おーばのつぶやき

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
信用できる人
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     今の世の中は「他人を見たら泥棒と思え」という言葉が横行する時代です。
    なかなか人を信用することが難しい時代です。
    この言葉自体は最近出てきた言葉ではありませんが、
    20年前、30年前にはここまで意識する必要の無かった言葉だと思います。

    でも、人間疑っていてばかりでは暮らしてゆけません。
    くたびれ果ててしまいます。
    一体どういう基準で人を信用したらよいのでしょうか?

    身なりや言葉づかいでしょうか?
    上等なペテン師は上等な身なりで言葉巧みに取り入ってくるものです。
    言葉のセンスが無い人は信用できない人とは断言することは出来ません。

    地位や職業でしょうか?
    ある程度の参考にはなりますが、どんな職業の人でもいい人と悪い人がいます。

     外見から判断できることと言えば、その人の意識が
    自分自身に向いているか、相手に向いているかでしょうか?
    純粋に相手のために身だしなみを整えて言葉を選ぶ人もあれば、
    相手を地自分の意に沿わせる手段として外見を作り言葉を選ぶこともあります。
    自分自身に意識が向かっている人は、
    単純に世間知らずであったり、弱点を隠すための虚勢を張っていたりするのであり、対話を通じて改善されることが期待されますし、長く付き合う可能性のある場合には良い関係を築くこともありえます。
    ただし、相手が世間知らずであるが故の不利益をこちらが被るリスクはあるかもしれません。
    感情の高ぶりや、わがままによる自分本位は、改善の可能性は否定しませんが、前者に比べて大変かな?という印象を持ちます。
    しかし、却ってその言葉にはうそが無いことが多いと思います。

     利害関係を意識しなければならない相手には気をつける必要があると思います。
    私の利益を必要以上に強調する相手。
    何故なら、相手の意識は「利益」に向かっているわけで、
    当然本人自身の利益についても感心が強いということです。
    こういう相手はいざとなれば本人の利益を優先するケースが多いでしょう。
    話している本人の利益が何なのかを意識しなければなりません。

    共同で仕事、作業をしたことがあれば、その仕事振りによっての判断。
    日常で相手の言動によく関心を持って観察すれば人となりが見えてきます。勿論、人間ですから気の迷いみたいな行動もありえます。
    しかし、そんなときにはその言動から相手らしくない処を見出すでしょう。
    付き合いの長い相手(気心の知れた相手)であれば、
    相手のおおよその癖も理解できるものです。


    日々の人間関係の中で信頼関係を築くことはとても重要です。
    逆に、人からの信用を得るためには時間がかかるものだと言うことを理解する必要があります。
    若い頃の苦労は買ってでもしろといいますが、
    その苦労を共にした人があれば、大きな信頼関係を築くことが出来るでしょう。
    | おーば | 心理 | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    続・不安
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        先日「不安」というタイトルで書いたんですけれど、
      そういえば去年この言葉が話題になっていたときがあったんですよね。

       不安というのは先行きの不透明さを心配することだと思うんですけれど、
      「篤信者」と呼ばれる人は、全て御神のおぼしめしのままにと考えるので、
      先行きの心配はありえないのでしょう。

      私はというと、「篤信者」ではないけれど、「世捨て人」的な所があるので、
      自分自身については、最後は道端でのたれ死んでも文句は無い。

      ただ、誰かの、特に周囲に居る人たちの心が、激しく傷ついたり、大きな恨みを抱えてしまうようなことがおこることは心配になる。
      先の記事で言えば父や鹿太郎君の心を想うのです。

      彼らは「篤信者」でも、「世捨て人」でもないので、世の中の体裁をある程度必要とします。
      そのことで一喜一憂します。
      だからそのことを心配する・不安になる。
      | おーば | 心理 | 20:22 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
      不安
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         ここのところ落ち着かない。
        慌しいからだと思っていたけれど、今朝ふと思った。

        「ああ、不安なんだ」

        自分の感情に疎いおーばでした。

         今、父が倒れたりしたら私には到底支えきれない。とか、
        鹿太郎君がバイトを始めたので、会社のことは殆ど見てくれない。とか、
        ネット活動をもっと展開するつもりでいたことをどう扱ったらよいのか。とか、
        税務署の申告はどうすればよいか。とか、
        これからの会社の展開をどう考えたらよいのか。とか、
        目の前の仕事でさえも、ホントにこれで良いのか。とまで
        思えてしまうのです。

        今更気がつくなよという内容ですね。

        不安が無い人というのは少ないと思います。
        気がつかない振りをする人もあると思います。
        (私もその一人と言えるのかな?)
        だけど不安でいるということを先ず受け入れて、
        一個ずつ対処するしかないことは分かりきったことなんです。

        | おーば | 心理 | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        感情
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           例年の年越しであれば、行く一年を反省し、
          来る一年の展望を描くのですが、
          今回ばかりは何も出来ませんでした。
          (自宅の大掃除さえ出来なかった…。)

           私は両親の良い娘ではないので、
          日常的には実家のことなど殆ど考えません。
          パソコンで言えばメモリを割り当てていないようなものなのですが、
          現在はそちらに割り振らざるを得ないので、
          他の部分のパフォーマンスがどうしても低下します。

          親子・家族の問題を再考察すべき機会とも思います。
          老いについて認識を深めるべき時なのかもしれません。
          ただ、こうして書いていて不思議なのは
          感情が表に立ってこないことです。

          感情を表現しても受け止めて共有してくれる人が無いときには、
          やがて表現することをやめてしまうようです。
          私が一人で感情表現をしていたのは小学校の3年か4年生位の頃。
          とても寂しくてどうしようもなかったのですが、
          慰めてくれる人も、同情してくれる人もありませんでした。
          (私が気がつかなかっただけなのかも知れないという可能性も勿論あります)
          それ以来私の感情は表に出てくる機会が減ったようです。
          赤ん坊もあやされたり、語り掛けられたりしないで
          機械的に栄養を与えられるだけという環境におかれれば、
          泣くことさえしなくなるという。

          家族・お友達は大切にしましょう。
          自分自身のためにも。

          | おーば | 心理 | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          いたわり
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            人をいたわる心は何処から来るのかしら?
            人をいたわる為には、先ず痛みを知っていなければ出来ない。
            しかし痛みのただ中に居る時には、いたわられることを望んでも、いたわる余裕など有りはしない。
            痛みを経験した後に多少なりとも癒されたことがなくちゃ、人をいたわることなんて出来はしない。
            やたらと噛み付いて来る人は、きっと痛みのただ中に居る人なんじゃないかしら?
            | おーば | 心理 | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            自閉症
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                実はとっても疲れていますが、これは情報の消化不良によるものと思われます。
              大切なキーワードをもらった後に、それを頭の中の何処にしまえばよいのかを悩んでしまうのです。
              大切なキーワードというのは、あちこちに繋がりうるワードなので、繋がったもの同士の整合性が合うのかを確認しなければなりません。繋がるものが大きかったり、大切なものであればあるほどその作業は膨大になります。
              頭の中の作業だから、はたから見たら、なにしてるの?という感じでしょうね。

              おーばが「おーばかよ」と名乗る所以でもあるけれど、他の人と大切に感じる部分がすこーしズレて居るのかしらとよく思うのです。

              賢ければ、伝えられた情報を、伝えた人の意図に沿って処理して終われるのでしょうけれど、
              私はその意図するところとは違う側面を考えているようなのです。
              まぁ、全部が全部ではないと思いますが、そういう傾向が強いと申しましょうか。

              だからいつまでたっても変なところで止まっているように見えると思います。

              少し前に「自閉症」というのは肉体から上がってくる感覚の情報を脳が正しく処理していないという話をテレビでちらっと聞いた。
              正しく処理していないのではなくて、処理方法が周りの人と少し違っているんだろうなと思った。
              同じ世界を見ていても、違った見え方をしているのでしょう。
              感じ方が違うから、「共通体験」を持つことが出来ない。
              だから話が通じない。それだけ。
              程度の違いこそあれ、みんなそれぞれ違った感じ方をしているのです。
              (私は少しずれ方が大きいように自覚しています。)

              昔から、自分の引きこもり傾向は、「自閉症」的かしらと思うことがあって、
              それでも意思の疎通をまったく取れないわけではないから「自閉症」の方や家族の方に失礼な発想だと思ってました。
              当事者の苦労はそんな甘いものではないでしょうから。

              アダルトチルドレンにしても、自閉症にしても、性同一性障害にしても、中途半端な共感を持っているだけで、どれ一つとして深刻なものではない。
              統一教会の信仰も、それに反対する人たちの気持ちもどちらも分かるけれど、きっとどちらも中途半端なだけかもしれない。
              ただ、中途半端な分、仲介くらいはできる可能性があるのかしら?
              | おーば | 心理 | 13:15 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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