サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
女性の情
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    ただ快楽だけを求めて男を愛そうとする女であれば、
    同時に何人もの男を愛することができるのかもしれません。

    しかし、男性を“私の主体者”として愛する女性は
    同時に何人もの男性を愛することはできません。

    愛することができるのはただ一人です。

    女性の愛は男性に合わせて自身の形を変えてしまえる愛です。
    その形、色に変わってしまいたいと思える愛なのです。
    生殖器は実に象徴的にそれを表しているのかもしれません。


    一人の男性を愛していると思うのに、
    別の男性に心魅かれるときには、
    二人を同時に愛しているように思えますが、
    主体者として愛しているのは一人であり、
    もう一方は息子のように愛しているのです。

    主体者の形に相対しつつ息子を育てるのです。


    女性が男性を愛するのに、三つの階層があります。
     肉の愛…姿形、情欲
     位置の愛…地位、名誉、権威
     心情の愛…理想、志操

    他に、この人の才能を愛しているなどという表現もありますが、
    この場合には、才能が肉体的なものに起因しているか、
    理想の発露であるのかで分けることができますし、
    時には、その才能が将来生み出すであろう地位や名誉を見越して愛していると感じていることもあります。


    この三層は一致していることが幸福ですが必ずしも一致できない現実です。
    個人的には心情の愛に従って生きたいと願いますが、
    置かれた立場によては位置を愛さざるを得ないこともあるようです。
    肉の愛のみに従うことは愚かしいことと思えます。


    | おーば | | 16:45 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    愛の問題〜つぶやき
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      個人的に、自分が置かれている愛についての環境には満足してはいません。
      なにしろ祝福されない関係ですから。

      祝福というのは宗教儀礼によるものではなくて友人、親族からの祝福。
      祝福されたカップルは環境から守護されるけれど、
      祝福されないカップルは自分たちで頑張るしかない。

      だからお互いの努力が必要になるし、結びつきも生半可では長続きしない。

      安息できる関係ではない。

      それを情熱的だと羨む人も何人か有るのですが、幸福な関係では無いと思いますよ。
      幸福な愛の関係はコミュニティ(ホームチャーチ)にあるのですから。


      本当の相手とか、ツインソウルとか、カップルは生まれる前から決まってるという考え方があって、
      現在の夫婦関係は必ずしもその関係になっていないから不幸なんだと言う人がいる。

      私、輪廻転生説を支持してないのでそのまんまには受けとっていません。

      ただね、前世に相当するような、一生涯を共にいてくれるような、
      守護霊みたいな存在が、相手の守護霊と繋がっていて
      互いが出会って一緒になれば幸せになれるような準備をさせているなんてことはあるだろうと思える。

      だからそういうカップルは、霊的に祝福されていると言えるのかもしれない。
      幸福になるのに早道だと思う。




      私の場合には現実の環境からも霊的にも祝福されているとは思えない。
      バランスが良いとは思えないので。


      鹿太郎は幸せそうな家族のお父さんだったんですよ。
      夫婦仲はよさそうに見えたし、二人いた男の子は兄弟仲よくて元気だったし。

      だけどたまに鹿太郎がぶちきれルことがあったと思う。
      そうなると手があがることがあって、そのときは奥さん大変でしたね。
      でも当時は会社に年配の人もいて、間に入って仲裁してもくれたから、何とかなってはいたと思う。

      だけど会社が大変だったり、奥さんが病気したりしてから
      奥さんの気持ちが後ろを向き始めたみたいで子供たちを置いて家出しちゃったんですね。

      鹿太郎はちょと神経質なところがあるので、見てられなかったです。
      支えてあげなくっちゃというのが先に立って一緒にいるようになったんですが、
      それでも奥さんが戻ってくるのならいつでも引く覚悟をしてたんです。

      でもそんなことしていたら鹿太郎は別のオンナと浮気をした。

      でもその関係を私は祝福できなかったから
      頑張っちゃったんですね。

      逃げにしか見えなかったんです。
      鹿太郎も相手の女もどちらも相手を思っているようには感じられなかったんです。

      相手の女は私の存在を知りながら鹿太郎の家に押しかけていすわり、
      結局籍を入れるに至ってしまったんですが、
      鹿太郎は私との関係も切ることが出来ず。

      一番情けないのは鹿太郎なんですが、
      どちらかを自らの意志で清算してくれることを私は願ってますが、
      維持が悪いかもしれませんね。
      清算されるかもしれない立場にい続けている私です。


      だけどお互いに必要としている関係であるとは感じていますし、
      触れ合って安心できる唯一の相手であるのです。

      だけどオトコと言うのはそういう貞操観念は働かないものなのでしょうか?
      最初の家族がうまく言っていたときには、
      俺はもてるけど浮気はしない!と断言していた人なのですが…。


      男女のトキメキを私は知らないのかもしれないなぁと思ってしまいます。
      教会入信以前に恋愛経験はありませんし、
      教会を出た後に、行きずりの関係をいくつか持ちましたが、
      これは霊的自殺願望によるもので、気持ちの良い思い出ではありません。

      IFVOC時代にちょっと素敵だと思う兄弟がいましたが、
      そこでそんな感情をだして万が一にも通じてしまったら
      お互いに恩讐関係になるとしか思えないので…
      だっていいときにはいいんだろうけれど何か問題が起こったときには
      そのことが引っかかってこうなったと、絶対に思うことになるでしょう?
      それは絶対に嫌だと思ってしまったんです。

      かつて愛の神様にツインだと言われた名前の人にも全くときめいたことが無い。

      だから鹿太郎君だけなんですよ。
      でも鹿太郎君は天国建設なんて全く関心が無いから
      全てを共有することが出来ないんです。
      仁義道義みたいな世界は大切にしますけどね。

      お互いに、完璧では無いことを知っていますから、
      いろいろと気の迷いも起こります。
      ダイッ嫌いだと思うこともよくあります。
      近くにいるんだから当然のことだと思います。
      遠くの人の荒は見えにくいですから。


      愛というのは究極の許しあいなのかも知れないですね。
      許して余りある何ものかなのでしょうか?
      これは自分自身もまた鹿太郎から許されている実感があるからなのです。
      だけど可愛さあまって憎さ百倍なんていう表現もあります。
      でもそれはただの我儘でしかないのでしょうね。

      | おーば | | 01:26 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
      愛の神様
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        愛の神様から愛していただいた(もちろん十四夜さん経由)ので
        転載させていただきます。(許可いただきました。)

        「愛が愛したいことを愛してくれたら
        愛が愛しに来てくれるので
        愛せないものも愛せるようになります。
        愛が愛らしい人は愛したいを愛してください。」

        おーばによる解釈
        →愛(個性・本心)が愛したい(望む)ことを愛(実行)してくれたら
        愛(喜び)が愛しに来てくれる(エネルギーを与えてくれる)ので
        愛せないこと(やらねばならない仕事など)も愛せる(できる)ようになります。
        愛(欲求)が愛らしい
        (個性・本心から来るもので、見栄や意地や逃避行動などの要因によらないもの)人は
        愛したい(自らの欲求)を愛して(実行して)ください。

        | おーば | | 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        祝福されることの意義
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          今、ここで書きたいのは宗教的な意味合いでの祝福に限定するものではありません。

          祝福する、祝福されると言う意味は、一般的には歓迎されると言うことです。
          結婚を祝福されるとか、誕生を祝福されるといった使い方でよいでしょうか?
          歓迎されると共に、その将来が希望と幸福に満ちるようにという願いが込められます。

          つまり、祝福した者は、祝福した相手を応援してゆきます。
          困ったことがあれば相談に乗ってみたり、
          余力があれば守護したりもします。

          カップルに対しては、喧嘩したら仲裁したり、ご近所づきあいがあれば調味料の貸し借りをするような感じです。
          子供だったら見守りながら危険なことのないように守ります。
          味方がいる、応援団がいるんです。
          大恋愛で結婚しても、人生色々ありますから喧嘩する事だってあるでしょう?

          祝福されないカップルと言うのは、
          分かりやすいのは不倫関係とか、対立する家族の間で婚姻関係を結ぶとか…ちょっと極端でしょうか?

          こういうカップルは喧嘩して誰かに愚痴をこぼしてみれば
          「分かれちゃえば?」と言われるのです。
          味方がいないのです。
          守護されないから壊れやすいのです。

          統一教会で、妾の立場が云々されることがありますが、
          妾と言うのも祝福されない立場です。
          もっと言うと、世の中から捨て去られた立場なのです。
          守護を受けない立場ですから苦難が大きいのです。

          法律では、婚姻は男女の合意のみを持って成立するのですが、
          祝福されるかされないかはとても大事なことなのです。

           
          | おーば | | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          カップルは一対一
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             男女の愛の問題について、これがエネルギーの源だなどと書けば、
            恋愛至上主義やフリーセックスなどの方向へ進んでいきそうです。

            私はそれは好まない。
            一夫多妻制あるいはその逆、多対多の関係も好まない。

            好まないという表現では個人の感情的な意見と思われるので根拠を考えてみると、
            それは一対一の関係で無い限り、そこに安息圏が生まれないからということ。

            一夫多妻制の妻たちは、その妻同志で仲良くできる人もなくはないだろうけれど、
            やはり、競争する心、あるいは嫉妬心がどこかに生まれます。

            夫もそのバランスを考えなければと配慮する必要に迫られるでしょう。

            競争心によって切磋琢磨して向上するという考えは、男同士の世界の話です。
            男は上昇志向、女は横に拡がると書きましたね?

            組み合せが明らかに間違いであったと判明した場合にカップルが組み変わることは、いたしかたないことと思えます。
            しかし、最初からだれかれ構わず関係を結ぶことは薦められません。

            唯一の関係を築くからこそ、
            そこには強い絆が生まれる可能性があり、
            全ての投入が可能になり、
            完全な一致に近づくことができ、
            そこに貴重な愛のエネルギーを得ることができます。


            一対多の関係には完全な一致はありえません。
            必ず猜疑心が入り込みます。


            そうやって完全一致を果たしたカップルは世界に出て行っても潰れてしまうことはありません。

            | おーば | | 11:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            男と女-おーばが思う理想形
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              131014鉛筆書き男女まぁ、こんなテーマを書こうとは、思っていませんでしたけれど、
              必要かつ重要なことなんでしょう。

              「志」という点では、男の方が高みを目指す。

              女はね、横に拡がるんです。
              横に拡がるから強くて安定するのよ。
              上方志向ばっかりじゃふらふらと危なっかしいでしょう?

              女はね、生活圏を主管します。
              衣食住を主管するんです。

              …小さいと思ってはいけません。ここが基本です。
              幸・不幸がそこにある。
              居心地のよい家
              おいしく栄養のある食事
              清潔な衣類

              母の愛の元子女は育つ。

              知っていますか?
              やんちゃな旦那は妻から「長男」と呼ばれることが少なくないのですよ。
              (救いだと思った人いませんか?)

              男がふがいなかったり、女をちゃんと愛せなかったりするから、
              女が社会進出なんて言い出すのよ。

              息子はカブトムシを獲ったら母のところへ持ってくる。
              戦勝報告するのよ。

              メンドリが鳴けば国が滅ぶのよ。



              だからといって実際のおーばは
              イブのようなかわいらしさも生活圏を主管しきれる技量も無なぁ…。

               
              | おーば | | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              男女の愛のエネルギー
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                前記事の最後5行には、どうやら囁きが入ってますね。
                最近外的に忙しいのもあって、博士からまとまった話はありませんけれど、
                考え事をしていると色々と言ってきます。

                扱いにくいテーマだけれど、
                放ったらかしてもいけないのでしょう。




                もしかしたら、女の愛がどんなものなのかで、
                男の得るエネルギーの質が変わるのかもしれませんね。
                愛のエネルギー量は愛の質によってその大きさが変わってくることは明らかなこと。
                継続的に愛したことがある人には簡単明白なことでしょう?

                それが強さだけではなくて質にまで影響することは考えられないことじゃない。
                男は案外と単純な側面を持っていると思うのです。
                そして、男が女から得るエネルギーが存在するからこそ、
                性交を宗教儀式に盛り込む危ない信仰が歴史的に後を絶たないのではないでしょうか?


                危ない話です。
                私は宗教儀礼に性交渉を盛り込むことに賛同しません。
                そもそも形骸化した宗教儀礼の全てに意義を見出せませんので、
                奥義だ秘儀だといわれても同じことです。


                愛がエネルギーを持つことは否定できないと思います。
                それはとても強いので、形を装っただけで発揮されるエネルギーだと思えます。
                しかし、その本質は心情にあるものですから、
                心情を偽った愛からは歪んだエネルギーが発せられることでしょう。
                歪んだエネルギーは暴走の恐れがあります。

                英雄色を好むと言います。
                男は立たなくなったら終わりだと言う人があります。
                歴史は夜作られるとか、歴史の影に女ありとか言われるのも、
                それは性に関わるものが多いでしょう。

                人は快い経験を持つだけで情緒的エネルギーを得ます。
                面白い映画を見た、きれいな花を見た、美味しいものを食べた。
                それだけで人はエネルギーを得ます。
                男女の愛はそれが順調であればあるほどに快い経験です。
                性交渉はその究極的行動、経験です。
                だから性交渉だけが愛のエネルギーではありません。
                軽はずみに行動しないで下さいね。

                 


                さて、この説が導き出す結論は
                女はエネルギー源で、男は発動部ということになりますか。

                 

                現代男性社会に於いては、活動して出世し、地位を得、財産を蓄えることを栄誉とする風潮にあります。
                女の愛をエネルギー源としてそのために用います。
                男は男女の愛のエネルギーを外に向けて発動することができるようです。
                その変換効率というか転換効率というべきでしょうか、
                最も内的なエネルギーを、対社会、対世界に向けて発動することができるのです。
                (男の器の程度によります。)
                女は愛のエネルギーを、主に愛する対象に還元します。
                愛・恋に浮かれることは仕事をする女には邪魔にこそなるケースが多いです。
                男は栄誉に浴し、得た財産の一部を女に還元します。

                しかし、女は財産だけで満足を得ません。
                退屈なのです。
                財産は形状でしかなく、情緒を満足させるものではありません。
                男は女を同参させて世界に連れ出さなければ行けません。
                それが同権ということでしょう。


                女は男に何を求めますか?


                強さ、優しさ?
                イブタイプはそれこそ財産を求めますね。
                財産はいくら手にしても、それ以上を求めます。
                マリアタイプは男が自由に夢や目標を追いかける姿を喜びます。
                喜びを共に経験していたいのです。

                マリアタイプは男には真似しきれない女性性相かもしれませんね。
                忠臣は君主から信頼の証としての褒賞を求めるのかな?
                男同士の世界だから理解しにくいけれど、
                忠臣が君主を支えるのと女が男を支え、与えるエネルギーは質が違う気がします。
                うまく表現できないなぁ…。
                | おーば | | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                男と女について、性懲りも無く考えています。
                0
                  131013鉛筆書き男女
                  男と女の問題は、難しい。
                  まだまだ考察の糸口を探している最中です。
                  語りつくされているようだけれどだからこそ混乱をもたらします。

                  女性についてはよくイブ型とマリア型に分けられます。
                  イブ型は自分自身の喜びを中心として生き、
                  その喜びのパワーで男性を惹きつけます。
                  マリア型は男性に尽くすことに喜びを見出します。
                  自身が前面に出ることは少なく、
                  男性の喜びや成功を自らの喜びとします。

                  この行動は知的に現れたり、情緒的に現れたり、
                  幼かったり成熟した行動であったり、様々であるけれど
                  どのような現れ方であっても、どちらかに分類することが出来ます。
                  それは、「動機」の違いだからです。
                  もちろん、イブ型に見える行動でも、
                  相手を力づける動機での行動である時には、
                  実はマリア型の行動の場合もあり得ます。
                  行動自体は分類できるが、一人の中にイブとマリアは同居します。
                  どちらかに徹底することの方が難しいかもしれません。

                  最近では、イブ型が推奨されることが多く見受けられます。
                  男女は平等であり、女性は女性の人生を自立して生きるべきだという意味です。
                  マリア型は「共依存」を作り出したりすると言います。

                  共依存という表現は否定的表現だから好ましい言葉ではありません。
                  「依存」という言葉は「自立」という個人主義的幻想の上に成り立っています。
                  人間は、コミュニティがあって初めて文化的生活を営むことができます。
                  コミュニティの根本は個人であるけれど、繋がりの始まりは家庭であって男女のペアです。


                  男性にも似たような分類が可能ではないかと思います。
                  遊び人タイプと亭主関白タイプみたいなものでしょうか?
                  亭主関白は、家庭に対して収入をもたらすことを通して尽くすと同時に
                  社会に対しても自らの働きでもって尽くします。
                  しかし、女性とは違って尽くすだけのタイプはあまり見られません。
                  無いとは言いません。
                  最近の「おねえ」キャラばかりではなく、
                  バトラーのように主に忠誠を尽くす男性が無いとは言えません。
                  しかし、多くは自己実現を目指す者が大半です。

                  「社会によって作られたイメージ」という考え方があります。
                  ジェンダー問題であるが、これは個人主義に基づく考え方です。
                  社会による影響から個人を自由に解き放とうとする思想でありますが、
                  社会それ自体が個人の集合体すので
                  人は社会的伝統の上に文化を築きその恩恵を受けて暮らしています。
                  これはDNAが遺伝するように継代的に受け継がれるもので、
                  個人に関係ない、個性に関係ないと言えるものではありません。

                  自己実現欲求は男性の方が強いのでしょう。
                  女性はそれに固執しない者も少なくはありません。


                  遊ぶことは情緒的エネルギーを生み出す行為なので、
                  (天国の作り方実存の哲学情緒の章参照)
                  決して無駄なものではなく、必要不可欠の行為です。

                  遊びによってエネルギーを得るには、
                  自身が遊ぶのが最も効率よいが、愛する相手が遊びに喜ぶ姿を見ても得ることができます。
                  つまり、家庭においては子供たち、
                  カップルに於いてはどちらか片方だけの楽しみでも、
                  共有することができればエネルギーも共有できます。
                  (共有できればの話です。共有には一致が必須です。)

                  遊ぶタイプと尽くすタイプがカップルになれば円満な関係になるでしょうか?
                  バランスが良い様に思えます。
                  しかし、それぞれがどちらかに徹底しすぎるのは問題でしょう。
                  関係が一方的になることは好ましくありません。
                  一方的な関係には発展性が望めません。
                  カップル内で完結してしまうと横的広がりも持ちにくくなります。

                  遊ぶタイプ同士のカップルはどうでしょう?
                  はた迷惑なカップルに見えますが、
                  喜びのエネルギーを独占するのではなく、
                  周囲の人々を巻き込み共有できるのであれば、
                  調和をもてないとは言い切れません。
                  却って喜びの供給源になる可能性も持ちます。

                  尽くすタイプ同士のカップルも同様でしょう。
                  環境の中で犠牲になりかねませんが、
                  調和して周囲からエネルギーを取り入れる環境を作れれば、
                  貴重な存在となり得ます。


                  男と女の問題に戻しましょう。

                  これまでは、女性が尽くし、男性が遊ぶ図式が定着してきました。
                  イブタイプの女性は娼妾など悪女系に分類され、マリアタイプが良妻賢母として歓迎されてきています。
                  先に書きましたが、社会的に継承されたことは人の内容の反映ですので、
                  女性は尽くすことを苦と感じない傾向があるとも思えるのです。
                  男女が常に相争ってきたわけではありません。
                  男は女を愛してきたし、女は男を愛してきた歴史があります。
                  それがあったから人類歴史は継承されてきています。

                  歴史の結果としての社会風習や文化はどちらかが一方的に決定したものではなく、
                  分業して営まれ、落ち着いたとも考えることができます。

                  女はマリアにもイブにもなれます。
                  男はマリアとイブの両方を求めます。
                  女は尽くしきることができますが、男にはそれは難しい。

                  そう、それから性的欲求が女に比べて男の方が強い傾向もあるようです。
                  性欲の充足が活動の原動力になるようです。
                  欲求の充足→喜び→エネルギー→新たな活動

                  男の方がエネルギッシュでアクティブなのは、
                  欲求の強さゆえかもしれませんね。
                  | おーば | | 14:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  男と女の問題を考える意味
                  0

                    男女の問題を考えるということは、
                    私にはあまり得意なことではありません。

                    そもそも話すこと自体が得意ではありませんから
                    女友達と「恋話」するみたいなこともありません。
                    鹿太郎の話もおおっぴらにするものでもないので
                    この話題についてはやはり触れることもあまりないのです。

                    それをどうして書いてみようと思ったのか。

                    ある方のブログにありました。
                    「女性はメシアの相対としてすぐに復帰されるのに、
                    男は天使長の立場だから奥さんに復帰してもらわなければならない。
                    一体どうやって復帰してくれるのだろう。」
                    正確にコピーしたわけではありませんが、
                    このような表現だったと思います。

                    …そもそも、メシアの相対の立場と言っても、
                    どれだけの女性が復帰された実感を持っているでしょうか?
                    女性が男性を生みかえると教会ではいわれたと思いますが、
                    祝福家庭婦人はそんな方法の指導を受けているのですか?

                    まさか三日儀式だけで成就するようなことではないでしょう。

                    男と女の違いと、願われる関係を正しく認識していなくては
                    堕落と復帰の問題は解決されることは無いでしょう。


                    ふと気が付くと
                    文先生の言葉に対する絶対的信仰というものを
                    今の私は持っていません。
                    原理もみ言葉も、多くの示唆に富んでいます。
                    大変貴重なものであると思っています。
                    しかし、それは正しく伝わっているように感じられません。
                    そこに、教会と文先生の限界が感じられます。

                    言葉というシステム自体が、厳密なシステムではありません。
                    だから、文字通りの文章だけで受け取ると、
                    人によって受け取り方にズレが生じて問題が起こります。
                    御言葉に対しても同様で、「体恤」することが必要なのです。
                    自身の人生の中で照らし合わせてその言葉の意味を理解しなければ、本当の理解はありえません。

                    男女の問題については、むやみやたらな実践をするわけにはいいきませんので、
                    真剣に問いながら一歩一歩進むしかありません。

                    しかし教会の指導は一辺倒で一人一人がかかえるデリケートな問題に対応できません。
                    重要な問題であるので、指導を求める側も自己判断よりもアベルの判断を優先しようとします。
                    多くの場合は地の事情は置いておいて、天の願う摂理を優先するように指導するでしょう。
                    それは却ってカップルの本来の課題から目をそらさせる結果となり、
                    男女の問題を越えてゆく深みを失わせているように思えます。


                    男と女の問題について考えてゆかなければいけないと
                    感じていますがこれは恐ろしいところへ足を踏み入れることでもあると感じます。

                    しばらくかかるのでしょう。

                    | おーば | | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    0

                       男女の話になると、博士はほとんど口を出しません。
                      思春期の問題として博士のブログでも取り上げて欲しいところでしたが、
                      軽く触れただけで通り過ぎます。

                      重要であるからこそ扱いに注意が必要なのでしょう。

                      女について全て知っていると言うわけではありませんが、
                      男について知ることは更に少ないかもしれません。

                      男の話というと、女の立場からすれば最も身近にいる男を参考にせざるを得ないものです。
                      私の場合は以前に何度か書いている鹿太郎の話になります。
                      ホームページを読んだ方は御存知と思いますが、
                      彼とは籍は入っていませんが夫婦のような関係です。
                      しかし多くの人たちには理解をいただける状況に無いのであまり書くことはありません。
                      でもまぁ、この際だから書いてみましょう。

                      非常に自信家で、独善的なところがあって、我儘でな人です。
                      韓日の祝福家庭のお姉さま方のブログを読んでいると
                      鹿太郎も大差ないぞと思うこともあったりしますが、
                      日本男児としての意地もところどころにあって、
                      稼ぐことには責任を持とうとするあたりはありがたいことです。
                      (たまには音を上げます。)

                      その鹿太郎のいいところは、
                      楽観的でくよくよしない、楽しむことにかけて天才的であるあたりです。
                      何故か問題ごとには多くぶつかる人なので、苦労はたえることがありません。
                      (問題ごとは自ら呼び寄せているところは大いにありますが…。)

                      だから彼は自分の人生は漫画みたいだと言っています。
                      彼は漫画好きで、本宮ひろしが好きだと言いますが、それを持ち込んだことは無いですね。
                      先日、作者は違いますが、オークションで「バリバリ伝説」というのを落札して家に持ち込みました。
                      オートバイレースを題材にした漫画でしたので、
                      「お前には面白くないだろう?」と私に言いましたが
                      主人公の性格が鹿太郎とそっくりなので、私は楽しんで完読しました。


                      彼の性格としては…
                      人の後ろに着くのはいや。
                      自分のスタイルを守る。
                      カッコつけたがる。
                      弱味は見せない。
                      常に前のめり。
                      曲がったことは嫌い。

                      ちょと頑なな印象ですね。
                      だけどその中にけなげな一所懸命さがあるのが男の人でしょう。
                      これ等は個人的個性という色合いも強い。
                      しかし、現れ方が違うだけという気もします。

                      一般論で考えれば…
                      一見無難なポジションを好む男も、
                      そのポジションを守ることがベストであるという強い信念をもっていたりします。
                      その信念が個人の身を守るためであったり、組織のバランスを保つためだったり、動機は様々です。
                      カッコつけたがるのも、自分がよしとするカッコであって、
                      センスの良し悪しを言うものではありません。

                      スタイルを守るにしても、女の場合は直感的である場合が多いんです。
                      その場その場で判断します。
                      判断している自覚さえ無い人もあります。
                      「女は子宮で考える」などと言われたりもしますが、
                      スタイルを守るにしても、何らかの行動を起こすにしても、計画性は男の方が強いようです。
                      無計画に行動する女は男には理解しがたい存在のようですね。
                      男は計画的であるが故に、計画が頓挫すると脆かったりします。

                      男に計画性があると言っても、
                      立てる計画が緻密な人と、大雑把な人とあります。
                      計画を立てる段階で、直感的な人というのもあります。
                      直感的判断の後には知性的に行動を計画する場合が多く、
                      女のように直感的判断から即行動に移すパターンはあまり無い様に思えます。

                      最近は、男女の差がなくなってきていると言われます。
                      ジェンダーフリーと言って、性差別撤回が叫ばれたりします。
                      結果、女は肉食系が流行となって強くなり、男は草食系が増えて優しいことが必須とされたりします。
                      男女は同権であって、これまで女性が虐げられてきたのは
                      男性中心の社会の中で、女はかくあるべきという形を押し付けられてきたからだと言われます。
                      女は型に押し付けられて本来の能力を発揮する場を奪われてきたんだというのが女性解放運動家の言い分。

                      女の中にも知性的に計画を立てようとする人が増えています。
                      しかし、女はトップを狙おうとする傾向が弱いので、
                      一番じゃなくて二番でかまわないのです。
                      かつて女性政治家のRさんがそんなことを言ってましたね。
                      無難なポジションを好む男でも、「あわよくば」という考えを持つ人は多いように感じます。
                      しかし女はそこそこで満足できるのです。
                      つまり、独自性は求めません。
                      成功例を分析して後に続き、独自の計画を立てようとはしません。

                      つまり、独自性をもって前進してゆこうとするのは男の特性ではなかろうかと感じます。
                      フロンティアスピリットですね。
                      成功するかしないかは別の話ですが。

                      女はケースバイケースで対応します。
                      無計画なので、却って想定外の状況でも対応力には優れています。
                      これが女の包容力です。強さです。
                      計画性が無いので長期的な展望はありません。
                      漠然と夢を描くのです。
                      子育てという女性的分野は想定外の出来事が満載です。
                      しかし、最近はマニュアル化してしまっているので
                      マニュアルから外れてしまった時には対応できずにノイローゼに陥るケースが見られます。

                      先進諸国の社会は男性化してしまっているのかもしれないですね。
                      男女同権と言いながら、女の特性を無視して女の男化を図っているのかもしれません。

                      女は男のとんでもない行動を受け入れて楽しんでしまえる包容力を持つことができるんじゃないのかな。
                      女は男を通して冒険を楽しむことができます。
                      男は帰る場所としての女があるから出かけて言って好き勝手をできるんじゃないのかな。


                      男の話を書くつもりが、
                      結局は女あっての男だし、
                      男あっての女なんですよね。

                      | おーば | | 12:13 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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