう。

    そのとおりに思いますね。

    >その群れが成し遂げることがアボジが地上にいらした目的と言うことになると思います。

    そんな目的などなにもないでしょう。
    この自称メシアを言っている事は、単なる出鱈目、それだけのことです。

    申し訳ありませんが、そこに目的があるというのを、大前提とするのは、
    このカルトの呪縛に嵌った発想だと、私などは考えます。
    この世のすべてのものに目的があるという命題は、証明どころか類推さえできません。

    | ミッターマイヤー | 2014/09/29 8:18 AM |
    統一教会の正式名称が違っています。心霊ではなく、神霊です。それから、日本の教会を指そうとするのであれば、世界から正式名称を書き始めて、日本教会と書き加えるか、日本統一教会と書かれた方が読む者に違和感を与えないとおもいますが。
    それから、世界の果て、という言葉に違和感を感じたとの、神山氏の言葉を紹介されてましたが、これは千里の道も一歩から、とか、西から太陽が昇っても、と同様に、例えの話しなのに、それに対して、果てがあるわけがないと噛みつくとは、よくよく話しの通じない人なのだとおもいました。みことばを正確に伝えるか否かの問題以前の言葉の理解力の問題だと思います。
    | hitosato | 2014/09/29 9:54 AM |
    お元気そうですね。goojobです。

    実存的問い(救済されたのか)がなおざりになっているようです。神山氏には個人的にも迷いがあるようですね。

    ですから、三男(顕進様)を支持していく方向性を示せても、ついていくだけという姿勢から抜け出せません。

    教会本体となんら変りない僕(しもべ)の信仰感のように感じてしまいます。

    正統性を求める「後継者争い」ではなく、自己の存在意義に目覚めた「かけがいのない自己」を求め、自らを自存させることが本来の神様の願いです。

    後天時代においては、教団、グループの主が誰なのかを問うことは、神様の視点とは違って見えます。

    そういう意味で、桜葉さんの発言は、とても的を得ています。

    >桜葉さん

    >神山氏の公演内容は、どのような実践をすべきかなどには触れていない。
    >(神山氏は)伝統を次に繋ぎ、伝える義務がある。

    | goojob | 2014/09/29 2:06 PM |
    天の独り娘を復帰するのがどれだけ難しいことか・・・。真のお母様が真のお父様と本当に最後まで一体であったなら、お父様が基元節前に霊界に行かれることなどなかったでしょう。どれだけお父様は傷つかれたことでしょうか。神山先生の講演を聞くまでもないことです。統一教会の問題より何万倍も深刻な問題です。
    | hide6500 | 2014/09/29 5:23 PM |
     初めてメールします。

     今回の桜葉さんの神山講演の感想文を、小生のブログのコメント欄で紹介させていただきました。感謝です。

    http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-510.html#comment9336
    | 米本 | 2014/09/29 7:00 PM |
    ミッターマイヤー様
    やっぱりそう思われちゃいますよね。
    自分でもあきれそうですが、
    私は私のことも大切なので、
    過去に通った道を完全否定してはかわいそうだと思っちゃうんです。
    だから適当なところで折り合いが付くように考えます。
    いい加減なところではなくて適当なところを探します。

    文鮮明氏がメシアかどうかなんて、
    そもそもメシアって何?って、誰がほんとの所を理解してるのか。
    自称した文氏本人しか分かっていないのだから…
    出鱈目と言えば出鱈目とも言えますね。
    だからメシア性なんて問おうとは思ってません。
    ただし、どんな事象にも大なり小なり意味はあると思っているのです。
    人生であれば生きた本人に。
    また、出会った人にはその人なりに意味を決めることが出来るんですよ。
    でも、集団で誰かが決めた意味を丸呑みするのはいただけない。
    そういうのがいわゆるカルトだと思ってます。
    | 桜葉佳代 | 2014/09/30 12:56 AM |
    hitosato様
    お久しぶりです。ご指摘ありがとうございます。
    遅ればせながら修正しました。日本→世界と、心霊→神霊と、あと教会→協会ですね。下書きなし、校正なしで書いているから酷いモンです。

    理解力のもんだいですか…。
    そうかもしれませんね。
    だけど、こんなエピソードも、今役に立っているのだから人生全て塞翁が馬ですね。
    カルトらしく表現すると、
    このときの為に霊界がそうさせて、教えてくださったんだ!となります。(半分真面目)
    み言葉に限らず、どんな文章も、受け手によって読み取れる内容は変わるもの、というのも事実ですね。
    | 桜葉佳代 | 2014/09/30 1:05 AM |
    goojob様
    コメントありがとうございます。
    後継者争いは核心では無いし、お母様が正しいか間違っているかも実はたいした問題ではない。
    のですが、庶子、実子を通過した人にしか通じないでしょうね。きっと。
    真の父を送った後には、誰が後継者なのかではなく、一人一人が後継者としての自覚を持って、兄弟姉妹の絆の上に協力して行かなきゃ行けないんです。
    そういう人たちがホームチャーチの核になるのでしょう?
    難しいみたいですね。

    神山氏の僕的信仰と仰りますが、今回庶子圏に足を踏み入れているんじゃないかと思います。
    神からもサタンからも見捨てられた境地を通過しながらそれでも神を信じ愛するのが庶子の道だと思ってます。
    今回は、組織に見捨てられ、肉体を打たれ迫害の中での活動ですから。
    …でも、今そこですか?ってついつい思ってしまうんですが、大器晩成であることを祈ります。
    | 桜葉佳代 | 2014/09/30 1:18 AM |
    hide6500様
    お父様を愛しておられるのですね。
    真の母の復帰という観点は、
    昔歌っていた主の道という歌を思い出します。
    「涙で綴る主の道は孤独な父を慰めて…」というやつです。
    切ない歌です。

    教義的に、韓鶴子氏が失敗したら、祝福家庭の婦人が全滅することになりかねないと思えるのは気のせいでしょうか?
    なにしろ、祝福式を通じてお母様の分身ですから。
    逆に考えれば、祝福家庭婦人の信仰が真の母に反映する可能性もありでしょうか?
    | 桜葉佳代 | 2014/09/30 1:25 AM |
    米本様
    訪問ありがとうございます。お褒めに預かり光栄です。
    よろしかったら、また覗きに来て下さい。
    | 桜葉佳代 | 2014/09/30 1:27 AM |
    またまた、無礼なコメントをつけて失礼しました。
    >私は私のことも大切なので、
    >過去に通った道を完全否定してはかわいそうだと思っちゃうんです。

    これはよくわかります。私は、考えると寝込みそうな大失敗をなんども犯した人生を歩んでいますので、
    後悔とか反省とかあまりしないように、意識しています。でないと生きていけませんからね。

    | ミッターマイヤー | 2014/09/30 3:39 PM |
    前に書いたコメントを多分誤解されたと思えるのであらためてコメントします。神山氏の〈世界に果てなどあるのだろうか、「世界の果て」ではなくって「世界中」にと表現した方が適切ではなかろうかとお母様に申し上げて、講演ではそのように変更をしたそうです。〉この捉え方が理解力の問題と申し上げました。決して桜葉さんのことを言ったのではありません。

    世界の果てまでという言い方は普通に使われる慣用句です。世界のどこまでもとか、世界の隅々までという意味などに使います。具体的な世界の果てを示してはいません。それなのに、具体的な世界の果てと理解する氏は、捉え方がおかしいと言いたかったのです。神山氏は言葉の文字面だけを杓子定規に捉えるだけで伝えたい人の心を理解できない人だと判断しました。

    このエピソードを紹介いただいたことは感謝です。神山氏の人となりを理解するに重要な材料となりました。

    | hitosato | 2014/09/30 7:54 PM |
    ミッターマイヤー様

    無礼だなんてとんでもない!
    毎回ありがたく読んでます。
    人生いろいろやって人間成長するんですよね。
    文章も色々書いて多少なり磨かれるものがあればと思ってます。
    前のコメントも、『いい加減』も良い加減だからありかなぁと後から思ってみたり。
    全て楽しみましょう。
    | 桜葉佳代 | 2014/10/01 10:32 AM |
    hitosato様
    スミマセン。
    誤解はないです。
    最初から神山氏のこととして理解していましたが、
    私の返答が神山氏に感情移入しすぎた表現になってましたね。
    hitosatoさんに却って誤解させてしまいました。
    お気遣いくださってありがとうございます。
    | 桜葉佳代 | 2014/10/01 10:36 AM |
    【不思議な言葉の「一致、暗示」?】

    御嶽の「御」は貴いものに冠する頭文字。

    そして貴いものの極みは「神」。

    つまり「御嶽=神の山、獄」。

    以下、2014年9月の神山氏の日本での3度の講演の前後の時系列を。



    ---------------------

    ◆9月20日 土井たか子(多賀子)氏逝去…土井氏は神戸出身

    ---------------------

    ◆9月21日 神山氏東京講演

    ◆9月23日 神山氏名古屋講演

    ◆9月26日 神山氏久留米講演

    ---------------------

    ◆9月27日 御嶽山噴火

    ---------------------

    (以上です。)

    | bsg | 2014/10/03 5:24 PM |
    bsg様
    ご訪問ありがとうございます。

    土井氏の件は意識していませんでしたが、
    神山氏講演と、UC沖縄大会と、御嶽山の流れは、
    やはり気になるところでした。
    ミッターマイヤーさんに叱られそうですが、
    意味を見出そうとするとこれは霊的な繋がり以外には考えようがありません。
    講演会にもセウォル号の犠牲の話がありました。

    暗示や啓示および蕩減(トウゲン)の問題を、
    感情的にならずに、理性的に
    考えてみる必要性を感じていたところです。
    | 桜葉佳代 | 2014/10/04 12:05 PM |
    桜葉さまへ

    こんにちは、初めまして!

    先日は挨拶も前置きも何もないままに【怪文書】とも受け取りかねないような拙文を一方的に投稿し、改めてその非礼をお詫び申し上げます。誠に失礼いたしました。

    さて、こちらの桜葉さまのブログへ投稿させていただいた内容と同様のコメントを、先日は複数のブログへ投稿させていただいてもおります。

    さらには、投稿内容が神山先生寄りとも教会寄りともどちらとも受け取れるような、支持する側をはっきりさせていないようなものでもありました。

    加えて、このたびの御嶽山噴火での多くの犠牲者の方々の中に年若き食口の方もあられたということ。

    これらさまざまな材料も合わさって、【怪文書】とも受け取られておられる向きも一部にはあるようですが、私には何らの不義なる思いも、これといって意図するものも毛頭ございません。

    ただ、御嶽の「御」は貴いものに冠する頭文字であり、貴いものの極みは「神」、つまり「御嶽=神の山、獄」といったふいに分解できるというか、分析、解釈できるということと、このたびの神山先生の講演との時系列に非偶然性のようなものを感じたことは事実です。

    「神山先生側VS教会側」といった捉え方で申すならば、私自身はどちらでもないと申し上げるしかないのです。

    一人の足らぬ人間がああだこうだと手前の考え、感覚、立場でのうのうと物を申し、事の黒白について偉そうにナタをふるっている場合ではないという意味においてもです。

    ただ、神山先生は文先生と「獄」にまで行かれた方。

    「神の山、獄」とは、「神山といい、獄をも経験した人」とも取れ、この解釈が仮に正しいとして、それでは「神山先生側と教会側」のどちらが正しいと暗示し象徴しているかの判断、断定を私が致すつもりはございません。

    最後にもう一言付け加えさせていただきますならば、自らの勝手な思い等を傲慢にもまじえてお披露目するかのようなこういった解釈、分析といったこと自体、本来私自身は好みません。

    しかしながら、あまりのタイミングと言葉の「一致、暗示」にあって、背中を押されるような感覚がございました。

    なお、本日投稿させていただくこの内容ですが、秀さんという方のブログへの投稿が初めとなり、それのと同様のものであること、何とぞご勘弁くださいませ。

    以上、長々と失礼いたしました。 敬具
    | 先日【不思議な言葉の「一致、暗示」?】というタイトルでコメント投稿させていただいた者でございます。 | 2014/10/05 1:50 PM |
    bsg様
    あちこち書いてみて面白い収穫はありましたか?
    面白いのがあったら教えてください。

    怪文書でもなんでも、
    ここにコメントいただいたら、
    なんがしかのヒントをもらった気になってますので
    又書いてみてくださいね。
    | 桜葉佳代 | 2014/10/06 4:44 PM |









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