サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
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現象学的視点に立ち、構造主義的手法による、実存の哲学の試
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     私がやっていることは
    統一教会批判・検証をする人たちの多くとは違い、
    原理やみ言葉の検証、教会組織の実態の暴露ではありません。

    『現象学的視点に立ち、構造主義的手法による、実存の哲学の試』です。
    宗教に携わる人に分かりやすい言葉を使えば『思考を伴う瞑想』と言っていいでしょう。
    これはお釈迦様の瞑想方法を表現した文章に見つけました。



    現象学とは…(コトバンクよりhttp://kotobank.jp/word/%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E5%AD%A6
    フッサールは、諸学問に根拠を与える「基礎づけ」の学として現象学を構想した。
    真・善・美という意味や価値の本質、
    また広く精神や文化に関する問いは、自然科学を中心とした実証的な学問では扱えない。
    それゆえフッサールは、実証的な学問についても、
    意味や価値を扱う学問についても、それぞれの成立根拠と範囲を明確にしようとしたのである。
    現象学はあらゆる学問・認識の根拠を個々人の主観における妥当(確信)に求める。
    これは、客観的な世界の存在を当然視する素朴な見方を根本から変更するものだった。
    この態度変更を自覚的に行うことが「現象学的還元」と呼ばれる。
    客観的な世界がある、とする私たちの素朴な態度をいったん停止して、
    そのような妥当が生じる条件や理由を自分の意識の内側に探っていくのである。
    現象学的還元を通じて、フッサールが主に行ったのは、
    事物知覚の本質構造の記述であり、
    自然科学が土台とする客観的世界の妥当が成立する普遍的な(誰にも共通するような)条件を探ることであった。
    普遍的な構造や条件を取り出し記述することを現象学では「本質観取」という。
    この方法は、自分の経験を見つめ、そこから善、美、自由、正義といった
    人間的な諸価値の普遍的な意味あいを取り出す試みでもあり、
    その方法的意義は現在も失われていない。
    ( 石川伸晃 京都精華大学講師 )

    構造主義とは…(はてなキーワードよりhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%BD%C2%A4%BC%E7%B5%C1
    非常に簡単に表現すると、「人間の現実把握や思考は、その個人が所属する構造に規定される」と言うこと。
    「所属する構造」には民族、言語、国家、社会的階層などがある。
    この事実を理解することにより、自己の判断を客観化するのが「構造主義的な考え方」である。
    「〜の人たちにとっては大変なことでしょう」などの考え方がこれに該当する。

    実存の哲学とは…(コトバンクよりhttp://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E5%AD%98%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6
    個の生を中心テーマに据える哲学を「実存の哲学」と呼ぶ。
    マルクス主義が歴史の発展というモデルをもとに社会が進むべき大きな見取り図を描いたのに対して、
    20世紀の実存の哲学は、キルケゴールやニーチェの哲学の影響のもと、個としての生き方に注目し、
    ひとりの人間が生きるうえでの可能性を問う。
    ヤスパースと共に実存の哲学の代表的思想家とされるハイデガーによれば、
    人間存在(「現存在」と呼ばれる)は、絶えず自分自身のあり方を気遣うような存在であり、
    事物存在とは本質的に異なっている。
    こうした人間特有のあり方が実存と呼ばれる。
    ハイデガーは、この実存の構造を被投性(ある状況のなかに投げ入れられていること)と
    企投(ある可能性をめがけること)といった用語で分析した。
    またサルトルは、企投は政治的ことがらへ向けられるべきだとするアンガージュマンの思想を打ち立て、
    自分の思想的立場を「実存主義」と呼んだ。
    これは、実存的な生き方の問いを社会参加に接合する試みであり、
    やがて、マルクス主義と結びつくようになる。
    ( 石川伸晃 京都精華大学講師 )


    こういう表現で分かる人も少ないと思います。
    マルクス主義に結びつく思想であるところに危険を感じる人もあると思いますが、
    私の思索はこれを批判する方向に展開しています。


    これまでの言語学への考察、こころの在り様についての考察もこの方法によります。
    自分勝手なデタラメをまとめることも出来るかもしれません。
    しかし、神への祈りと信頼を持って自己を分別しながら作業することで
    良い結果にたどり着くと信じます。

    | おーば | 考察 | 13:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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