サクラ・Leaf(おーばのつぶやき)

東京下町の零細企業で仕事をしながら日々の思いを綴ります。
様々に問題意識を抱えながら突破口を探しています。
元統一教会信者・現在は独り、世の矛盾にどう盾突こうかと悶々とする日々。
文亨進著:『はげ頭と苺』感想
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    ちょっとブレイクします。
    以前から交流させていただいている先輩家庭から薦められて読んでみました。

    期待せずに読み始めましたが、なかなか面白かったです。
    この本は7年前、2008年発行。
    著者が1979年生まれなので、28歳の時の著作ということになります。
    大学生時代の出来事から綴られています。
    著作としての完成度はあまり高くありません。
    テーマが分散していて訴えたいことがあまり明確には打ち出されていませんが、
    若い感性はよく表現されていると感じました。

    著者はこのブログをお読みの方なら多くの方がご存知の通り、
    UC創始者の文鮮明師の7男であり、育った環境が少しばかり特殊でありました。
    その立場についての思いは、普通の男の子の思いと何ら変わることなく書かれていて、共感できます。
    父親との思い出は少ないとしながらも、父と子の交流の中で感じた世界はやはり強くあるのですね。
    文師が自身の子女にどのように接せられたのかが垣間見られ興味深かったです。

    著者が仏教にのめり込んでいった理由は兄・榮進氏の死に起因するものだと触れられていましたが、
    何故仏教だったのかには触れられていませんでした。
    しかし、仏教を選んだことによる疎外感と、それが認められたときの喜びが書かれています。
    また、このことが、彼の『霊的蘇生』に繋がったとしています。
    彼には、宗教統一に向かうセンスがあるのだと思われる記述が見受けられましたが、
    その方法論についてはまだまだ幼さを感じます。
    しかし、この時点で彼は“庶子圏”の情を得ているのだと理解できます。
    UCの信者であれば、
    「彼はメシアの“実子”であるのに“庶子”呼ばわりするのはどういうことか」
    と言われるでしょう。
    しかし、心情の八段階は誰しもが行かなければならない道なのです。
    “庶子”の情については当ブログの“心の成長”の記事をご参照ください。
    http://blog.o-baka.com/?cid=24


    著者は『もしも神様の心情を漢字一文字で要約し、かつ具現化するとすれば、どの一文字になるだろうか』
    そのような祈りを持たれた時期があったそうです。
    それを文師に問うて帰ってきた答が『誠』だったというエピソードが紹介されていました。
    その後彼は自分で考察するのですが、なかなか面白いです。
    『誠』の左側は“ことば”であり、
    “西側の宗教”(トーラー、聖書、コーラン)を象徴し、
    右側は“成る”であり、
    “東側の宗教”(主として瞑想という心理学的技術を活用して“成る”ことを中心とする)を象徴するというのです。
    そして彼は自分が予想していたのとは全く違った答えであることを吐露し、
    「求めれば“見いださない”であろう、そして求めなければ見いださないであろう」と続けます。
    『平和を求めることが重要なのではありません。求めればそれはいつも一歩先にあり、いつも私たちから逃げていくでしょう。むしろ平和に成ることが重要なのであり、ひとたび成れば、もはや求める必要がなくなります。』
    と、言うのです。なんと仏教的な表現でしょうか。
    一神教では考えもつかないでしょう。
    でも、その通りだと思います。
    これは「御言を体恤する」という感覚に通じます。
    御言の実体になりなさいということなのですが、
    それが誠であり洋の東西を一致させることであるとは気付きませんでした。

    彼はこの後エゴや独善の罠について、
    また、宗教対立の問題とさりとて宗教の可能性などについての考察を述べていきます。
    考え方のベースはやはり仏教的なので、一般的なUCの信者には抵抗があるだろうなと思います。
    だけど、仏教は実存を見つめて“庶子圏”の心情に至るには有効なものであると改めて思います。

    そして終盤、『完成の八段階』についての記述に興味深いものがありました。
    『お父様が完成の八段階の図を書かれるのを見ると、決して階段のような描き方をされたことはありません。常に、それを何重にも重なる同心円として描かれます。このことは、何を教えてくれるのでしょうか。実は、円は一つしかないのです----一つの中心しかないのです。それらは、すべてつながっていて、互いに浸透しています。』
    この表現には感心しました。
    より成長することを求める人は、下の段階にある人を見下す傾向を持ちやすいですし、
    あるいは、先に行く人に対して劣等感や見下されているのではないかという被害妄想的感覚を持ちます。
    実に、このような競争する感覚を持つのは養子圏までなのですが、なかなか理解できません。
    人柄のやさしさを感じました。

    先に書きましたが、この著作が亨進氏の素直な心から書かれた物であるのならば、
    彼は庶子の心情圏に到達しています。
    しかし、実子圏に到達しているかはこの著作では分かりません。
    実子圏に至るには、どうやら陽陰の関係を成立させる必要があるように思えます。
    この本には、祝福について少し触れる部分がありますが、
    その愛について十分な記述はありません。
    書かれていないことは、彼にはまだその心情圏が無いのかもしれないし、
    或は書かなかっただけかもしれませんので判断はできません。
    また、当時庶子圏にいたとしても、7年間で成長された可能性もあれば、
    転落している可能性もあるのです。

    彼が宗教部門において、後継者と指名されたいきさつは、理解出来る一冊でした。
    しかし、宗教部門としてなので、それを全てだと考えるのも危険なことだと認識してくださいね。

    この本、光言社から出版されていましたが、当然のように光言社からは消えています。
    古書として、amazonで購入したら、送られてきたのはなんと海賊版でした。
    しかも、書き込みだらけの本からコピーしたらしく、英文による書き込みが印刷されている有様。
    コピーするならもう少しキレイにしてからコピーして欲しかったです。
    入手する機会が奪われてもなんですから、amazonに通報することはしませんでしたが、
    もしも購入しようという方があれば、そのようなものも出回っていることを覚悟してね。

    | おーば | 読書感想 | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    4研『再臨主の御言を解く鍵』感想
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      広先生とのお話は収拾が付かなかったので、『鍵』の感想文を改めて書こうと思います。

      以前に触れた(3年ちょっとくらい前)第四イスラエル研究会の主張は、
      UCに対してちょっと感情的な反発を持っていたように感じました。
      (100ヶ条の提題、救済論の問題点、13巻DVDなど)
      しかし、この本を読む限りは、その主張はやわらいでいます。
      その意味で、洗練されてきた印象を持ちました。


      『鍵』はあくまで入門書にすぎないでしょう。
      長子権復帰、八段階にしても、三大祝福、三大王権にしても
      どれ一つとして十分な解説が成されているわけではありません。
      アダム言語も、従来の表面的な解釈を否定するに留まり、
      言語が人間にとってどれほど重要なものであるかまで踏み込むことはしていません。
      願わくは、「紙数の都合」で割愛された各項の深い内容を提示されたい。

      簡単ではないことは100も承知しています。
      文章を書くときに意識しなければならないのは対象読者です。

      伝えたい相手に合わせた文章を書くか、
      書きたい文章を受け止めえる対象を探すか
      二つに一つですが、
      『鍵』が選んでいるのは前者でしょう。
      統一原理は知っているけれど、組織から与えられる解釈に留まって、
      納得のいかないまま悩む人たちに向けられているといえます。
      多くの人が、教会組織の解釈だけを受け入れるしかない状況から
      抜け出すための第一歩を踏み出す術を暗示するに過ぎません。

      だからこの本に留まって、一つの言葉に一つの意味だけを当てて考えれば、
      全体像はどうしても平板になってしまいます。
      深い内容が語られるときには、一語に多くの意味が重層的に付加され、
      立体的世界をかもし出します。
      受け手によって、受け取れる内容も変化します。
      つまり鍵は無数に存在しえます。
      だけど、そんな説明をしては、読者を煙に巻くようなものですから、
      最初は表面と裏面の意味があることを考えるにとめることも必要でしょう。
      ですから、すでに踏み出している人には物足りなさを感じる人もいるでしょう。


      この本では、み旨と摂理を分けて考え、個人はみ旨成就に向かうことを推奨しているようです。

      み旨=人間の責任分担
      摂理=神の責任分担

      という図式で捉えられているようです。
      ちょっと一元的、形状的に感じます。

      ここに少々異論を挟ませてもらうと、

      み旨=神の願い=個体目的成就
      摂理=神が備えるみ旨成就の公式
      摂理が向かう目的=全体目的

      そして
      「個体目的の無い全体目的は無く、全体目的の無い個体目的は無い」のである。

      摂理的にホームチャーチが必要とされ、
      ホームチャーチの中でみ旨が成されます。
      多くの人は、み旨を成就するために、具体的に歩むべき道が
      具体的に示されることを望むでしょう。
      しかし、ここでは未だそこまでは示されていません。


      三大祝福と三大王権の話でも、個性完成と人格完成は違うと主張しますが、
      このときに、個性という言葉の意味を矮小化して否定しています。
      個性という語に深い意味合いを見出している人からは反感を買うでしょう。
      否定するのはいつでもできますから、平面的に否定することは避けるべきでしょう。
      その語が用いられてきた意味合いを、広く検証しなければいけません。
      否定するときには、検証した上で概念内容を個別的に否定しなければいけないのです。

      人格完成=長子権復帰としていますが、長子権の真意を掘り下げずに
      父母権復帰、王権復帰を書いても虚しいだけになります。伝わりません。


      人の霊性に届くテキストを作れればよいのですが、
      自信で書く文章も含めそんなことが容易ではないことは当然至極です。
      『鍵』は入門書でしかありません。
      しかし、入門しなければ先に進むことができません。
      これは現状打破の一助となるでしょう。
      4研の活動は有意義であると感じます。

      この本をガイドとして、
      私なりに掘り下げた提示をしてみるのも面白い試みかもしれません。

      | おーば | 読書感想 | 01:13 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
      「ヒューマン なぜ人間になれたのか」感想
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         「ヒューマン なぜ人間になれたのか」という番組を
        NHKスペシャルの4回シリーズでやている。

        第1回では、
        アフリカに現れたホモサピエンスがグループを作り共同生活を始める。
        化粧やアクセサリなどの共通の文化を持つことで仲間としての意識を確認しあう姿から始まった。
        グループの中では乏しい食料を分かち合い、助け合ってゆくが、
        やがてグループを超えた交流も始まったと言う。
        ここでは助け合うことで生き延びたことを強調する。
        仲間を作って助け合うことが人間の本性であるかの表現はなかなか良かったと感じました。

        昨日29日には第2回としてアフリカから出て地球全体に広がるエピソードを紹介していた。

        人口の増加と気候変動による食糧不足からか移動が始まり、
        中東あたりでネアンデルタール人というライバルと出会っている。
        ホモサピエンスとネアンデルタール人が出会っているなどと言うことは考えてもみなかったが、発掘された化石が物語るとか。

        番組ではネアンデルタール人とホモサピエンスを比較していた。
        体格的にはネアンデルタール人のほうが勝っていたらしい。
        脳のサイズもネアンデルタール人のほうが大きく(350mlと400mlだったかな?)、同じような石器文化を持っていたとか。
        ホモサピエンスは体格的に劣るため工夫をした。
        「投擲具」という飛び道具を開発し、それによってすばしこい小動物を狩ることが出来るようになった。
        この「投擲具」は狩の道具として用いられただけではなく、
        仲間内で規律を守るための制裁罰道具にもなる。
        規律を守ることでグループの大きさを拡大し、
        人数の多さから知恵も多く生まれ様々な工夫で道具を生み出し生存競争を勝ち残ったと解釈していた。

        霊長類の脳の大きさは、作るグループの大きさを決定するという説明がされていました。
        その計算で行くとホモサピエンスは150人グループです。
        実際に、現在平和的に構築される共同体の構成人数は平均は150人になっているということ。
        (どんな基準でサンプリングしたかまではさすがに紹介されていないので何ともいえません。)
        しかし怖いですね、
        相互監視システムにより大きな社会を作ったという解釈です。
        一方、ネアンデルタール人は体格にまかせて大物狙いをし続け、飛び道具の開発には至らなかったと言うこと。
        結果絶滅の道を歩む。

        さて、疑問。
        体格、脳の大きさに勝っていたネアンデルタール人は何故絶滅の危機に瀕した時点でさえ道具を生み出すことが出来なかったのか?
        ホモサピエンスと比べて何が劣ったと言うのか?
        「投擲具」によって大きなグループを作れたからホモサピエンスは多くの工夫を生み出したというのは本末転倒で、
        「投擲具」を生み出すために大きなグループは必要なかったはずです。
        ネアンデルタール人も打製石器を作り、操る能力を持ちながら先に進まなかったのは何故でしょう。
        気候変動により体を維持できないほどの巨大な生物ではなかったはずです。
        また、ホモサピエンスとネアンデルタール人はすぐ近くに生息しながら何故雑交しなかったのか?
        ダーウィンによれば、陸イグアナと海イグアナは雑交しています。
        進化論は適者生存と言いますが脳の大きさはネアンデルタール人のほうが大きかったのです。
        「投擲具」による説明は少々こじつけに感じたのは私だけでしょうか?

        唯物論・進化論の説明はどんどん大変になってきそうです。


        第3回農耕革命〜未来を願う心〜
        第4回そしてお金が生まれた

        人類の歴史上重要なポイントを抑えてはいるのでどのような展開をするのかは楽しみです。

        | おーば | 読書感想 | 14:17 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
        「量子論」を楽しむ本
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           暮れからお正月にかけて、少々忙しかった上に風邪を引いてしまいました。
          目や咽や体中が乾燥してしまっているみたいで息苦しい感じ。
          皆様健康にはくれぐれもお気をつけください。



          さて、タイトルに書いた『「量子論」を楽しむ本』これは帰省していた姉が読んでいた本のタイトルです。
          面白そうな本だなと眺めていたら、読みかけにもかかわらずポンと置いていってくれました。

          量子論やら紐理論など話題に上がるたびにネットなどで調べてみるのですがなかなか「そうなのか」と思える説明には行き当たりませんでした。
          この本では冒頭に難しい数式など出てくるけれど分からなくても流して読み進んで大丈夫と書いてありましたので、数学が大の苦手な私にも安心して読み進むことが出来ました。

          なんの話しかというと、
          今まで粒子だと思われていた電子が実は波のようなんだけどちょっと変だぞということ。

          電子と言えば、物体をどんどん小さくしていくと分子という粒になり、これを更に分解すると原子になる。その原子の構造を調べてみると一つの原子核といくつかの電子でできている。…と子供のころに習いました。
          固体を分解していくのだから構成要素の一つである電子だって固体でしょう?と考えるのが順当ですが、電子で色々実験すると結果が粒の性質を持った動きではなく、波が伝わるような結果を得られるというのです。

          ところがこの電子、観測してみると粒になるというのです。

          そこで私が思ったこと…どうやって観測したんだろう?…


          勿論肉眼で見ることが出来るサイズじゃありません。
          光学系の拡大機器では見えません。見えるのは玉葱の細胞くらいです。
          電子顕微鏡?って電子を使って電子を観測するのもマンガでしょう。


          人間が見聞きできる世界は限られます。
          具体的には光には可視光線と赤外線と紫外線とあって、
          人間が肉眼で見ることが出来るのはその名の通り可視光線だけです。
          よく、赤外線カメラの映像を見かけます。
          これは赤外線を使って捉えた像を可視光線の像に変換して私たちは見ているのです。けして赤外線の像を直接見ているわけではありません。

          同様に、電波望遠鏡や電子顕微鏡も人間が直接見ることが出来ない電波や電子の信号を解析変換して可視光線の像として私たちは見ているのです。

          ちっちゃなちっちゃな電子の像もおそらく何らかの方法で人の目に見える形に変換して観測しているのでしょう。



          ところで波は見えますか?

          海の波や甍の波は見えますが、
          これは海の水が波打つ姿、甍が波のように並ぶ姿を見ているのです。

          波は聞こえますか?

          音の正体が波・いわゆる音波であることはご存知でしょう?
          これも空気の粒子が振動して波の形で動くことをさします。
          真空では音は伝わりません。
          人間の感覚器官は波そのものを感知することは出来ないようです。

          それぞれに実体の何か存在を持っているその状態として波は存在していますが、電子の波の場合にはこの実体が無いといいます。はて?

          そして問題なのが、
          波として存在している電子を観測すると粒子になってしまうので、
          観測することで位置が決定してしまうという問題だそうです。
          見ていないときには確立で此処にいるかあちらにいるかという状態ですが、
          観測することで決定してしまう。
          アインシュタイン博士の有名な言葉で
          「神はサイコロ遊びを好まない」というのがありますが、
          これは量子論に対する批判をする言葉だそうです。
          物理法則は確率論的にあってはならないということです。

          観測方法の実際は理解できないのですが、その過程で波を粒に変換しているのだろうなと推測します。
          実体の無いものを人間は見聞きすることが出来ません。

          実際、この本では電子の模式図としてグラフを掲載しています。
          なにしろこの波が伝わる様子を数式で表すときには
          虚数という便宜上の数値を用いるほか無く、
          複素数という観念上の数値を使わなければならないと言うのです。
          それで計算上のつじつまが合ってしまうということです。


          ここからは認識論の話になります。
          近代哲学で「主観」と「客観」は相容れることが無いと言われてきました。
          二元論というものです。
          ここで「主観」は相対的であり、偶然的なものとされ、
          「客観」については絶対的であり、必然的とされました。
          不確実な「主観」は手の付けようがないと判断されたのでしょうか?
          検証のしようも無ければ研究の対象にはならなかったのでしょうか、置き去りにされたようになっています。

          しかし「客観」については、
          現代科学は実に詳細に研究をしてこの量子論、
          あるいは紐理論などに到達してきました。
          「客観」の世界ですから絶対的であり、必然的でなければなりません。
          アインシュタイン博士が量子論に反論したのはこれ故でしょう。

          観測されるというのは人によって認識されることを意味します。
          認識というのは「主観」の中で行われるものとされます。
          二元論の親分ルネ・デカルトは「感覚はまちがう」と断言しています。
          観測することで客観的な状態が決定してしまうというのは
          相対的・偶然的な「主観」が、
          絶対的・必然的な「客観」を決定することを意味してしまうのです。

          揺らいでしまったのはこの世の常識であった近代哲学二元論だったんです。



          「量子論」を楽しむ本
          | おーば | 読書感想 | 18:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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