サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
ホームチャーチを作ろう!
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    昨日発作的にホームチャーチについての短い投稿をしてしまいました。
    必要なものはホームチャーチなのです。
    誰がこのことに真剣に向き合っているでしょうか?


    ホームチャーチはとても重要なことがらなのですが、その内容については共通の認識がなされていない現実があります。


    このブログでも去年11月1日の記事『成長八段階とホームチャーチ』に以下のように書いています。

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    ホームチャーチについて皆さんはどう考えていらっしゃるでしょうか?
    ■環故郷氏族伝道という話から、
    ふるさと親戚伝道という考える人。
    ■360軒ホームチャーチ伝道という話から、
    ご近所伝道という考える人。
    …つまり、伝道拠点を教会に置かず、自宅を拠点とする家庭教会という考え方が一つ。
    ■また、四研のように、八人家族の蕩減条件を立てるためのものという考え方もあるようです。

    桜葉はどちらも間違いだとは思いませんが、十分だとも思えません。

    問題は、“伝道”の内容であり、“蕩減”の意味するところと、
    その結果がどのように結ばれるものなのかを理解することだと思います。
    ***********************************************

    『心の成長』のカテゴリの中で、“庶子”“実子”に関わることなのですが、
    それ以上に昨日の記事の通り生活の場であることが大切なのです。

    このブログには『ホームチャーチ』というカテゴリを設けていますが、ふと気づけば中身を入れていませんでした。
    先ほど慌てて過去記事からいくつか拾って登録しました。
    右の枠の一番下にキーワード検索がありますので、そこにホームチャーチと入れていただけば全カテゴリに渡って検索できます。
    『心の成長』『信仰・信念』カテゴリなどに分散して記述しています。
    見返してみると結構な量を書いているのですね。
    つまり多くの問題を解くうえで重要な概念なのです。


    皆さん、ホームチャーチを作りましょうよ。
    少し前に、“火の粉を払え”の米本さんが、韓国にお嫁に行った姉妹たちに日本帰国を呼びかけ、地方での子育てを提案していました。
    過疎化が進む地方自治体では若い住人が増えることを切望しているので、住居や仕事や子育て支援をするところが少なくありません。
    このことは私も以前から思っていたところで、韓国からの帰国ばかりでなく、
    食口たちも、特に子育て世代の人たちは、そういった地域でのコミュニティに溶け込んで
    そこからコミュニティリーダーを目指すことが可能ではないかと思えます。
    ただし、上から目線で原理を押し付ければコミュニティから締め出されるだけですけれど…。
    基盤の乗っ取りみたいな感覚で行けば誰も受け入れてはくれません。
    コミュニティをゼロから築く覚悟でなければ誰も見向きもしないでしょうね。

    私たちはコミュニティを愛することで心情を成長させることができます。
    神様を知らない人たちでも
    “養子”圏まで上がることができます。
    “庶子”に上がれるかは本人の信仰姿勢次第ですね。

    “庶子”に上がるためには孤独な荒野路程を行かなければならないので
    ホームチャーチの“中”にいて“庶子”に至るのは難しいのかもしれませんね。

    “養子”に上がった立場で“庶子”を迎えることになれば、おそらく一緒に“実子”へ上がる道が見えるのだと思います。
    先にコミュニティを愛した“養子”がカインで後から来た“庶子”がアベルとなり、
    地域を愛する・地を耕した者と、羊飼いに表象される天の事情に通じる牧者が一つになるのです。
    どちらかというと、食口たちが目指すべきは各地に準備された“養子”たちを探すことなのかもしれませんね。

    言うは易し…行うは難し…。

    東京の片隅の小さなキリスト教会に骨を埋める決心は私にもまだついていません。
    | おーば | ホームチャーチ | 18:01 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
    ホームチャーチ
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      ホームチャーチが貴重なのは、そこに人の営みがあるからです。
      メシアを迎えるために条件的な供え物として必要なものだという次元のものでは有りません。
      ホームチャーチは天国基地です。
      天国の縮小体です。
      そこは神の民が神の民らしく暮らすことができるところです。
      そこには神と人が一つとなった幸福があるのです。
      そのようでなければ天国とは呼べませんし、ホームチャーチでもないのです。

      これが出来上がるまでは、私は何度でもこのことを書かなければなりません。
      | おーば | ホームチャーチ | 11:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      ホームチャーチについて、性懲りも無く書きます。
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        Y氏とメールのやり取りをしていて、
        未だ私はホームチャーチについて書き尽くすことが出来ていないことに気が付きます。
        私たち、一人一人が目指すべきはホームチャーチであるのに。

        単なる伝道拠点だったり、経済復帰拠点ではありません!!!!

        もっとも、伝道や経済の意味するところを深く掘り下げれば、
        伝道も経済も深く関わる天国基地ではあります。
        (そもそも今、統一教会員にとって、伝道はどんな意味を持っているのでしょう?
          祝福がどんな意味を持っているのでしょう?)


        ホームチャーチは愛を実践するところですよ!!!!!!!!!


        愛が分かりますか?
        献金に一生懸命になっていると分からなくなりますね。
        この世でも、生活水準を維持するために一生懸命になっていると分からなくなるものです。


        愛を実践するのは生活の中ですることです。
        生きてゆく中で現れるのです。

        自分を犠牲にして為に生きなさいと言われれば、
        自分を亡くして生きるものですから、喜びがありません。
        自分を持って生きなければ、愛の生活はできません。
        主体的に喜んで暮らさなければいけません。
        自分が無ければ与えられた愛・恩恵を心から喜べないんですよ。

        愛の関係は回転運動ですから互いに喜び合う生活です。
        自分がしてもらって嬉しかった経験を、今度は誰かの為にしてあげて、
        喜ぶ姿を見てまた嬉しいと思う生活です。


        現代資本主義社会では、
        お金を中心とした価値観で回っていますから、
        全部お金で解決しようとします。
        また、金銭的な負担や迷惑を相手にかけてはいけないと考えるのが第一になります。
        そして、私たちの財産を狙って
        あの手この手で営業活動や詐欺まがいの働きかけが横行しています。
        インターネット社会ではIDやパスワードで大変なことがおこります。
        そのことに警戒すれば心休まることがありません。

        為に生きるなんて言っているとたちまち丸裸にされてしまうでしょう。


        だから、できれば自給自足のコミュニティを築いて、
        貨幣に頼る部分を出来る限り小さく出来れば一番いいのですが、
        なかなかそこまでやるのは大変ですね。

        だけど、目指すべきは“そこ”です。


        帰農という言葉があります。
        子育てには田舎がいいといって地方に移り住む若い夫婦、あるいはシングルマザーが居ます。
        こういった流れは歓迎すべきですね。
        可能であれば、そこで神様を証しする家庭があるといいんですね。

        以前kuma-pさんが書いていたジャルジン摂理とか、おやじさんが主張する農村コミュニティ
        素敵ですね。

        そんな風に、自給自足に近づければ、そのコミュニティの中で、
        三大祝福成就が可能になるんですよ。


        自然の環境の中で助け合うコミュニティ内で愛の関係は築きやすいのです。
        自然の環境は子供たちの成育に良い影響を与えます。
        自然からの収穫物はコミュニティを潤すでしょう。

        三大祝福とはそういうことではありませんか?


        以前『デモクラシーより自分の暮らし』という記事を書きましたけれど、
        自給自足ですから、暮らしは足りる状態をめざすんです。
        人間らしい暮らしをめざします。

        お金中心の価値観から離れられるようなコミュニティ実現です。


        少し前にどこかのブログ記事で見かけたのですが、何処でだったか…。

        『世界中の貧富格差を是正するというのは
        貧しい地域を先進国の豊かな生活に引き上げてあげることだろうか?』

        そんなことをしたら地球環境はもたないということです。
        まぁ当然。
        最貧状態に引き下げるまでにはならないと思うけれど、
        少なくとも、世界中が日本の中流以上の物にあふれた暮らしをすれば、
        資源枯渇、環境汚染による地球滅亡は時間の問題でしょう。

        現在の先進諸国は万物主観が実はできていない。
        原発問題もいい例である。




        …って言いますが、いきなり自給自足コミュニティを皆が皆実現できないのは目に見えているので、
        せめて生活圏でのコミュニティを貴重視してご近所づきあいからでもはじめていくべきなのですよね。

        そして、一人で出来ることではないので、
        外的にアベル的人物を探して侍るところから入ればいいんです。
        外的なアベルというのは地域コミュニティを重視して基盤を作ろうとする人です。
        地域によってそれぞれ課題や状況が違いますからそれを理解して越えてゆこうとする人です。
        もしも、自分でその課題を知っていて、直接住民の心を掴むことが出来るなら、
        自分がアベルに立ってカインを愛していいんです。
        地域の課題というのは、内的な課題ではなくて具体的な問題です。
        高齢者問題だったり、教育問題だったり、ゴミ問題だったり…です。
        問題解決を通してカインを神様に繋いでください。
        正しくコミュニティを愛せれば、道は開けるはずです。
        神様に繋ぐというのは、神への信頼を伝えることです。

        声高に、原理を説くことではありません。

        信仰もまた生活である。
        み言葉を正しく理解すれば、
        み言葉の中に問題解決の道は示されていますが、
        正しく理解できているかが問題になるでしょう。

        ホームチャーチの中には、
        成長段階の異なる人たちが一緒に居るのですから
        それぞれの段階を見極めた対応が必要なので
        ふつうに考える“平等”さえ通用しないこともしばしばあるはずです。
        乳呑み児は特別待遇で保護するのと同じことです。
        頭で考えると難しいですが、理解して愛すればいいのです。

        その鍛錬が私たちを更に成長へと導きます。
        どのような段階の人も暮らすことが出来るのがホームチャーチです。

        | おーば | ホームチャーチ | 00:38 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
        デモクラシーより自分の暮らし 其の2
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          昨晩書いた記事に関連して示唆をいただく。

          どういうことかというと、
          ホームチャーチの原型の存在です。

          地域コミュニティのリーダーという存在が過去に無いわけではありません。
          「デモクラシーより自分の暮らし」と言った円楽師匠ご自身、その立場です。
          伝統芸能の師匠の立場は若い衆の指導をしますが、
          それは芸のみに終わりません。
          彼等の暮らしまで気に掛けています。

          芸・暮らし向き・人間性にまで気を配り指導しています。

          だからこそ、先の言葉も重みがあるのです。
          師匠的には、
          「自分の暮らし」というよりも「彼等の暮らし」が強く念頭にあるでしょう。

          「彼等」と言っても運命共同体的なところもあるので
          「自分」がしっかりしていなければ
          「彼等」を見ていくことができない事情を思えば
          「彼等の暮らし」=「自分の暮らし」であるはずです。

          この形は伝統芸能に限らず、
          徒弟制の職人の親方、
          浜などでは網元の存在、
          やくざの親分もその形態をとっています。
          バブル以前、終身雇用が当たり前だった頃の中小企業もそうでした。


          師匠や親分、親父さんたちが
          デモクラシーを正しく認識することが必要です。
          ここでデモクラシーを認識しなければいけないと表現するのは
          現在私たちが置かれている社会システムが
          デモクラシーを採用しているからです。
          つまり、現状認識をしましょうということです。
          現状を認識して改善なり改革なりを考えないといけないんです。

          弟子や徒弟や平社員は
          自分が置かれたコミュニティの中にしか関心をもてません。
          関心を持つコミュニティ内での多数決には参加すべきでしょう。
          何でもかんでも多数決とはいきません。
          コミュニティリーダーの存在理由があります。
          コミュニティリーダーは
          自分が責任を負うコミュニティの外にも関心を払っています。

          暴論ととられるかもしれませんが、
          選挙権が親分も徒弟も同じなところに問題があるのかもしれませんね。

          平等な権利と言いますが、
          責任は平等にはなっていません。

          コミュニティリーダーは権利の平等を受け入れると同時に
          責任の平等に向かっています。
          どうやって平等にしようとするかと言うと
          責任の放棄という形でリーダーとしての責任を放棄しています。
          「やってられないよ」ということでしょう。
          徒弟制や伝統芸能の世界、終身雇用が古臭いと言われている現実です。

          悪平等というのがこの状態でしょう。

          形骸化してしまっていますが、
          アメリカ大統領選挙の「投票人」選出を選挙するような
          システムがあっていいのかもしれません。
          形骸化してはいけませんが…。


          ところで、議員と呼ばれる人も
          市町村議員、県議会議員、国会議員と段階があります。
          もっと言うと長会長や自治会長という人たちもいますね。
          彼等はそれぞれ違った権限を持っています。

          しかし、生活・技術・人間性など
          微に入り細に入った綿密な人間関係はそこにはありません。
          誰もそこまでの責任を負おうとはしません。

          | おーば | ホームチャーチ | 11:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          デモクラシーより自分の暮らし
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            表題は6代目三遊亭円楽師匠の言。
            前衆議院議員・東祥三氏が後援者に向けて『民主主義とは何か』と
            語ったことに対して応援しつつも少々皮肉ったセリフです。

            指導する立場の人間は思想信条を貴重視しますが、
            生活者である大衆にとっては思想信条などどうでもよく、
            どんな思想に則っていようと、安定的に豊かに暮らせればそれでよいと
            思っている人が大半であり、
            自分の暮らしを営むことが、それほど楽な状況ではありませんから
            なおのことデモクラシーなんて訳の分からない理屈など考える余地が無い
            と思えるのです。

            実際にそんな状況です。
            両者のギャップが埋まらないので、
            民主主義は衆愚政治に陥ります。
            耳になじみ良い言葉に釣られて人が動くのです。

            衆愚政治の結末は、
            社会の破綻へと向かいます。
            経済的破綻であったり、外敵に滅ぼされたり…です。

            だからこそ、東氏は自らの支援者にそのギャプを越えて欲しいと願うのでしょうが、
            そうそう簡単な事ではありません。


            ところで、民主主義って何でしょうね?
            簡単に定義すると 主権在民 ということです。

            国のありようを、一部の権力者が決定するのではなく、
            全国民の意志によって決定するということです。
            国民の意思をどのように反映させるかという手段が選挙ということになります。

            これは少年期(養子)からの思想です。
            新生児期、乳幼児期には与えられるだけで自ら決定してゆくことはありません。
            僕の僕、僕にも決定権は無いので同様ですね。

            少年期には対等な立場で自分の意志を通そうとするときには、
            自分の主張に同調してくれる仲間を募ることができます。
            民主主義を大いに利用します。
            しかし、民主主義の内容そのものを理解しているとはいえません。

            民主主義を運営してゆくのは青年期です。
            生活圏のコミュニティを運営する責任を負っていますから。

            これが、国家運営をする壮年期には、
            民主主義では十分ではないかもしれません。
            もっとも、『民主的に』リーダーを選出することによって
            運営方針をゆだねることもできますので、
            民主主義も用い方次第です。

            一歩間違うと民主主義は自殺します。
            あのヒトラーのナチス政権は、民主的選挙によって生まれました。
            そういうことも起こるのです。

            どうしたら良いのでしょう?

            青年期の層を厚く育てなければいけません。
            青年期とは?
            地域社会のコミュニティに責任を持つ者です。
            UC流に表現すると氏族メシア・ホームチャーチ運営者です。

            青年期の民衆が、少年期と壮年期のギャップを埋める役割をします。
            民主主義を超えるときの指針を打ち出すことができます。


            表題の「デモクラシーより自分の暮らし」という立場は
            残念ながら乳幼児期と言えるでしょう。

            円楽師匠の名誉の為に付け加えますが、
            「自分の暮らしが大事だよという人が大半であるので、
            デモクラシーなんか語ってみても、人は着いてこないんじゃないの」
            というような意味合いで言われたことと思われます。
            円楽師匠が乳幼児だと言うのではありません。

            | おーば | ホームチャーチ | 03:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            スピリチュアルとホームチャーチ
            0

              元食口達の中にスピ系に嵌る人たちが多く見受けられます。
              彼等はUCの自己否定とは違い、
              自己を受け入れ、自己を愛することによって解放されることを喜びます。

              UCでは、数十年前にはイエス様の十字架の恩恵によって養子圏まで開かれていると言っていました。
              養子圏は友愛を育むことができる世界です。
              昔の献身者たちのホーム生活はそれを現実化していたと思います。
              これは私だけの見解ではなく、どちらかのブログ記事あるいはそのコメント欄に
              同様の見解を見かけたことがあります。

              しかし、UCの失敗によって養子圏ではなく僕の僕圏にまで堕ちているといいます。
              見る限りでは恨みと憎しみの無原理圏にまで堕ちているとさえ思えます。
              その恨みは慰められ、晴らされなければならないと、常々思っていましたが、
              それをスピ系の霊界が実践していてくれたと言うことなのですね。

              霊的恩恵です。


              変人博士のブログで、自己を受け入れて自己を愛する情緒を「乳幼児期の情緒」としています。
              僕圏です。
              僕圏などという表現は、どうしてそんな名称になっているのかが気になるところです。
              もっとも、結婚前の若者に求められるのは思春期または少年期の情緒であるとすれば
              その年代で乳幼児期の情緒では到底幼いという理由で蔑む意味合いを込めての表現でしょうか?
              堕落人間という意識を強調しているのかもしれません。

              しかし、結果として恨みや憎しみの情を抱える多くの者達を排出してしまったのは悲しく情けないことです。

              実際のところ、この僕圏を十分な及第点を持って卒業できている人達は世の中にどれほど居るのでしょう?
              僕圏すなわち乳幼児期を卒業するまでには十分な自尊心を培わなければ行けません。
              自尊心を持った上で、友人たちも自身と同様に尊い存在であるという認識のもと
              友愛を育むのが理想的な少年期です。

              UCの失敗は、十分な自尊心を持つクリスチャン達を教育するには自己否定も有効であったかもしれませんが
              イエス様の恩恵を持たない者たちには難しい教育だったかもしれません。
              それでもそうせざるを得ない事情が何かあったのかもしれませんが…。

              と、言うことは、スピ系で「目覚めた」という元食口たちは、
              UCで恐怖信仰におびえる食口たちよりは心情的に上を行っているのかもしれませんね。
              UCの食口達の全てが恐怖信仰という訳ではないです。
              養子圏、庶子圏をゆく兄弟姉妹たちもあるようです。

              …そうか、庶子・実子を育むためには自己否定が必要だったということね。
              少数の庶子、実子を生み出すために多くの犠牲を払ったと言うことでしょうか。
              (実子は居るのかな?)

              犠牲にされた兄弟姉妹にしてみればたまったものではない話になりますね。
              だから救済摂理としてスピ系の癒しが行われたのでしょうか。
              彼等は上質な霊性の持ち主であることが予想されます。
              これまでに無いほどに十分な乳幼児期をクリアした人たちでありましょう。

              もしも彼等がホームチャーチに吸収されてゆけば(絶対に嫌がりますよね)
              それは素晴らしいコミュニティを築く可能性があるような気がします。
              ホームチャーチの方もそれだけの包容力を持ったものでなければなりませんね。
              これまでの教会のように、メンバーを脅して道具扱いするようでは
              乳幼児期を完全に満たした魂は誰もついては来ないということですね。

              彼等を吸収しようとすれば、イエス様のように隣人愛を訴え、実践できるものでなければならないでしょう。
              彼等は喜びの中にしか行動しません。
              喜びの中で目標・目的に生きることを何と呼ぶかというと、
              侍義と言うんですね。

              | おーば | ホームチャーチ | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              天職・天命・使命
              0

                 これらは同義語なのでしょう。

                天職が最も長く携わるもので、ついで使命、天命という印象を持ちます。
                いずれも自らの事情を越えて駆り立てられたり、押し出されたりして
                成し遂げたいと強く願う役割です。

                同時に、これを行う前に困難があったとしても切り抜けられたり、
                助け手が現れたり道が示されたりする。
                更に必要な情報・方法も示される。


                使命者(天職・使命を果たそうとする者)は、その使命分野においてアベルです。
                創世記に登場するアベルが正しく供え物を捧げることができたように、
                使命者は正しくその使命を果たすことができます。
                そのように教えられ、導かれているからです。

                導かれているのに使命に向かわない者はアベルとしての失格者となります。
                使命を果たそうとするアベルの邪魔をしようとするものはカインとしての失敗者です。

                アベルは成功する道を示された者なので、その使命分野におけるメシアのようでもあります。
                勿論、使命分野の中に限られますので、
                ある分野でアベルとしての勝利をした者が
                勘違いして使命以外の分野に口出し・手出しをすると、
                今度はカインとしての失敗者になりかねません。


                難しいことだと思います。
                自身に与えられた使命を「私なんかが」と尻込みすればアベルとしての失敗者となります。
                傲慢になって余分なでしゃばりをすれば本来備えられたアベルを殺すことにもなります。
                「呼び声(colling)」をきちんと聞く者にならなければ行けません。
                その声は自分でしか聞くことができません。
                ときには誰かの唇を通して示されることもあるのですが、
                「誰か」を見極めるのも自分でしかないのです。

                少なくとも、自分を中心にした動機でいたなら正しく声を聞くことができません。
                怠惰、執着心、虚栄心、嫉妬心、自己正当、そういったものは排除しなければ、
                与えられた言葉を曲解し、傲慢に陥ることが懸念されます。


                前の記事でこの参院選に全国区出馬する東祥三さんが天職に向かう者と感じる旨を書きましたが、
                翻って、自分自身の天職といいますか、使命は一体何なのか。
                それを改めて確認するように促すようなメッセージを頂きました。
                しかも2箇所から。

                私が願ってやまないのは万民が幸福を享受することができる天国の実現です。
                夢物語のようですが、統一教会に繋がった動機もそこにありました。

                実現への道として示されているのはホームチャーチであると感じています。
                まっとうな家庭を持たない身には取り掛かることさえも不可能に思えます。
                しかし、ホームチャーチにも様々な形態があり得ると感じてきました。
                決まりきった形があるわけではありません。
                それならば、もしかしたら道があるのかもしれないと最近思うようになりました。
                かなり遠い道に見えますが…。

                だから私の果たすべき使命もまたホームチャーチであると宣言しよう。

                | おーば | ホームチャーチ | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                天職
                0

                   「天職」というのがある。
                  その個人に与えられた適職である。
                  技術系の仕事であったり、芸能系の仕事だったり、
                  勿論、営業職や事務職にだって、分野分野であるだろう。

                  その仕事に付くことができれば、その人は仕事自体が楽しいし、
                  多少の困難を越えることさえも生き生きとこなしてしまう。
                  仕事自体にやりがいがあるから、
                  生計が成り立てば多くの収入を求めるわけではないが、
                  そこに才能を発揮するのだから見返りもそれなりに得ることが多い。

                  しかし、才能や収入のゆえに周囲から嫉妬を受けることも少なくない。
                  仕事の邪魔をされたり、最悪の場合にはその職場から追い出されるようなことも起こる。
                  これは社会的損失であろう。


                  このような天職に就いて仕事をする人は、
                  おそらく「声」を聞いている人なのだと思う。
                  英語では「天職」のことを「calling」と言うらしい。
                  最近このブログで書く「チャネリング」の一種と考えていいと私は思っています。

                  だからなすべきことを的確に知ることができる。
                  理解しなかったとしても、自然と守るべきものを守り行動でき、
                  行動の後に自らその「偶然」に驚いたりもする。

                  「チャネリング」なんて感覚は一切持ち合わせてはいないでしょう。


                  統一原理風に呼べば、
                  彼はアベルであり、その分野におけるメシアである。
                  受ける嫉妬や妨害は迫害であり試練となる。

                  アベルやメシアはその辺に沢山存在していることを
                  協会員たちはおそらく考えたこともないでしょう。
                  アベルカイン原理はこのようなときに用いる真理なのかと思えます。




                  ある人物と縁があってその話を聞くうちに、
                  政治の世界にも、それを天職とする準備された人材があるのかなと、最近思っている。


                  彼が職場にやってきたのはこの4月だったか3月だったか?

                  一人紙袋を下げた大男が私と鹿太郎と二人で居るオフィスにやってきた。
                  彼の見た目の印象は「森のくまさん」でした。(おーばの感想)
                  政治家のくせにあまり話し上手ではない。
                  しかし、訴えたいことになれば饒舌である。

                  小沢一郎率いる「国民の生活が第一」という政党が、
                  衆議院選挙目前に別な政党とくっついて大敗したのは去年の冬。
                  「国民の生活が第一」で幹事長までしていた彼も見事に落選した。

                  ほとんど地元の彼の姿を、鹿太郎も道端でよく見かけていた。
                  元々小沢一郎信者の鹿太郎は他にも近場の小沢一派のことをよく気にしていたので、
                  「東祥三」って今どうしているのかな?とつい口に出した。
                  だったらちょっと調べてみようかと私は思い立ったのでネットで検索してみると、
                  彼のホームページには落選後の謝罪・感謝と今後どうしたものかという思案にふける文章が掲載されている以外は
                  殆どが準備中であった。
                  その文章を読んだ鹿太郎が、何を思ったか事務所へ応援のメールを送ったのがこの縁の始まりである。


                  彼は東京都江東区から衆議院選に立って敗れたが、
                  次回、参院全国比例で出馬することを決めていた。
                  ちっさなエリアからいきなり全国区である。
                  雲をつかむような話だ。

                  しかし、次の衆議院選挙までぼ〜っと過ごすことに耐えられないらしい。

                  小沢一郎の子分みたいな立場ですから、
                  勿論地方分権を訴えています。
                  農家は農家、漁師は漁師、林業では林業のそれぞれの地域で難しい問題を抱えているのだが、
                  現場に居る人間はそれぞれのプロである。
                  彼らがやりやすいようにやらせることが大切なんだと主張する。
                  現場を信頼しなければ言えない台詞だ。

                  彼自身、「現場」をいくつも経験してきたようだ。
                  青年海外協力隊だったろうか?
                  政治の世界に足を踏み入れる以前には「現場」でそうとう汗を流したらしい。
                  二年前、3.11でも民主党政権下で「現場」責任者として働いたようだ。
                  だから「現場」の重要性と「中央」との温度差に敏感なのでしょう。

                  彼の政策ちらしに気になるものを見つけた。
                  健康保険や年金などの社会保障の問題だ。
                  現在は選択肢のない強制的な制度でしかないものを
                  自分で選べる「選択自立型」社会保障にするべきだと言う。

                  私はこの制度の話を見て
                  ホームチャーチのことが思い浮かんだ。
                  小さな規模でのホームチャーチではあまり関係がないかもしれないが、
                  地域社会単位で動くほどの規模を築ければ
                  このような政策はとても有意義でしょう。

                  「霊的導き」というものを強く感じる今日この頃、
                  縁を持ったタイミングもそのように感じさせるものなので、
                  もしかするとこの人は、
                  そのように備えられた人ではないかと私には思えてしまう。

                  こんなことを書かれれば、彼にとっては却って迷惑かもしれないと思いつつも
                  書かざるを得ず、ここに書いています。
                  「ふ〜ん」と思った方は関心を持っていただければ幸いです。
                  彼のホームページにはさきの政策ビラや彼の著書のPDFファイルが公開されています。


                  しかし、きっと彼だけではないのでしょう。
                  皆さんの身近にももしかすると「備えられた人」は存在しているかもしれない。
                  昔、教会バリバリだった頃は「自民党」であることが絶対条件で、
                  その人となりなど一切関係がなかった。
                  勝共時代には、渉外対象が自民党だけではないことに戸惑いもしたが、
                  判断するのは常に組織のアベルであり、自分で判断することはなかった。


                  真のアベルはそれぞれの分野で「正しく声を聞く人」なのだと思う。
                  そしてその人が正しく声を聞いているか否かをきちんと判断できる自分でありたいと願う。

                  | おーば | ホームチャーチ | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ホームチャーチを渇望します。
                  0

                    ホームチャーチ運動に関心を向ける食口たちが居ることは
                    大変希望的なことだと思います。

                    ホームチャーチはまちがいなく天国基地でしょう。
                    ただし、献金基地や伝道基地と勘違いしてはいけないのです。

                    ホームチャーチは人の心が育つところです。
                    外界の争いから魂を護る基地です。

                    だから私たちはどのように成長するべきかを見据えていかないといけないのです。

                    蕩減の問題を考えるときには、
                    何が罪になっているのかを認識していなければ行けません。

                    罪を元返すというのは何をどのような状態にしたいのかを
                    具体的にイメージしていなければ行けません。

                    心と体が一致していなければいけないと言いますが、
                    心がどんな形をしているか知っていますか?
                    知らないのにどうやって一致させるのですか?



                    おーばはホームチャーチを渇望します。
                    しかし、おーばにはホームチャーチの核となるべき家庭がありません。
                    家庭が無いことが罪だとは思っていませんが、
                    (広い意味では罪かもしれないが)
                    ホームチャーチを見守り、微力を捧げる存在でありたい。

                    | おーば | ホームチャーチ | 16:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ホームチャーチ
                    0
                       実生活の中で少々凹み気味であります。
                      仕事で忙しいのもあり、なかなか落ち着いて文章を書くことが出来ません。


                      天国建設には、勿論実体的な事柄も不可欠です。
                      大きな経済力が必要なわけではありませんが、
                      多くの共感性と合意が必要です。
                      (現象学の限界を感じます。)
                      そのためにホームチャーチ運動が重要であると感じます。
                      ホームチャーチは共同体建設の核となるものです。


                      昨日、昔一緒に歩んだ姉妹と十何年ぶりに再会しました。
                      現役とはいえ祝福家庭としての出発をすることができなかった姉妹なので
                      立場としては中途半端な形のようでした。

                      でも、彼女曰く
                      教会はホームチャーチ運動へ変っていくと言う。
                      ネット上で見聞きする話しと少し違っていたので驚きでした。

                      もっとも、立場上全体を見渡せる位置ではないでしょうから、
                      彼女の近辺にその様な動きがあるということなのでしょう。

                      現役食口の心ある人たちの活動に希望を見ます。
                      | おーば | ホームチャーチ | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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