サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
堕落論批判-4
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    前回の記事をアップ後、少々放心してから、
    「あ〜〜…やってしまった」というのが正直なところ。
    べつにデタラメを書いたわけでも、その場の思いつきでもありません。
    随分前から暖めていた内容です。
    しかし、あまりに論理性に欠けるというか、
    「誰も着いて来れない」だろうなぁ…と思ってるところでもあります。
    要は十分に説明できていないだけのことですね。

    勢い任せで書いた感もありますが、
    誘発してくださったコメント主のMuseさんや、
    メールを下さったYさんに感謝しています。
    それに対して中途半端な表現をしてしまい申し訳ありません。
    書きたい内容の概要ではありますのでもう少し丁寧な表現を試みたいと思います。

    大風呂敷を広げてしまったので、後処理をきちんとしなければいけませんね。
    頑張ります。




    Museさんのコメントから、
    夜の神・昼の神、天使、霊界の問題は非常に複雑になりますので後にして、
    先に創世記の解釈について。


    >この良心(カントが言うところの実践理性、統一原理では本心ないし第二の神)こそが、
    普遍的道徳法則の源泉であり、神はまさしくこの良心(実践理性)に働きかけることにより、
    人間達の人格成長と個性完成(さらには、家庭完成、万物に対する主管性完成)を願っているものと考えることができます。

    統一原理に於ける良心定義は少々異なっているのですが、その誤解はさておき、
    神の戒めが、人の心に働きかけられたものとするのは大変リアリティがあります。
    私もそのように捉えます。
    リアルな表現をしなければ、人の想像力は神様や天使についてどんどん捏造してしまうものです。

    この、心への働きかけに対して人間始祖がどの程度の理解力があったかは分かりませんが、
    現代人に於いてはこの感性に大きな個人差があると思います。
    実際に、音声のように感覚する人もあるかもしれません。
    あるいはこのような霊的感性も、成長の段階に応じて変化するものかもしれません。


    堕落の要因として性的好奇心をあげて、
    そこからエゴイズム(利己心)が働き、それを克服できなかったとされますが、
    ここにいささかの問題を感じます。
    人は「利己心」=「悪」と定義する傾向が強いので、
    ここでは性的好奇心に注目するべきではないかと思います。

    好奇心は、新しい事を知りたいと願う知的向上心でもあります。
    実際聖書には、へびは向上心を刺激したととれる文言が書かれています。
    向上心は善と考えることが出来るので、
    堕落以前のエデンに存在するにふさわしく思えます。

    その上で、エバがなぜ、戒め(善)と、向上心(善らしきもの)の間で向上心を選んだかの問題です。

    戒めは、エバの理解を超えたところにありました。
    未完成な彼らには、完成形を描くことができていなかったことが想像できます。
    しかし、現在成熟しつつある自身の肉体については、実感を伴うものです。
    つまり、見えないものよりも見えるものを選んでしまったと考えることが出来ます。

    「ご飯(成長の糧=善)の前にお菓子(喜び=善)を食べてはいけません」という言いつけがあっても、
    目の前にお菓子があれば言いつけを守ることができない、まさに、子供の判断と言えます。
    ただ、戒めがお菓子どころのものではない、重要な内容であったということです。

    ではどうすればよかったのか?

    ヘブル11:1
    「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
    ということに尽きますね。(Yさんの受け売り)

    望んでいることとは、目の前にある欲求の対象ではなく、
    長いスパンでの目標、最終的理想であり、
    それを確認することは、具体的なイメージを具体的に持つことでしょう。

    人類始祖は神の想像理想に相対できなかったということですね。
    現代人の多くも、目の前にある欲求の対象に反応してしまいます。




    >おーばさんが言われるところの”霊的血統”とは、さしずめ、
    「人間同士の人格的要素ないし精神的要素の授受関係の連鎖」という意味になるでしょうか?
    言わんとしていることは分からなくもないですが、こうした場合に、
    あえて、”血統”なる文言に拘る必要性はないかと思います。
    もっとも、他に適切かつ簡潔な表現が見当たらないため、
    便宜上使用しているにすぎないという趣旨であるとするならば、納得できますが。

    >すなわち、「親の背を見て子は育つ」という諺からも窺われる通り、親はあえて子供に語らずとも、
    自分自身の生きざまが成長過程の子供に重大な影響を及ぼすものなのです。


    概ね、Museさんの仰られるとおりです。
    親が語らずに子に伝える内容も、子には大きな影響を与えます。
    その影響の内容が、ソシュールの言うところの「シニフィエ」の形成に関わります。
    ソシュールによれば、言語は「シニフィアン」と「シニフィエ」に分けられ、
    「シニフィアン」は記号表現、即ち発話・表記、
    「シニフィエ」は記号内容、即ち印象・概念にあたります。
    私が書いている“言葉”という表現はシニフィアンとシニフィエの両方を意識するものです。
    (おーばの言語観の参考記事↓)
    http://blog.o-baka.com/?cid=17


    文氏は“父母に侍る生活”を強調しました。
    これは「シニフィエ」獲得に関わることと考えています。
    “み言葉の生活化”“み言葉の体恤”などもここに関係することと考えます。
    ただし、“父母”が完成形として存在していたかどうかは問題です。


    何故“血統”などと分かりにくい表現をするのでしょうか?
    ウ・グループの流れとされる「第四イスラエル研」から、
    み言葉は暗号であるという考え方が出ていますが、
    そうであるなら何ゆえ暗号が必要なのか?

    多くの植物が「“甘い果肉”と“硬い種皮”」を持つようなことなのでしょうか。
    “甘い果肉”とはご利益宗教、“硬い種皮”が暗号表現でしょう。
    “甘い果肉”によって鳥などの体内に入り広く蒔かれることを計画し、
    “硬い種皮”によってその胚を守るということ。

    しかし、甘い果肉はくさり、硬い種皮もわれるときが来ます。


    (夜の神・昼の神、天使、霊界の問題は次の記事に譲ります。)

     

    | おーば | 統一原理 | 17:51 | comments(12) | trackbacks(0) | - | - |
    堕落論批判-3(再解釈)
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      詩人に霊感を与えるミューズ詩神に捧げるには無骨な文章で申し訳ありません。

      堕落論批判のポイントは、
      物語を史実と捉えて対応しようと考える思考法である。
      統一原理の目標は、宗教と科学を統一された課題として解決するところにもあるはずだった。


      原理講論総序で語られているように、
      人類は皆幸福を求めながら幸福になる努力を続けてきたにもかかわらず
      この十数万年理想的幸福な世界を築くことができていない。
      これはMuseさんのご指摘の通りで、だからこそ、人は思想・宗教・科学を通じて模索し続けている。
      堕落論の問題は、神を信じる宗教的立場からのアプローチである。
      神と出会い、神からの恩恵を実感する立場からの考察である。
      この前提は外してはいけない。
      しかし、神の存在を前提としながらも、論理的思考から離れることも許されない。
      これが統一原理の立場であるし、
      統一教会の門をたたいた者達は、この論理的姿勢に共感したものも少なくないはずなのだ。


      もともと神など居ないと主張する人たちには
      “堕落”などという概念は全く関心の無い問題である。
      しかし、その人たちから見ても、「もしかしたらありえるかもしれない」くらいには、
      思える話でなければならないのだ。

      人類始祖の存在はDNA研究で「アフリカのイブ」が話題になったくらいであるから、
      その名前はともかくとして最初のカップルは科学的立場からも思考出来る内容である。

      一番の問題は“天使”存在である。
      天使は霊的存在とされるが、
      霊についての説明・理解が十分になされていないのだ。

      科学的証明もさることながら、
      神を信奉する者達のあいだでも、明確な共通認識が成されてはいないのだ。
      この部分については大いに論議・検証されるべきである。
      今の状況では、どのような意見でも通ってしまう代わりにこれが正しいという確認も不可能である。
      科学的証明ははっきり言って無理だと思っている。
      何故なら、科学の担当分野に無いからだ。
      しかしせめて、論理的整合性は持たせる必要がある。


      前回の記事で、霊的存在を肉身生活との対比で書き出してみたが、
      過去記事に、心と体の観点で自身が分類した図がある。
      http://blog.o-baka.com/?eid=188
      身体に依拠しない部分を霊と考えてよいだろう。
      この図は性形二性性相の考え方で作っている。



      一方で、陽陰和合のことで問題が発生した可能性を否定するものではない。

      創造原理に照らし、神の創造目的が四位基台の完成にあることを考えれば、
      四位基台造成の段階での問題発生であり、
      正分合作用の二段階目、“分”の段階が陽陰分立の段階である
      三段階といえば蘇生、長生、完成の長生期である。
      堕落論が長生期完成級での堕落を説いていることも暗示として問題は無いのである。

       

       

      ミカエル聖書の記述を尊重する立場で考えて見ましょう。

      主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。
      つまり知恵の存在。被造物であり、野の生き物である。

      しかし、黙示録には
      巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た
      へびは、(天より)地に投げ落とされ
      とある。

      つまりは霊的存在であり知恵の天使とされるルーシェルであることは妥当なのです。
      問題は、へびの正体とされる天使長ルーシェルという存在が、具体的にどのような存在であるかを
      明確化しなければならないということです。

      天使といえば、過去に多くの芸術作品のモチーフになっており、
      翼を持った美しい人物象を連想できるのですが、
      そのイメージがちょっとおかしいんじゃないかなというのです。
      (実際にその様な外観をイメージすると、堕落論が正しそうに思えますね。)

      クレオパトラちょっと面白い絵があるのでご紹介します。
      18世紀ヨーロッパで描かれたクレオパトラの絵です。
      今、クレオパトラと言えば黒髪おかっぱ頭の美女ですが、
      これは映画によって作られたイメージです。
      伝承のみで絵を描くと、自分の周りで考えられる美女を描いてしまったという事です。
      人の想像力は知らないことでも自分の周りの近いかもしれないイメージからどんどん捏造できてしまうのです。
      (実際のクレオパトラの容姿がどんな風だったかは私は知りませんよ。)
      イエス像もしかりで、白人男性をイメージしやすいですが、実は有色人種である可能性が高いとか…。


      堕天使ルーシェルに関しては、ちょっと考えたほうがよさそうです。
      私たちは天使を知りません。
      知らないということを先ず、認識すべきです。
      唯一確実なことは、天使は人類ではないというところでしょうか。
      霊的存在ということも、妥当な話と思えます。

      http://homepage2.nifty.com/o-baka/inside/chie.htm



      原理本体論をご存知でしょうか?
      私は講義を受けていないし、よく知らないのですが、
      ネット上を探してみてもあまり情報がありません。
      理解している人が圧倒的に少ない印象を受けます。
      少ない情報の中、印象的な言葉として、夜の神様・昼の神様というのがあります。
      創世記で創造主は光と闇とを分け、昼と夜と名づけられましたので、
      そこに対応すると考えるのは自然な発想と思えます。
      昼の神がルーシェルであるという説もあるようですが、
      この説を採ると、凄いことになります。

      夜の神= 霊界の主管主、創造主、  心情の神
      昼の神=この世の主管主、ルーシェル、知恵の天使

      昼と夜の陽陰が逆に見えますが、
      物理世界を構成する粒子性の存在の最初が光子だったのではないかと考えます。
      光は、波(容積・質量無し)の性質と粒(容積・質量有り)の性質の両方を持ち合わせます。
      昼の神が対象格(女性格)になります。

      文氏の言葉に「先生は夜の神から来たが、君たちは昼の神から来た」というのがあるそうです。
      これは、神の子としての立場と、人類が全て蛇の子孫であると言い続けた文言と一致します。
      (上記の内容が真理であるか否かはここでは問いません。単に彼が言った言葉が一貫性を持つ可能性を示します。)


      生命の木は、完成した人類を表すことに問題は感じません。
      善悪知るの木は、未完成の人類を表すものと考えられないでしょうか?
      (堕落論ではエバであると言います。)
      善にも悪にも成ることができるということは、伸び代があるということです。
      つまり成長途中・未完成を表現しているととれます。

      生命の木から取ることは禁止されませんでしたが、
      善悪知るの木からだけ、
      取ることも触れることも禁止されました。
      平たく言うと「大人になるまでエッチしちゃだめよ」というのと同じことになります。
      至極当たり前の親から子への言葉になります。
      勉学をはじめ、様々なものを吸収し、成長する大切な時期に、
      愛だの恋だのに現を抜かしてはいけません!というところ。

      その禁を犯したと考えられますが、エバとルーシェルの間で関係を持ったとは、
      先に書いた理由から考えにくいのです。
      有り得るとすれば、人間の自慰行為くらいでしょう。


      人類不幸の原因が、こんな卑近な問題であるはずがないと思いますよね?
      だけど、大切なのは、生命の木です。
      それがどのようなものなのか?
      結果として、ケルビムと回る炎の剣でそこへ至る道は塞がれています。
      理想の姿がどれ程素晴らしいものであるのかを、人類は創造だに出来ない状況に落ち込みました。
      理想がが失われたのです。

      神の創造理想である生命の木を求める以上に、自身の欲求を優先し、神の理想を軽んじたのです。
      そして、満たされた欲求は非常に強く誘惑し、より多くを望むようになるのは、
      現代社会の子どもたちを見ていても同じです。


      アダムとエバが完成した暁には、
      神様がアダムの中に臨在し、エバを花嫁に迎えるという文氏の言葉がありますが、
      アダムの中に夜の神が内在しようと言うならば、
      エバの中に昼の神が内在すると考えることに無理ではないでしょう。

      夜の神=心情の神と、昼の神=物理世界の知恵・知識の神が結婚する!!!
      大事件です!

      …で、それを台無しにしたアダムとエバであり、へび=ルーシェル=昼の神


      霊的存在は、再臨協助として地上人と共に地上生活を感覚することができます。
      実際に、彼らは私たちに多くのインスピレーションを与えてくれますが、
      それは私たちの実生活に即した内容のものを与えてくれます。
      神様(天使)も、霊的存在であれば、地上人に臨在し、その感覚を共有することが可能と考えます。

      へび(=昼の神)はエバと共に居ました。
      エバに内在したへびはエバの自慰行為の快楽を共に感じることができたはずです。
      次いでアダムを誘惑することで、相手の個性尊重よりも自身の快楽を優先する行為を実行しました。

      堕落行為後、神様に対した二人の言動がそれを如実に表示します。
      「あの女が取って渡したから…」「へびがそそのかしたから…」
      あまりに自己中心的返答です。

      昼の神は知っていたし、未完成であったという構図が成立します。
      (同時に夜の神も未完成ということになりますが、彼は堕落していないからこそ救援摂理が成されていると考えられます。)


      前々回の記事に、
      アダムとエバが完成して結婚して後、
      女性天使が作られるというのは、
      文氏の言葉からきているそうです。
      正確な言い回しは不明ですが、
      前出の教会長とは、全く別なルートからの情報ですので間違いないでしょう。


      これをどう解釈したら良いか?
      未完成の天使(昼の神)は、夜の神から見れば対象格女性ですが、
      エバから見ると、天の者として主体格男性に映るでしょう。
      夜の神以外からは男性又は、未完成であることから中性的に見えて不思議が有りません。
      実際、思春期前の子どもたちは中性的です。

      アダムとエバに、夜の神と昼の神がそれぞれ臨在し、結婚式を挙げれば、
      昼の神も完成圏に入り、女性としての立場を確立します。
      昼の神=天使ですから、これで女性天使が誕生すると言えなくは無いでしょう?


      ちょっとこじつけでしょうか?
      違っているのかもしれません。
      文氏の言葉の全てが正しく事実を伝えていると証明できているわけではありません。
      真実でなくとも、何らかの意図を持って語ったことでしょうから
      解析すべき内容は、もしかすると背後の文氏の意図・目的なのかもしれません。




      これが失楽園・堕落論について現在の私の解釈です。




      統一原理に於いて、堕落の問題を語り始めるとき、
      人類の不幸の原因を究明すると称しています。
      この言葉をそのまま受け入れるなら、
      堕落した状態というのは、人類が不幸である状態をさすのです。

      幸・不幸の問題であれば、ひとの感じ方、捉え方の問題が大きいのですが、
      物質的に、生命維持が困難なほどの絶対的貧困状態は、捉え方以前の問題です。
      しかし、現在地球上に生活する全人類を養えないほど地球は貧しい星ではありません。
      分配の不均衡を生み出すのは社会システムに問題があるからです。
      社会システムを構築するのは人間の思考です。


      堕落状態というのは、物理的、生物学的問題ではなく、
      精神的問題あるというMuseさんのご意見に賛同します。


      これが先天的なものか、後天的なものかという問題について。

      いいとこどりになりますが、先天的にエゴイズムは存在し、
      克服すべき道を失ったことが堕落であると考えます。


      文氏は八定式(1989)において、
      人が行かなければならない縦横八段階の心情路程というのを提示しましたが、
      これを蕩減と呼んでいました。

      克服と呼んだり、蕩減と呼んだりしていますが、
      私はこの段階を成長であると捉えます。
      参考記事↓
      http://blog.o-baka.com/?eid=259


      私はメシアによる代贖について否定的です。
      前にも書きましたが、イエスさまについてはイスラム教の解釈が
      妥当であると考えます。
      しかし、多くの預言者とメシアと呼ばれる存在が、同じであるかは疑問です。

      創世記には生命の木に至る道をケルビムと回る炎の剣によって塞がれたとあります。
      ケルビムというのはセラフィムについで、第二位の天使をさします。
      つまり、ルーシェルとは違う天使、つまり霊的存在と、
      炎(これは聖書の中でも多く使われていますが)、み言葉でもって
      理想完成の道が鎖されているということです。
      イエス様はさらに、地上に剣を投げ入れに来たとも言っておられます。

      メシアとは、預言者の様であるけれど、回る炎の剣に触れる預言を持ち、
      霊的問題を解くことが出来る存在となるのではないでしょうか?

      イエス様のみ言葉もまた、人の心の成長をおおいに促したものであることは否定できません。
      前記事で十字架磔刑には疑問と書きましたが、霊的問題を含め考えたときには
      何らかの意義・意味があったのかもしれません。


      天使から来る「生物学的血統」を否定する点で、
      Museさんのご意見には反対するところはありません。

      ただ、血統と言ったときに、その内容を生物学的血統に限定するところに異議があります。
      元食口と言われる人たちの中でよく聞かれる、
      血統転換=心情転換という図式ですが、的確とは言えずとも、的外れではないと考えます。

      生物学的血統であれば、間違いなく代々引き継がれてゆくものなので、意味がありますが、
      心情的血統と言われても、それが確実に次世代へ受け継がれるものではありません。
      そういう意味で、心情的血統という表現は甘いです。

      私は霊的血統と言う方がより的確であると考えます。

      ここまで霊的存在は血統を残せないという話をしながら何を言うかと思われますね。
      厳密に言えば、『霊的存在は“生物学的血統”を残せない』と言うのが妥当です。


      霊的血統が何を指すかと言えば、それは“言葉”です。


      神は人を含む被造世界を創られるときに、み言葉をもって創られました。
      地のちりを集めて肉身をつくり、口の息をもって魂を入れられたのです。
      “息”も又、言葉を表すと言われていますね?


      その人類始祖が、天使の誘惑の“言葉”によって堕落しました。
      Museさんが仰るとおり
      「互いの人格の持つ精神的要素が相互に影響を及ぼし合う」状況です。
      それが“誘惑”によっておこるのですが、
      “誘惑”の主たる手法が言葉であったことは想像できます。

      子どもは親から言葉を受け継ぎます。
      親は自身の価値観を内包する言葉を子女に伝えるのです。
      子は親から受け継いだ言葉をベースに、考え、様々な決定をしながら人生を送ります。

      これは、聖書・原理によるものではなく、現代思想から導き出す内容です。
      構造主義と言語学(ソシュール)を参考にしてください。
      この内容を説明するとあまりに長くなってしまいます。
      (ここまで書けば十分長いですか?)


      言葉によって血統転換が成されるのであれば、
      祝福も、献金も、様々な蕩減条件も、何の意味があるのかということですが、
      こちらは恐らく“ケルビム”の対策ではないかと想像します。

      エバとルーシェルの関係のように、
      現代人も多くの霊的存在からの影響を受けていると思っています。
      多くの場合は無自覚ですが、ふとした思い付きや、多くの発明発見、芸術作品には、
      霊的協助が働いているものも少なくないと思います。

      Museさんのハンドルネームもまた、
      詩人にインスピレーションを与える霊的存在を表す名前ですものね。
      大多数の人は気が付いていなくても、少なからず認識している人たちが居るということです。

       

      | おーば | 統一原理 | 12:13 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
      堕落論批判-2
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        堕落論批判の続きです。
        Museさま、お待たせしました。

        先ず、前記事コメント欄のご質問の3項目について、



        創世記の「失楽園の物語」に対する見解ですが、
        統一原理の堕落論と同じ意味で寓話的、教訓的物語であると考えます。
        しかし同時に、寓話と言うのはその内になんがしかの伝えるべき内容を有しているものを指します。
        つまり、暗示的に人間疎外の原因を示していることを否定しません。

        日本古事記に書かれる伊邪那岐命と伊邪那美命の物語も男女の係わり合いで失敗した事例が書かれています。
        陽陰和合に問題が生じたことを二つの神話が指し示すのは何か理由があると考えます。
        他に近似する神話があるかどうかは知りませんが、あるいはパンドラの函のようであれ、
        人間不幸の原因には、人類の始まりの頃に何らかの事件・事故が関わっている可能性を否定しません。
        ただし、それが統一原理で書かれているような天使を絡めての三角関係であったという見解には、
        創造原理の観点から否定的に考えます。



        神の摂理が成就されない理由を、無神論者は神の不在の根拠にします。
        しかし、神を信奉する立場からはここは大きな問題です。
        現在が未だ創造(成長)の過程と捉えるか、
        人間の責任分担の未達成と捉えるか、
        サタンの存在を認めるかということになるのでしょう。

        未だ成長の過程と捉えるのはスピリチュアル系の考えに似たものになるでしょう。
        数十段階の次元を進化し続ける人類像があり、人類は輪廻転生を繰り返して完成形に至るという思想です。
        しかし、私は輪廻説を個人のアイデンティティを重視する立場から受け入れていないので、
        十数万年も理想世界を堪能できない人類が存在することは、納得できるものでは有りません。
        ↓関連記事
        http://ameblo.jp/albert-o-baka/entry-11814801139.html

        現在私の思うところは、神の全知性を肯定しつつ、全能性を疑っています。
        非力な神です。
        結局は、人間の責任分担未達成なのですが、
        そこへのサタンの介入、サタンの存在様相についても堕落論の説明に疑問を感じています。

        とりあえず、文師が語ったようにかわいそうな神様という観点には同意します。



        「堕落論が破綻したとすると、元々人間は堕落しておらず、原罪もない、
        よって、(統一原理が説くところの)原罪の贖罪者としてのメシアは不要となる。
        だとすると、福音書に書かれているイエスの存在やその生涯はどのように解釈されるのか?…」
        とのご質問ですが、
        統一原理の堕落論が破綻していたとしても、
        残念ながら人類が堕落していないという結論には短絡的に行き着くことはできません。
        従って、メシアの必要性については話が違ってきます。
        しかし、メシアとしての使命がどのようなものであるかは検証を必要とします。

        人類始祖と天使を絡めての淫行による堕落を否定したとしても、
        人類始祖の陽陰の関係に問題があったことは否定する要素が確認できません。
        統一原理が説くところの原罪の内容とその贖罪方法には疑問を感じていますが、
        神の救援摂理が働いているという解釈は否定しません。
        何故なら理想世界は未だ到来していないからです。

        イエス様の生涯についてですが、
        人類救済に無関係であったとは考えません。
        ただし、十字架磔刑・復活の意義については疑問の余地が有ると考えます。
        そもそも復活をどのように定義するのかが問題となります。
        西洋文明もまた、多くの問題点を抱えてきました。
        十字軍問題、中世キリスト教暗黒時代、植民市政策、共産主義の温床となったこと、現在に至るまで平和世界を実現できないetc…

        私は、イエス様の立場についてはイスラム教の解釈の方が正しいのではないかとさえ思うのです。
        統一原理はイスラム教に触れませんが、
        イスラム圏に与えられた万物の祝福は、彼らの歴史に神のとる内容があったからではないかと思えませんか?
        イスラム教への理解はさほど深くは有りませんが、
        利息を取ってはならないなどの経済感覚・喜捨の精神は素晴らしいと思っています。
        そして、その成立にはキリスト教も関わりがあることを本で読んだことがあります。

        しかし、人間の自由度については考える余地の多い世界ですので、
        イスラム世界もまた、完全な理想世界とは考えません。


        上述のように、私は統一原理に於ける罪観を否定し、メシア観に疑問を呈しています。
        しかし、統一原理が説く世界観については概ね同意していると考えていただいてもいいかと思います。
        (バリバリ頑なに信仰していらっしゃる方から見ればとんでもないと言うことになるでしょうが…。)




        堕落論批判に用いた創造原理の箇所をもう一度検証させてください。

        創造原理第六節(2)
        「霊人体のすべての感性も肉身生活の中で、肉身との相対的な関係によって育成されるので、
        人間は地上で完成され、神の愛を完全に体恤してはじめて、
        肉身を脱いだのちのその霊人体も神の愛を完全に体恤することができるようになるのである。」

        肉身生活の意義と価値です。
        他にも、肉身生活で犯した罪は、肉身生活で償わなければならない。
        霊人体の繁殖は肉身の繁殖を通じて成される。
        と、あります。

        これらの内容をひっくり返してみると、

        霊人だけでは感性の開発ができない。
        霊人だけでは贖罪をすることができない。
        霊人だけでは繁殖作用は発揮されない。

        ということになります。

        特に、人類始祖のケースであれば、
        男女の交わりの喜びを知る霊人は存在していないのです。
        現在、霊界に居る多くの霊人たちはその感覚を知った上で霊界に居るので
        もしかすると地上人にその感覚を伝えることが可能かもしれません。
        しかし、エバもルーシェルも知らない同士であれば、
        肉体的実体験を通じなければ感覚自体を知ることはできません。

        生まれつき目の見えない人に色彩をいくら説明しても理解させることはできないのと同じことです。

        人類以外の動物たちが交尾によって先に繁殖活動をしていたとしても
        彼らは霊人体をもたない存在です。
        つまり、霊界にはそのような感覚を持ち合わせた存在が無いのです。
        その状況で性の感覚を味わうなら、それは創造を行った立場になるでしょう。
        それとも、感覚も無く、繁殖も無い関係を淫行と呼びますか?

        これを否定するためには、霊的存在にも物質的要素が含まれると考えなければなりません。

        ここまで認めてしまうと、肉身生活の意義と価値は一体何なのか?ということになります。
        感覚=感性の開発が可能であるということは、
        霊人としての生活で成長することが可能だと言うことになります。
        成長が可能であれば、変化することができる訳ですから、
        贖罪も可能と言うことになります。

        だったら地上の苦労は一体何のためなのかということです。
        霊界だけで解決できるものではありませんか?
        と、言うよりは、肉身生活になんの意味があるのかということです。

        単に神様が気まぐれにお創りになったものでしょうか?
        神様の愛を感じたことのある者であれば、
        けっしてそのようには考えることはできないでしょう。


        神の創造の動機から想いを馳せ、その理想を確認し、
        一体何がずれているのかを検証してゆかなければ、
        肉身生活の不幸の原因は見出すことができないのです。

        この検証作業の結果として、
        堕落論が何を言わんとしていたのか、あるいは全くのデタラメだったのか
        ということが見えてくるようになります。
        同時にメシアの必要性とその役割も考えてゆくことになるでしょう。


        一方的にこのように書いてあるからこうなんだと盲信していては
        何の解決も無いということです。


        この検証をもう少し突っ込んで行きたいと思います。
        (自爆しないとも限りませんが…それはそれでいいかもしれませんね。)

        | おーば | 統一原理 | 22:11 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
        堕落論批判
        0

          堕落論批判が必要なようです。

          創世記が作り話だと考える方々には無意味なことですが、
          堕落論が本当だったら、教会から離れることがどれほど恐ろしいことかと考える方々には重要な問題となる。

          私が始めて堕落論を聞いたのは、もう30年も前のこと。
          東京新小岩のビデオセンターです。
          倉原講師のビデオでしたね。

          当時は堕落論には相対しませんでした。
          「ふ〜ん…。」
          くらいなもんです。
          漫画大好き少女でしたので、ありきたりな物語で目新しさは無かったです。
          だけどお決まりですが、
          「担当者のお兄さんお姉さんがこれだけ真剣に話しているんだから何かあるに違いない」
          と思っちゃうわけです。
          その時点では論理的根拠はないんですよね。


          今現在、この理論には問題があると考えています。

          最近食口とメール交換をするための資料として、
          現代の摂理の動画を見たり、MCIの文章を読んだりししたんです。
          数字の意味を追いかける「数合わせ」は好きじゃないと前の記事に書きましたが、
          堕落論の物語が、実際のものではないということを論理的に批判してみようと思うんです。

          と、いうのは、この堕落論に触れると、非常に気分が悪くなるのです。
          疲れます。
          私は霊界を否定していませんので、この物語には、霊的問題があることは感覚します。
          それが、教会の言うように、サタンが真実を知られまいと抵抗するから重く感じられるとは思えません。
          何故なら、この物語で肝心なことは何も知ることができないからです。

          ならば何故、こんなにも不快感を覚えるのでしょうか?
          何でしょうね?何か強く攻撃的な悪意に触れた感覚です。
          神とサタンの一線がここにあるからと言われるならそうなのかもしれませんが、
          その話を鵜呑みにすればサタンの圧倒的優位でしょう。

          この物語が嘘っぱちだと思うには理由があります。
          サタンあるいはルーシェル、天使の存在位置が不明瞭なのです。

          堕落論は統一原理の中に語られる物語です。
          堕落論の前には創造原理があります。
          つまり、堕落論は創造原理の前提の上に成立しなければならないのです。

          天使とは、旧約・新約をとおして聖書に書かれる神の使いとしての霊的存在です。
          創造の早いうちに創られ、神の協助者・賛美者という前提です。
          堕落論でも、天使長がアダムとエバの養育係であったとされ、神の摂理を協助しています。
          一番最初の被造物ではないかもしれません。
          しかし、人格を持つ被造物としてはほぼ、最初と考えて良いと思えます。
          人格を持つ存在は天使と人類始祖しかないと、原理講論では断言しています。
          (堕落論でエバと淫行関係を結ぶことが可能な感性をもつ存在は他に無いとされています。)

          ところで、神様は絶対的主体格です。
          その主体たる神様の被造物とは、神様から見れば全て対象格です。
          つまり、天使も対象格です。
          アダムとエバも、神様の前に対象格として存在していますが、
          対の存在として陽陰に分立された存在です。
          天使もまた、創造原理的に、陽陰の存在でなければなりません。
          しかし、統一原理には天使は男性格として書かれるのみです。
          これは地上が女性格、霊界が男性格という捉え方のようです。

          ここに問題点を見出したのか?
          第四イスラエル研究会では女性天使の存在を主張しています。
          天使長には妻があり、ルーシェルの妻はエバに嫉妬したというのです。
          このことから、男は長子権を復帰しなければならないという理論と共に、
          女は長女権を復帰しなければならないという理論展開されています。

          このことを現役教会長にぶつけたことがありますが、
          「女性天使は存在しなければならないが、未だ存在しておらず、
          アダムとエバがが完成し、夫婦となったとき、
          神様にお願いして天使長に感謝の印として天使長の妻を作っていただくはずだった。」
          という返事が帰ってきました。

          残念ながら説得力が感じられず、付け刃的こじつけにしか聞こえませんでした。

          私はこの女性天使の存在には否定的立場を取ります。
          天使長が予め妻帯した存在であれば、
          そこには既に四位基台が完成していたことになります。
          完成した四位基台をルーシェルが破壊したということですから、
          完成された存在が堕落したということになります。

          さて、教会長の説明では、ルーシェルも人類始祖も未完成ですから堕落の余地が生まれます。
          この場合、エバとルーシェルの淫行は可能でしょうか?
          ここも実は不可能ではないかと思われます。

          それは地上生活の意義と価値に起因します。

          創造原理第六節(2)
          「霊人体のすべての感性も肉身生活の中で、肉身との相対的な関係によって育成されるので、
          人間は地上で完成され、神の愛を完全に体恤してはじめて、
          肉身を脱いだのちのその霊人体も神の愛を完全に体恤することができるようになるのである。」

          霊界に於いて性的関係が成立しうるのも、肉身生活でその感性を育成したからということになります。
          しかし、肉身を持たないルーシェルとエバとの間に淫行が成立するならば、
          肉身なしで性的感性を育成できることになります。

          性的感性も、神によって創造された肉身の感覚です。
          原理講義では、死者と地上人の結婚生活がありうると説明されていましたが、
          この場合の死者は肉身生活で性的体験を持って霊界へ行ったものであれば可能と思えます。
          しかし、エバとルーシェルの間では、そのような感性を持つ者がありません。
          ルーシェルも未婚の立場ですから性的経験を持つものでは有りません。
          もっとも、ルーシェルが妻帯しているという説も、肉身生活の意義と価値を無視する発想です。
          地上生活の意義を語る創造原理を無視した形になるのです。


          堕落論と創造原理は相容れないのです。


          私は創造原理は支持します。
          堕落論は論理破綻しており、寓話的、教訓的物語として捉える以外には受け入れようがないのです。

          | おーば | 統一原理 | 15:39 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
          現代摂理の動画を見て…
          0

            私のブログへのコメントは少ないですが、
            とても有意義なコメントをいただきます。
            また、アメブロのメッセージや、こっそり公開してあるメールアドレスに
            稀にメッセージを頂きます。
            とても突っ込んだ内容だったりします。

            そんなメッセージの中で、先日現代の摂理をどう思うか訪ねられた。
            太田ともひさ氏の動画を勧められました。

            文鮮明師の生涯について、多くが詐称であると言う話もあるが、
            ペテン師だろうが何だろうが、
            これだけ多くの人々が影響を受けた人物の生涯に意味が無いわけは無い。
            私の見解は、文師は彼が自ら発表した教義に照らし、
            メシアとしての使命を完遂してはいないと結論付けている。
            ただし、三世代掛けて使命完遂する可能性を全く否定するものではない。

            なにしろ私は真の家庭の中で、肉眼で直接姿を見たことがあるのは韓鶴子氏と文孝進氏のみで、
            もちろん彼等と直接会話したことなど無い。
            それでどうやって彼等を評価できるだろうか?
            (しかし、水沢里の女性修練会に参加したにもかかわらず、文師に直接会っていないのです。)


            もとに戻そう。
            現代の摂理を改めて見直し思うのは、
            文師の立てた説理路程はキリスト教を蕩減するためのものだったなぁということ。

            これでは天国建設どころではないですね。
            文師が全て成し終えたと言い残したなら、
            それは蕩減を全て成し終えたということに他ならない気がする。

            蕩減といえば、数字を復帰することに終始する。
            40年の荒野路程の40をはじめとして
            7、3、12……
            組み合わせ組み合わせて訳が分からない。
            聖書や歴史を根拠に説明はされていますが、
            組み合わせてゆくと何とでも説明できてしまいそうに感じるのは
            私が単に数字に弱いからでしょうか?

            蕩減というのは神とサタンとの駆け引きの世界。
            つまり霊的問題ということでしょう。
            霊界の複雑な有様は到底理解できませんから、
            こうなっているんだよと言われれば、反論する術が有りませんが、
            数を整えたところで奇跡的なことが起こればそうなのかなと思ってしまう。

            お金を払って商品を購入するようなかんじですね。

            文師はキリスト教の失敗を蕩減することを荒野路程と称していた。
            つまり、彼の歩みはモーセのようであったということ。
            モーセが地上を去った後、イスラエル民族はエリコ陥落カナン定着している。

            メシアが使命を完遂していないならカナン定着してもそこに地上天国が建設できるはずが無い。

            そもそも、メシアの使命とはなんだろう。
            原罪の清算?
            原罪とは何?
            罪の無い世界・地上天国とはどういうことだろう?
            罪とは何か?
            血統が意味することは?
            メシアに罪を清算できる権限があるとするのは何故だろう?


            そういうところを明確にしないで
            数字だけ追いかけてもあまり意味が内容に思うのは私だけだろうか?
            っていうか、数字が分かるのがメシアなのかもね。
            商品代金を知っていますって、売る側なら知ってると思うんだけれど
            メシアは買う側のはず。
            だからマッチポンプなんて一部では言われています。


            天国の実像を明確にすることが必要だと思ってます。
            建設の為にはその障害になるものを知らなければいけない。
            数字の理解はできていれば効率よく建設できるのかもしれないけれど、
            細かい数字合わせだけをしようとすると、
            木を見て森を見ずになりそうだと思うのですが、
            数字のセンスが有る人はそんなことはないのかな?

            個人には理解できることとできないことがある。
            一人の人間が全てのことを知ることはできない。
            全てを知ることができるのはそれこそ神のみである。
            だから自分が理解できないことを
            訳の分からないことだと否定するのは
            愚かしいことだと思っているが、
            その個人が果たさなければならない使命分野について、
            その人はきちんと理解できるようになっているはず。

            自己の使命分野に集中すべきであろう。

            | おーば | 統一原理 | 23:47 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
            八段階の四位基台
            0
               情の成長の八段階でそれぞれ完成すべき四位基台があります。

              縦横の八段階と言えば
              個人/家庭/氏族/民族/国家/世界/天宙/神
              又は
              僕の僕/僕/養子/庶子/実子/母(夫婦)/父(父母)/神
              ですが、人間の成長段階として分かりにくいので、
              こでは変人博士の付けた項目で
              新生児期/乳幼児期/少年期/思春期/青年期/壮年期/熟年期/老年期で対応して見てください。

              新生児期(僕の僕・個人)

              新生児期四位基台


              生まれて間もない新生児は眼も開いていない状態です。
              感覚器官が未発達で、感覚することの意味も分かってはいません。
              見えるようになっても、
              見えた対象が
              自分とは別個の存在であることに気が付くまでに時間がかかります。
              この認識を持てる時までを新生児期と呼びます。

              自分とは別個に存在するというのは、
              対象が自分の意識とは関係なく存在し、
              自分が働きかけたり、逆に働きかけられたりする
              授受作用を持つことができる相手であるということです。

              ここで言う情とは望み(欲求・愛)であり、
              知とは知覚する感覚で、肉体に由来する情報であり、
              他者の存在を感知できる能力です。
              共に天与のものでありますが、
              この二者の授受によって意志力が発生します。


              乳幼児期(僕・家庭)

              乳幼児期四位基台


              他者を認識することができるようになった赤ん坊がおかれている環境は家庭です。
              父母の愛を受けて肉体的、知的、情緒的成長をしてゆきます。
              肉体的栄養を与えられ、生育環境を保護される中、
              感覚器官の能力も発達し、経験を通じて学習します。
              同時に、父母から母国語を習得し、
              個人的概念世界が発達し始めます。

              この時点で子供は、
              父母に保護を受け、養育を受け、養育を受け、
              同時に父母の喜びの対象であり、目的であり、
              家庭の中で貴重視される存在です。

              愛された経験により、
              自尊心をもつことができ、家庭内での調和を経験します。
              調和することの幸福感もここで経験する必要があります。


              少年期(養子・氏族)

              少年期四位基台


              肉体的に、知性的にある程度の発達をした子供は
              家庭の外に活動の場を持ちます。
              他の家庭で育った同世代の子供たちと出会い、
              共に遊び、共に学び、共通の経験を持ち、
              競い合いながら成長を続けます。

              競い合うのですが、この時は父母の保護・指導下にありますので
              生活の安全が護られ、行過ぎた行動にはブレーキを掛けてもらえます。

              家庭の中で、自己の尊厳を理解した子供たちが、
              友人にも尊厳を認め、
              競い合う中で、自己の能力を測り、自身の個性を確認し、
              家庭で経験した調和の幸福感を友人関係の中にも見出します。
              実体的兄弟姉妹のほか、
              霊的兄弟姉妹との関係も培われるようになります。

              授受の中心は、神に繋がる保護者が立ちます。
              間接主管圏です。
              兄弟姉妹という表記ですが、肉体的血縁関係ではなく
              一緒に成長する仲間として兄弟姉妹との表記を採用します。
              霊的に考えれば兄弟姉妹という表現には全く問題がありません。

              家庭の外にある親戚関係のコミュニティのようなものですから
              氏族圏の表記にも対立するものではありません。

              自己の個性を確認する期間であるので、
              この期間を十分に全うすることで、個性を完成すると表現できるでしょう。


              思春期(庶子・民族)

              思春期四位基台

              個性を完成し、互いの尊厳を認め合うことができる男女が出会い、
              カップルを成立させます。

              自分自身の個性をよく理解した段階になりますので、
              個性の合う相対を見出すことができます。

              つまり、
              相手に外的な条件を付けて選ぶのではなく、
              相手の個性をよく知って自分と調和できる相手を選ぶようになります。
              人生の目的を共にし、不足を補い合える関係です。

              陽陰の関係ですから、相似的ではなく相対的です。
              相手の前では自身は絶対的マイナスになります。
              (男性が陽、女性が陰という公式ではなく、
              愛の関係は授受しながら回転運動をするので
              陽陰が入れ替わりながら回転します。)


              肉体的構造による経験の差異が生じますので、
              女性はこの頃から競争を好む習性が薄くなります。
              (個性差がありますので、断言は避けます。)
              よく、ジェンダー(社会的通念)という考え方を耳にしますが、
              これは肉体的構造の差異から社会的役割分担が出てきたのであり、
              男性社会の女性差別と考えるのは問題です。

              女性が男性に活力を与えることができるのは事実であり、
              女性の優れた能力です。
              女性の能力に支えられ、力をもらった男性が大きな仕事を成し遂げたなら、
              女性はそのことを妬むのではなく誇らなければなりません。

              そのような陽陰の愛の力を発揮できる相手を選ばなければいけません。
              これは、特定の個人にその能力があるのではなく、
              相対関係がマッチしたところで発揮される力なので
              自分が納得し、相手が納得し、
              少年期を共にした兄弟姉妹に公認(祝福)を受ける関係を築く必要があります。


              青年期(実子・国家)

              青年期四位基台


              夫婦が子女を養育しながら生活を営む段階です。
              自身の父母の保護下から離れて自分たちで生活を始めるのです。
              青年期には兄弟姉妹関係を土台とした地域コミュニティを構築します。

              衣食住を管理しなければなりませんが、
              その中には、多くの創意工夫と楽しみが織り込まれます。
              暮らす土地の気候風土を理解し、土地に調和して暮らします。
              自然風土は対立する敵ではなく、私たちを生かしてくれる贈り物です。
              生活の主人公の立場ですから多くの喜びの要素があります。

              ここには乳幼児期に父母から受けた喜びの要素と、
              少年期に築いた兄弟姉妹との協力関係が花開きます。
              神の三大祝福が完成します。

              地域コミュニティにはとりまとめをするリーダーが必要になりますが、
              これは経験と能力を備えた人物が立たなければなりません。
              地域コミュニティの成員としての経験の無い人物が立つことは望ましい事ではありません。

              コミュニティリーダー以外にも、
              役割を分担しなければならないことも生じますが、
              これは少年期に互いの個性を見極めあった兄弟姉妹の関係のなかから
              それぞれの役割にふさわしい人材があてられるようになります。

              このようなコミュニティは
              健全に少年期を過ごした兄弟姉妹によって成立が可能になります。



              壮年期(夫婦(母)・世界)

              壮年期四位基台


              土地土地にはそれぞれの特産があり、
              地域によっては生活に必要な物資が十分に調達できないエリアが生じます。

              このような地域コミュニティでは
              他のコミュニティとの協力が必要になります。
              このような協力関係を通じて、
              共通言語、共通文化を持つようになりますが、
              その歴史を共有するコミュニティのグループが
              経済を軸に国家として成立します。

              国家運営には、
              それぞれのコミュニティリーダー経験者が集まってあたる必要があります。
              基本的には、地域コミュニティへの地方分権型が望ましいでしょう。
              各地域により、環境が異なれば生活に必要な手当ても変わります。



              熟年期(父母(父)・国家)

              熟年期四位基台


              歴史的に交流の少ない地域間では
              言語・文化が異なります。
              生活の必要を満たした状態でまとまるのが基本ですが、
              国家間で生産力には差が生まれます。

              また、大きな気候変動や大規模災害等には、
              援助が必要になることもあります。
              その様な場合には援助の手は惜しまれるべきではありません。

              地球の隅々まで同一の生活環境を保障する必要もないし、
              自国が優れていると考えて援助することは
              相手にとって押し付けになることもあります。
              国家のまとまりの中には生活者の地域コミュニティが内包され、
              そこには尊厳のある個人が土地に根ざした生活をしているのです。

              少年期に培ったような互いの尊厳を認め合い、
              奪い合うのではなく分かち合い、
              協力できる国際関係が求められます。

              (物質文明が凌駕する現代的資本主義・自由経済の価値観では
              成立は不可能でしょう。
              唯物的な平等は求めるべきではありません。
              国家ごとに必要とする内容が異なるからです。
              特定の資源について、必要としない文化もあれば、
              特に大量に消費する文化も存在します。
              幸福と自由や、平等について見つめなおす必要があるのです。)



              老年期(神・天宙)

              老年期四位基台


              熟年期までは現在の問題を見つめますが、
              老年期に至っては子孫の繁栄未来を見つめなければなりません。
              そこには個人的欲求の入り込む余地はありません。

              現代資本主義社会は、
              経済成長の美名の下、地球規模で資源の争奪を行っています。
              未来世界に資源の枯渇し荒れ果てた地球しか残せなくて、
              現在の経済成長求めることに意義がありません。

              過去と未来を見据え、
              環境全域を意識に収めたとき、
              そこは神の領域に至ります。






              以上は堕落世界の概念ではなく
              本全世界を念頭に置いたものです。

              堕落世界に於いては、
              そもそも本然の父母が不在な為、
              乳幼児期を十分に完成できないまま少年期に入り、
              少年期の保護・指導も十分に行われません。
              個性完成自体が難しいので、
              男女の関係もいびつになることが多く、
              理想的地域コミュニティを構築することもできません。

              理想的地域コミュニティが成立しなければ
              そこには子女が育つよい畑が無いということです。
              本然のオリーブの若枝も、汚染された土地、野生のオリーブに接木すれば
              純粋な血統を保つことができません。


              4日AM少年期・思春期の図の内容を一部改正しました。
              同時に図のクオリティもアップしました。

              | おーば | 統一原理 | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              二性性相3
              0

                陽と陰の二性性相は思考活動のパターンだと言えます。

                私たちは何かの存在を見分けるときに、
                二者のあいだの違うところを探します。

                人が二人いて、
                それが男性と女性ならばその違いで呼ぶでしょう。
                どちらも男性であれば、背が高い方と低い方。
                がっちりした人とほっそりした人、
                年配の方と若い方…。
                比較する要素は沢山ありますが、
                それぞれの要素の中で値の大小を見つけることができます。
                その大小を見分けることが陽陰を見分けることなのです。
                基本的には大きいもの(+)を陽、小さいもの(-)を陰と考えるようです。

                この陽陰の差異はその存在の価値を絶対的に決定するものではありません。
                存在するものには沢山の要素が混在しますから、
                一つの存在の中に陽的要素と陰的要素が混在し、
                比較する相手によって陽だったものは陰となり、
                陰であったものが陽となります。

                被造物には絶対的な陽も絶対的な陰も存在し得ないでしょう。
                ただ創造主のみが絶対的な陽として存在することが可能です。

                | おーば | 統一原理 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                正分合作用その2
                0

                  だったら何故分けるのか?

                  正分合作用自体が間違いなのか?

                  正分合作用は四位基台のベースですから
                  そこが間違いだったら統一原理は無茶苦茶ですよね。

                  分けなきゃいけない理由は
                  分けなきゃ合えないからです。

                  合うために分けるんです。
                  情緒的な目的のために知性的な働きが必要なんです。

                  分ける基準は陽陰です。
                  この陽陰も単純なものでは済まない話です。
                  一つの個体の中に沢山の陽陰を区別する要素が含まれていますから
                  個体毎にこれは陽でこれは陰と分ける事は難しいんですよ。
                  この要素が複雑に沢山あるから個性真理体と呼ばれる存在ができるんです。


                  今は分けて分けて分けまくって原子論に至り、個人主義に至ってます。
                  合うことを拒むかのように分かれまくります。

                  合わないと完成しません。
                  完成形はどんな風でしょう?
                  正に還るんでしょうか?
                  そうしたらまた分けなくいけなくなりますから
                  永遠に正分合作用を繰り替えすんでしょう。
                  正分合作用は喜びの設計図ですね。

                  | おーば | 統一原理 | 13:14 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
                  正分合作用と堕落のタイミング
                  0

                     正分合作用というのが統一原理に書いてある。
                    弁証法では正反合と言うこともあるようです。

                    さて、知性の働きというのは言語生活に現れているのですが、
                    言語の特性として
                    『区別』『圧縮』『固定』『拡大』
                    と言うのがあると、知性の章やホームページに書きました。
                    「分かる」というのは「分ける」ということなんです。

                    つまり、正分合作用の「分」は、知性的作用と見ることができるんです。

                    そして、情緒の働きの核は「愛」です。
                    「愛」は一致することと、このブログに以前書きました。情緒の章にも書いています。
                    一致というのは合うことです。

                    つまり、正分合作用の「合」は情緒的働きになります。


                    正分合作用の三段階は、蘇生・長成・完成の三段階と合致します。
                    長成期完成級の堕落と言う事件は、知性的働きの段階から情緒的働きの段階へ移行する直前に起こったことになります。

                    だからルーシェルは知の天使長と言われるんですね。

                    | おーば | 統一原理 | 10:06 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
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